2016年の阪神JSでJRA史上初の同一重賞7年連連対記録などJUMPレースの顔として活躍する高田潤騎手。 そして、ファンサービスの積極性は競馬界一とも噂される熱き男の生の声をお届けします!
ついにこの日が、、、
2016/2/26(金)
高田潤です( ´ ▽ ` )ノ
今週の話題は一つしかありません。
定年を迎えられる松田博資厩舎のラストランです。
いよいよこの日が来てしまったのか、、という心境です。
僕は松田博資厩舎から騎手としてデビューし、競馬の世界の右も左も全くわからない僕を、松田先生はここまで育てて下さいました。
はっきり言って僕は、競馬の知識も実力も技術もないし、本当に馬乗りが下手くそで迷惑ばかりかけて大変な弟子だったと思います。
怒られた数は数えきれないほどありますが、それでも、そんな僕に何度もチャンスを下さり、厩舎を離れてフリーになってからもいつも応援して下さいました。
そして、これは誰にも話したことがないのですが、フリーになってダメだったらいつでもウチの厩舎に帰ってきていいんだぞと声もかけていただいておりました。そんなことを言って下さる調教師の先生はなかなかいないと思います。
松田先生は、仕事に対しては本当に厳しく、ポリシーを絶対に曲げない先生でした。
しかし、仕事場以外ではまるっきり別人で、めちゃくちゃ優しい先生でした。
松田厩舎に所属していなかったら自分はどうなっていたんだろう… と、考えるだけでも怖いんですが、
いま僕が騎手としてやっていけるのは、紛れもなく松田先生のお陰です。
松田先生の元でジョッキー生活が送れたことは僕にとっては、とてつもない財産です。
いくつものG1タイトルを獲っている松田先生が唯一、獲りたいとおっしゃっていた『中山大障害』のタイトルをどうしても僕の手で獲り、恩返しがしたかったんですが、最後のチャンスとなった去年の中山大障害は2着と敗れてしまいました。
自分の技術不足を悔みましたが、それでも一つのG1タイトルを目標に、松田先生と厩舎の皆さんと一丸となって、その目標に全力で向かっていけたことは、勝つことよりももっと大切な意味があったのではないかと思います。
先生の思いはそういうところにあったのかなと思っています。
松田先生が引退されても、いつまでも僕の師匠は松田先生ただ1人です!!
先生には何ひとつ恩返しができなかったんですが、これからも弟子として恥ずかしくないように、少しでもアイツ頑張ってるな!って思ってもらえるように、松田厩舎で培った経験をいかし、しっかりと騎乗して、人としても認められるように努力していきたいと思います。
僕は今週は松田厩舎の馬には騎乗しておりませんが、
超名門松田博資厩舎のラストランを皆さんにもしっかりと目に焼き付けていただきたいと思います!!
プロフィール
高田 潤 - Jun Takada
1980年11月3日生まれ、大阪府出身。
1999年に松田博資厩舎所属から騎手デビュー。デビュー当初から、平地・障害の垣根を越えた活躍を続けると、2006年にはドリームパスポートで神戸新聞杯を制覇。これが平地重賞初勝利となった。
一方、2008年にはキングジョイとのコンビで中山大障害を制し、キャリア初のJG1勝ち。2013年には待望の障害リーディングに輝いた。
また、2009年には師匠である松田博資師の元を離れ、フリーに転向。2012年にも生涯の伴侶を得るなど、公私ともに充実期を迎え、障害競走の次代を担う存在として更なる活躍が期待される。