海外競馬だけでじつに400以上の勝ち星をマーク。日本人ジョッキー、強いては、日本のホースマンにおいても海外競馬のパイオニアともいえる、藤井勘一郎騎手の名を耳にしたことはあるだろうか?今でこそ海外競馬が身近になってきた時代だが、彼ほど過酷で地道な道程を歩みながら、自らの活躍のフィールドを切り開いた日本人はいないだろう。今夏、騎手人生11年目にして、母国・日本でのデビューを果たし、今秋は再びJRA騎手試験を受験する予定。悲願のJRA入りを前に、ここまでのキャリアを振り返ってもらった。

世界を知る男が見たホッカイドウ競馬の特色とは

-:先日まで門別競馬場で騎乗されていた藤井勘一郎騎手ですが、よろしくお願いします。まず、今回の期間限定騎乗は日本での初騎乗となりました。このチャンスへ懸ける意気込みはどんなものだったか、教えて下さい。

藤井勘一郎騎手:よろしくお願いします。来る前は、初めての日本での騎乗というで、具体的な目標はなかなか立て辛い状況でした。日本に来ての関係者の反応や、自分がどこまでやれるか、という見込みは手探りでしたからね。しかし、ここまで2カ月乗せてもらい、最終的に119鞍の騎乗数で18勝を挙げました。自分の中でもここで乗ることが自信になってきましたし、もっと長く、腰を据えて乗りたいとは感じていますね。

-:「自信になってきた」ということですが、18勝という数字はどうとらえていますか?

藤:やっぱり満足できていないです。2、3着も多いので、自分がこう乗っていたら、と反省する部分はありますし、どんな時も一つでも着を上げられたらとは常々思っていました。

-:藤井騎手といえば、海外で実績を残されてきたわけですが、海外と比較しての日本の競馬はどう感じられますか?

藤:韓国はパートⅢ国で競馬に関してはまだ発展途上中ですが、その中にも競馬の難しさがある。オーストラリア、シンガポールなど、どこの国の関係者も競馬に対しては全力で取り組んでいますから、勝つことは難しいです。もちろん、それはホッカイドウ競馬でも一緒ですね。

藤井勘一郎騎手

2007年、シンガポールのクランジ競馬場での一コマ
左は当地の日本人調教師・高岡師


-:乗り役から見た門別競馬場とは、馬場や騎手など、どんな競馬場ですか?

藤:今までは1000m、1200m、1700m、1800m、2000mという距離体系で、馬場こそ大きいですが、距離のバリエーションがそこまで多くなかったのです。しかし、今年から内回りの1500mと1600mが出来たことで、それに対応できる馬やレースの展開がガラリと変わったと思います。例えば1700mから100m短くなった1600mでは、距離だけじゃなく、流れが合う馬合わない馬が本当に出てきますね。感覚では、1700mの外回りだとユッタリと構えて乗れますが、1600mだと器用さがないといけません。また、全般的に感じるのは、前(のポジション)で競馬がしたい意識はありますね。

-:馬場の特性はどう感じられていますか?

藤:ここのダートは砂厚が12cmと、他の競馬場と比べても深い方なのです。その中で良馬場の時は内が重くなりますし、ジョッキーは馬場の真ん中から外へ抜けて走らせますよね。だからと言って、内を突いたら馬も最後の踏ん張りが利かないですし、逆に雨が降り始めると内もドンドン軽くなってきて、内も伸びるようになる。その時に外を回して内をすくわれたら勝ち損ないにもなります。こちらに来てから、五十嵐冬樹ジョッキー、宮崎光行ジョッキーらトップの乗り役がどういうレースをするのかは常に注意して観ていますね。

藤井勘一郎騎手

ホッカイドウ競馬では18勝をマークする活躍をみせた


-:世界中で色々なジョッキーを見られてきたと思いますが、海外のジョッキーと比べて五十嵐騎手や宮崎騎手はどんな印象を受けますか?

藤:五十嵐ジョッキーはここで何回もリーディングを獲られている方で、レースではとても落ち着いていますし、いざ行く時の切り替えがすごく早いです。宮崎さんは馬への当たりがすごく柔らかいと思いますね。

-:北海道の生活では多忙を極めていると伺いましたが、海外でジョッキーとしてやっていた頃と、今の仕事の状況の違いも教えていただけますか?

藤:行くところによって、朝の攻め馬やレースでの移動は違いますよね。北海道では騎手寮に泊まっているので、移動こそ全くありませんが、その分、朝は2時半には起きて、3時から9時過ぎまで毎日攻め馬に乗るサイクルです。金曜日は休みではありますが、次の週に使う馬も何頭か騎乗するので、基本、休みはありません。その中で自分のリズムで体調を整えて、レースの3日間(火、水、木)に焦点を合わせていくよう、体調面の調整には気を遣っています。

ただ、やっぱり違う土地で乗ること自体が、自分の価値観から全く外れる、新しい発見が常にありますよね。ここの番組体系だと、冬はレースをせずに、それ以外の7カ月間で開催。2歳のレースが他の地区に比べてすごくレベルが高くて、なおかつ2歳をドンドンつくっていくのはホッカイドウ競馬ならではのシステム。ここの調教師さん、スタッフの方々の2歳馬に懸ける意気込みは、本当に強いと感じさせられました。そして、ジョッキーも競馬を知らない2歳馬を上手に走らせています。サークル全体で若馬に力を注ぐのは、大きな発見でしたね。



「今までもあらゆる地域で2歳新馬には乗せてもらいましたが、2歳だけにここまで集中して考えたことは、正直、なかったですよね。だからこそ、今回の短期免許で大きな収穫になったと思っています」


-:2歳は順致からもやっていますか?

藤:いや、順致は時期的に終わっていて、今だとゲート練習、能力検査、そして、レースという流れです。能力検査はタイムや発走の合格基準を満たせば良いですが、レースはそれとは違ってシビアですよね。砂も掛かるし、ポジション争いも厳しく、みんなが勝ちに行く。その中でどう馬を動かしていくかというのは、大変な勉強になりました。能力検査が終わった後でも、馬はレースを知らない訳ですから、そこから実戦に行く難しさはありました。

-:それは今までの経験のない過程ですか?

藤:そうですね。今までもあらゆる地域で2歳新馬には乗せてもらいましたが、2歳だけにここまで集中して考えたことは、正直、なかったですよね。だからこそ、今回の短期免許で大きな収穫になったと思っています。

-:それ以外の収穫といえば、馬産地でもありますし、牧場関係者と会う機会も沢山あったと思いますが。

藤:レースの前後でも生産者の方々と直接話す機会がありますね。競馬はジョッキーや厩舎がスポットライトを浴びるものですが、こちらに来てから、何軒か牧場を回らせてもらって、牧場のスタッフが情熱を持ってハードワークをしていることもわかりましたから。「そういう方々がつくっていただいた馬に乗せてもらっている」という意識も強くなりました。

JRA移籍に懸ける思い

-:先日、コパノミライでクローバー賞に騎乗。念願のJRA初騎乗を果たすことが出来ましたが、その感想もお聞かせください。

藤:ようやくJRAの舞台に立てたな、という思いですね。レースに関しては角川調教師から依頼をいただき、他のレースと変わりなく結果を出すのが僕の仕事と思っていました。当日は馬場を歩いて、レースの流れはどうなるか、イメージを張り巡らせました。コパノミライは今まで門別で走ってきて、どういう競馬をするのか頭に入れながら乗って、最後は差を詰めましたが、残念ながら9着という結果でした。札幌記念の当日でお客さんもすごく入っていましたし、声援を掛けてくれるお客さんもいたので、JRAでもっと乗ってみたいとさらに思いが強くなりましたね。しかし、JRAで乗ったことがゴールではありませんし、日々、どんなレースでも結果を残せるよう、淡々と努力をしています。

-:期間限定騎乗も終わりましたが、その後の予定もお聞かせください。

藤:当初は3カ月という騎乗期間でしたが、9月30日にJRAの騎手試験がありますから、早く切り上げて(課題である)乗馬と筆記試験に全力を注いでいます。その後は折角日本にいるので、JRAのトレセンでの研修も考えていますし、北海道にいる内に牧場へ顔を出してみたいという気持ちはありますよね。日本にいるからこそ出来ることを考えています。

-:JRA試験の話が出ましたが、ここまでJRAの試験は何回受けられたのですか?

藤:今まで2回受けて、1次試験で落ちています。1度目はもちろん勉強はしましたが、全体の流れを掴む目的もありました。2度目に受けた時は全力で行ったのですが、不合格でした。去年も受ける予定だったのですが、7月の後半に肩をケガして、残念ながら受けられなかったので、今年はその分も集中していきたいですね……。


「いざ入れたからと言って、甘くはないと思いますが、自分が折角ジョッキーになったのだから、そういうレベルの高い地(JRA)で自分を試したいというチャレンジ精神は、すごく強く持っています」


-:今年こそ?

藤:そうですね。JRAは今まで僕が夢に描いていたところですし、家族のことを考えてもこれ以上振り回せないな、という思いはあります。

僕が初めて観た競馬がフジキセキの弥生賞だったのです。その時からあの場所に憧れましたし、阪神競馬場、京都競馬場が実家から近かったので、お父さんによく連れていってもらいました。やっぱり子供の頃からの憧れというのは強いですよね。そして、今は僕もこうしてジョッキーとなったわけですし、JRAの競走馬も海外の大きなレースで結果を出すようになりました。日本の馬が世界中の関係者からも認められていることは、海外にいると本当に実感するのです。外国人ジョッキーのデムーロとルメールもJRAに入った訳ですし、海外からの注目度はますます上がる一方だと思います。いざ入れたからと言って、甘くはないと思いますが、自分が折角ジョッキーになったのだから、そういうレベルの高い地で自分を試したいというチャレンジ精神は、すごく強く持っています。


-:仮にJRAに合格した場合、描いているジョッキー像はありますか?

藤:もし、JRAに入れたら、ここ日本で実績を作って大きなレースに勝ちたい。そして、JRAの強い馬で逆に海外に挑戦していきたい、という思いもあります。僕の強みとしては、今まで外国でやってきて、言葉であったり、現地での対応力、行動力など、そういう部分は自分の長所だと感じています。だから、そういう強みを活かしたいですよね。

-:これは聞きづらいお話ですが、不合格になった場合は……?

藤:常に将来のプランとして、やっぱりスムーズに進んだ場合、そうでなかった場合を考えますよね。不合格になった場合は、現時点でも何カ所か海外の競馬場に申請書を送っていますし、今後また短期騎乗という形で日本ではホッカイドウ競馬、そして、他の地区の地方競馬でも試してみたいという思いは、今回さらに強くなりました。

藤井勘一郎騎手インタビュー(下)はコチラ⇒

藤井勘一郎騎手

8/23(日)、クローバー賞でJRA初騎乗を果たした