関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

宮崎北斗騎手



プロフィール
【宮崎北斗】
1989年埼玉県生まれ。
2007年に美浦・高市厩舎からデビュー。
JRA通算成績は19勝(12/24現在)
初騎乗:2007年3月 3日 1回 中京1日 2R オリジナルカラー(3着/16頭)
初勝利:2007年4月21日 1回 福島7日 3R オリジナルカラー
■主な重賞勝利
・08年愛知杯(セラフィックロンプ号)

デビュー年に「民放競馬記者クラブ賞」を受賞。2008年11月に高市厩舎を離れフリーとなる。愛知杯でセラフィックロンプに騎乗し、重賞初騎乗初勝利の快挙を成し遂げた。




記者‐宮崎騎手、愛知杯優勝おめでとうございます。

宮崎-ありがとうございます!(競馬ブックの「リーディング・ジョッキー」を見ながら)このG3勝ちのところに「1」ってなっているのが凄く嬉しくて。

記者‐良い笑顔ですね。セラフィックロンプ、18頭立ての16番人気で。

宮崎-正直、勝てると思っていなかったです。セラフィックロンプは、去年のこの時期に500万を勝たせてもらって「良い馬だな、走るな」って思ったんですけど、その時と比べても更に良くなっていると感じましたね。稽古には乗ってなかったんですけど、パドックで跨って「馬格が出たな、成長したな」っていう印象で。それで返し馬でも折り合いピッタリだし、雰囲気が凄く良かったんです。でも周りのメンバーも強いし、まさか…って感じでした。僕、重賞に乗るのも初めてだったんで。今まで1000万クラスまでしか乗った事が無かったんです。1600万もオープン特別にも乗った事が無くて。

記者‐それがいきなり飛び級で重賞制覇ですからね。

宮崎-ゲート裏で先輩たちに「重賞だからキレイに乗れよ」とか「しっかり乗れよ」ってプレッシャーというかアドバイスを受けました(笑)。

記者‐重賞は他のレースと違いがありましたか?

宮崎-うーん、レースがキレイ…でしたね、うまく言えないですけど。先輩たちの技術の高さを改めて感じたというか。普段のレースよりもキレイに乗っているので、自分もそうしなきゃいけないな、と思って乗りました。

記者‐今回、愛知杯でセラフィックロンプに乗れると決まったのはいつ頃なんですか?

宮崎-中京開催が始まる前ですね。出走登録の段階で、武藤先生に「もし出走枠に入ったらお前に重賞を乗せてやる」って声を掛けていただいて。



記者‐楽しみだったでしょう。

宮崎-はい。登録もちょうど18頭だったんで「重賞乗れる!」って(笑)。

記者‐テンション上がりますね(笑)。先ほどのお話で、セラフィックロンプの調教に乗っていなかったという事ですが、それに対しての不安はありましたか?

宮崎-いえ。前にレースで乗っていましたから不安は無かったですね。その時の500万の勝ち方が強くて。あの馬には500万のペースでは遅すぎるんですね、ずっと引っ掛かりっぱなしでしたから。それだけ力が違うのに、ずっと内々を走れて、しかも前の馬がふくれたのでそこを突いて。本当に楽勝でした。

記者‐そのレースも中京でしたね。

宮崎-そうです。この馬、中京は凄く走るんです。左回りが合っているんでしょうね。

記者‐平坦も向きます?

宮崎-うーん、平坦がどうこうというよりは、馬場状態の方が大事だと思います。同じ平坦でも、福島みたいに馬場が荒れると良くないですから。中京は馬場が良かったんで。

記者‐なるほど。武藤(善則)先生から何か指示はありましたか?

宮崎-細かい指示は一切無かったです。「重賞初挑戦、頑張ってこいよ!少しでも見せ場を作ってこいよ」っておっしゃっていただいて。僕の推測ですけど、もしかしたらいろいろ言いたいのに、先生はあえて何も言わなかったんじゃないかなって思っているんです。武藤先生はそこまで僕の事を分かってくれているんだと思って、力を抜いて乗れました。

記者‐任された状態で、どんなレースプランを考えていましたか?

宮崎-外枠(15番)だったんで、先行して楽に良い位置につけられれば良いな、と思いました。

記者‐どの辺りから「イケる!」と思いました?

宮崎-そういう感じは無かったですね。3コーナーくらいでやたらと手応えが良かったんですけど、なにぶん今まで重賞で乗った事が無かったんで。僕の馬の手応えも良いけど、後ろにいる馬の方がもっと良い手応えなんだろうな、って。だから、出来るだけ後続を待ってから追い出して、少しでも上位に来れれば良いなと思っていました。それで直線に向いてからも、あまりにも手応えが良かったんで、ちょっとサーッと行ったら、先行勢をバーッと交わしちゃって。あんまり後続が来ていないのに早く先頭に立ったらイヤだな、ちょっと早く先頭に立ち過ぎたかな、と思ったんですけど。

記者‐そのまま馬場の外目を伸びて。

宮崎-大トビで走る馬なので、ノビノビと前に脚を伸ばして走らせてあげようと思って、外枠からスムーズに走らせたらあの位置になりました。

記者‐内のチェレブリタは見えました?

宮崎-ゴール直線になって「あ、来たな!」っていう感じで。でも「あれ?来ているのはこの一頭だけ?」と。

記者‐ゴールした瞬間は?

宮崎-勝ったかどうか分からなかったです。最後は差されたかな、と思ったんですけど凌いでくれて。

記者‐確定した時はどうでした?

もう放心状態でした。何か、夢の中にいるという感じで。

記者‐勝利騎手インタビューは落ち着いて受けている様子でしたが。

宮崎-あんまり浮かれているとカッコ悪いような気がして、ちょっと気取ってインタビューを受けまして(笑)。「冷静に乗ってきましたよ」みたいな顔を装って、クールに答えようと、…キャラを作りました。

記者‐その気取りキャラ、周囲の反応はいかがでした?

宮崎-「お前、顔がコワい」って言われました…。



記者‐笑)いざ重賞を勝ったら、インタビューでこんな事を話そう、とかこんなガッツポーズをしよう、とか構想はありませんでしたか?

宮崎-そういう妄想は常にしていますね。今回は際どい勝負だったんで「勝っていないのにガッツポーズしたらカッコ悪いよなー」とか考えているうちに、ガッツポーズするタイミングを逃しました(笑)。

記者‐残念ですね(笑)。

宮崎-それが今回の一番の反省点です(笑)。もうちょっと、ガッツポーズが出来るくらいの余裕で乗るのが理想ですね。 でもホント、コース適性はピッタリだし、展開も向いたし、馬も具合良く仕上げてもらって、良い時に乗せてもらえたなと思います。あと、愛知杯を使った武藤先生の判断は凄い、と思いましたね。

記者‐お世話になっている武藤先生の管理馬で結果を出せて、喜びもひとしおでしょう?

宮崎-はい。武藤先生にはデビューしてからずっと、フリーになってからも面倒を見てもらっちゃって。しかも重賞まで乗せていただいて。

記者‐恩返しが出来たんじゃないですか?

宮崎-いえ、自分の力というより、もう「勝たせていただいた」という感じだと思っているんで、恩返しだなんて。そんな偉そうな事は言えないです。

記者‐武藤先生は、宮崎騎手の師匠である高市(圭二)先生とも繋がりがおありで。

宮崎-武藤先生は高市先生のところで技術調教師をされていたんです。その関係もあって、たくさんレースに乗せていただいたりして凄く可愛がっていただいています。もちろん師匠の高市先生にも、フリーになった今もいろいろ助けていただいています。競馬だけじゃなくて、昨日も一緒にボクシングの世界戦(内藤大助VS山口真吾)を見に行きましたよ。高市先生、ボクシングが大好きなんです。試合を見終わって一緒に車で帰って来て。楽しかったです。

記者‐良い関係ですね。ちなみにフリーになったキッカケは?

宮崎-僕、今年は騎乗停止を2回やって、結構どん底だったんですよ。今は、減量特典が終わった時に名前が売れていなかったら乗り鞍が無いっていう時代じゃないですか。これまで全然勝てていないし、このまま減量が切れたら高市厩舎のお荷物になってしまう、という気持ちがあって…。そういう思いと「一回、心機一転してやってみたい」という思いがあって。

記者‐それで先生にその気持ちを話して。

宮崎-凄く複雑でした。フリーになろう、と決めてから1週間くらい言い出せなかったですね。

記者‐宮崎騎手のお話を聞いた高市先生の反応は?

宮崎-「お前がそう言うなら頑張ってみろ」と。

記者‐フリーになって、周囲の目が変わったような感じはします?

宮崎-うーん、どう思われているか分からないですけど「フリーになるのはまだ早いんじゃないか」みたいな事を言われた事もあります。確かに厩舎に所属している時より、いろんな面で厳しくなると思いましたけど、このまま恵まれた環境に甘えていると自分の意識も変わらないし、向上しないと感じていたので…。決めました。

記者‐ショック療法のような。

宮崎-それもありますね。何かを変えたかった、という。

記者‐「今の若手ジョッキーは大変だ」という話をよく耳にしますが、まさに当事者である宮崎騎手はどう感じていますか?

宮崎-厳しさは感じています。「このまま行ったらどうなっちゃうんだろう?」という不安は常に抱えていますよ。ただ、「大変」かというと…、自分がそう言えるだけの、極限の努力をしているかといえば、まだやり切れていないんじゃないか、という気持ちがあります。もっとレースを観て勉強する時間もあるだろうし、トレーニングや厩舎の営業回りも、もっとやらなきゃいけないという罪悪感みたいな気持ちもありますね。でも、フリーになってからは自分の為に使える時間が増えたから、よりそういう所に力を入れていきたいですね。

記者‐他にも勝ち星を伸ばす若手ジョッキーもいますしね。

宮崎-そうですね。自分が、勝てる馬に乗せてもらっているのに勝てない時に、周りが結果を出していって。やっぱり焦りというか素直に喜べない、悔しい気持ちもありました。でも、そんな事ばかり気にしていても自分に良い影響は無いので、常にプラス思考でいるようにして。

記者‐苦戦の時期を過ごして、重賞を勝って。

宮崎-本当に良い馬に乗せていただきましたね。

記者‐セラフィックロンプは今後どうするんですかね?

宮崎-中京記念に行く、と聞きました。やっぱり中京巧者ですから。

記者‐中京記念も勝ったら賞金的にもG1に出られますよね。

宮崎-そうですね!G1でも乗せていただけるように、早く30勝したいです!

★取材日=08/12/24
★取材場所=美浦・南スタンド