ジョッキーとして1128勝の実績を挙げながらも、31歳にして騎手を引退。今年9月から厩舎を開業した笠松の尾島徹師だが、誰しもが「早すぎる」調教師転身に驚いたことだろう。今回のインタビューでは騎手時代のエピソードを混じえつつ、第二の人生に懸ける思いに直撃。安藤勝己やオグリキャップら「名馬、名手の里」である笠松競馬場から「名伯楽」誕生となるのか。尾島新調教師の挑戦にご注目いただきたい。

体調面を考慮して調教師へ

-:若くして調教師に転身されましたが、まずはジョッキーとして最後の騎乗から振り返っていただけますか?

尾島徹調教師:出し切ったという感じですね。本当は最後に良い馬を用意してもらっていて、それで勝って引退となれば良かったのですが、残念ながら出走を取り消してしまい、最終騎乗は3着でした。

-:しかし、31歳と若くして調教師になられましたね。

尾:実は2年くらい前から“馬が動かないな”と思っていたのです。人に「もう、乗れないな」と思われる、言われる前に潔く辞めたいという考えがありました。格好悪いところを見せたくなかったですからね……。それから、体重が普段から58から59キロくらいあって、開催のたびに過酷な減量をしていました。30歳も越えると、その減量も若いころのようにはいかなくなっていましたね。

-:笠松でデビューされて、最終騎乗まで総合点で尾島徹“騎手”の自己採点をすると、どれくらいでしたか?

尾:77点くらいかな(笑)。

-:合格点といえば合格点?

尾:う~ん、微妙なラインです(笑)。

尾島徹調教師

尾島徹調教師

▲7月31日の引退式にて 8月には厩舎を開業と忙しない日々を送った


-:最も思い出に残っている馬はどの馬ですか?

尾:マルヨフェニックスですね。07年に東海ダービーを勝たせてもらった馬で、重賞14勝を挙げました。中でも黒潮盃が思い出深いです。

-:自分にとっても会心のレースと。

尾:そうですね。ジャパンダートダービーで12着に敗退した後だったので人気も落としていたのですが、笠松の馬で大井の重賞で大きな差を付けて勝つことができて、「俺、やったな~」というレースでした。

-:ほかに騎手として思い出深いエピソードはありますか?

尾:JRAでゴールスキーに乗った時(中京記念)の脚がね。感じたことがない脚だったし、背中が今まで笠松に乗った馬と全然違っていて、あれが一番衝撃でしたね。中央のオープン馬もけっこう乗りましたけど、あれほどゾクッときたことはなかったです。

尾島徹調教師

-:デビューからこれまで、第一線で活躍してきましたが、それでもやり残したこと、悔いの残ることはありますか?

尾:中央では通算3勝で終わってしまい、特別レースをひとつでも勝ちたかったですね。それが心残りです。

-:ずっと笠松でやってこられましたが、ここでデビューしたことについてはどうでしょう。

尾:良いところもあり、悪いところもありという感じですかね(笑)。先輩は凄い人たちばかりだったので、そこで勉強できたのは良かったです。今は、調教師としてもっと良い競馬場にしていかないといけないと思っています。

騎手時代とは一変した日々

-:調教師になるまでに苦労されたことはありますか?

尾:調教師試験の勉強ですね(笑)。JRAの騎手試験と同じくらいガッツリ勉強しました。

-:開業にあたって牧場を回られたりしていたそうですが。

尾:馬を世話したことがないですから、大山ヒルズや、ノーザンファームしがらき、天栄と一流の施設へ行って、一流のトレーニング方法や一流の飼料を見て勉強しました。ここの昭和時代のトレーニングや飼料から脱却して、新たな風を吹かせないとダメだと常々思っていましたので。

-:一度で調教師試験に合格しましたが、発表を聞いた時のお気持ちは?

尾:体重のこともあって、もう1年騎手を続けられるかどうか心配でしたから、ホッとしました。何とか一発で受かりたいと思っていました。

-:厩舎を開業したのはいつですか?

尾:8月1日からですね。頭数が少なかったから、最初は競馬場側の厩舎でやっていて、頭数が増えてきたので、厩舎地区に回されて、それが8月半ばぐらいでした。7月31日の引退式の次の日に開業だったから、騎手の時から準備していましたよ。

-:では、そんなに慌てることもなく。

尾:最初は8頭と、慌てるほどの頭数はいなかったですね。準備といっても営業で大山ヒルズやしがらきに行ったり、それくらいですよ。あとは、早くやっておかないと間に合わないので、馬具を揃えるぐらいです。

尾島徹調教師

▲尾島師が力を入れる飼料


-:馬具を見させていただきましたが、色やロゴマークも揃えて、とても綺麗ですね。スタートからキチンとしようと考えていたのですか?

尾:そうです。少しお金を使い過ぎて、スッカラカンになってしまいました、フフフ(笑)。他の厩舎から借りたりはせず、馬具はみな新品で始めようと思いました。

-:やはり心機一転という心構えの現れですか?

尾:馬主さんも見ていますし、そこはシッカリしようと思いました。

-:最初は馬集めに苦労されると思いますが、実際はどうだったのでしょうか?

尾:いえ、オーナーの方々に「開業しますので、よろしくお願いします」と挨拶しましたら、運良くポンポン入れていただきました。ほとんどは騎手時代にお世話になった方々の馬で、今は14、5頭います。馬房も一杯になったら、空いている厩舎を借りる予定です。スタッフの腕も良いですからね。でも、調教師の腕が悪いので一杯になるかは分からないですよ、フフフ。


「(騎手時代とは)全然違いますよ。電話は多いですし『すみませんでした』という言葉を言わない日がないです。正直、騎手の時は『ダメだ、コレ。走らないわ』と思っていても『すみません』とはなかなか言ったことがなかったですからね」


-:騎手の時と調教師の時と、オーナーに対する関わり方は変わりますか?

尾:全然違いますよ。電話は多いですし「すみませんでした」という言葉を言わない日がないです。正直、騎手の時は「ダメだ、コレ。走らないわ」と思っていても「すみません」とはなかなか言ったことがなかったですからね。

-:毎日がガラリ一変されたと思いますが、尾島調教師の1日の流れを教えて下さい。

尾:朝起きたら、すぐ競馬場に行きます。スタッフが厩舎から馬を持ってくるので、自分も他の騎手と一緒に乗って脚元や状態のチェックをします。調教が終わったら厩舎を見に行きます。調教の前日にスタッフと相談をして、誰を乗せるか決めるのですが、控室にホワイトボードを置いて騎手がそれを見られるようにしています。

-:レースに使う、使わないという判断はほとんど主催者の番組任せですか?

尾:いや、けっこうローテーションに余裕を持ってくれるオーナーさんが運良くいてくれるので、馬の状態を見てからですね。申し込みだけをしておいて、使えそうなら使います。


尾島徹調教師インタビュー(後半)
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