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高野友和調教師

高野友和調教師


今年3月に晴れて、栗東トレセンに厩舎を開業した高野友和調教師。
数々の名馬を輩出し、競馬界の中でも指折りともいえる、話題の厩舎である松田国英厩舎でのエピソードや、競馬界に足を踏み入れたキッカケ。また、東日本大震災の影響下で緊迫した状態が続く、自身の出身地・福島についても語っていただいた。


競馬・乗馬に捧げた学生時代

-:厩舎開業おめでとうございます。早速ですが、まず、先生が競馬の世界に踏み入れるキッカケから教えて頂けますか?

高野:僕は福島県出身で、近くに競馬場がありました。親は一切、競馬を知らなくて、何も意識せずに育ったんです。中学の時にスーパー競馬オタクが転向してきたんです。彼と僕は凄く仲が良くて、当然影響されて観始めたわけです。
バンブービギンが(1989年の)菊花賞を勝ったレースが、初めて映像で観たレースだったんですけれども、小さい頃から、「生き物が好きでスポーツも好き」。つまり、バッチリ競馬がハマったわけですね。

そこから一気にのめり込んでいって、「競馬って面白いな」と、思うようになり、福島高校の時は学校から競馬場が自転車で5~6分だったので、よく観に行っていました。勿論、馬券は買っていませんよ(笑)。
その高校が在校生は全員、大学に行くような進学校だったんです。学校がそういう雰囲気なので、当然、僕も「じゃあ、大学に行こうか」という事になり、「どうせなら動物がいるところがいい」と、思い、国立の帯広畜産大学という学校を受けました。

当時はJRAが寄付校として、総合馬学講座という講座を開設していたんです。馬の勉強が出来る唯一の大学という事を前面に出して宣伝していまして、「そこだな」と、受けたところ、運よく入れまして…。しかし、総合馬学講座は3年生から入れるんですが、僕は1年生から馬術に没頭したために、結局、そこに入らなかったんですよね。


-:でも、馬術に傾倒したことは、今に繋がっているわけですよね。

高野:大学はもう、勉強というか馬術部に捧げましたからね。

-:馬術というと、乗馬未経験から始めると、相当なハンデじゃないでしょうか?

高野:うちの大学は実績も伝統もあるんですけれども、もともと(馬術の)素人が入ってきて、監督・コーチがいないので、全部自分達でやらなくちゃならないんです。
だから、東京の大学はヨーロッパから乗馬馬を買ってきてやっていますけれども、うちらはサラブレッド上がりを自分たちで調教してやっていますので、そういう意味では成績は出辛いですけれども、とっても遣り甲斐のあるいい環境だったのです。僕の今の基礎は帯広畜産大馬術部にあると思います。


-:そこの学校出身で、今、有名なホースマンはいらっしゃりますか?

高野:調教師は僕しかいないです。厩務員にまで目を広げるとけっこういますが、有名な方でしたら、シンボリ(の冠名でお馴染みの生産者・馬主)の和田社長は先輩です。あとは社台グループの中枢を担っている方に多いですね。

-:その大学を出たあとは、どこへ所属されたのでしょうか?

高野:大学時代からノーザンファームに凄くお世話になっていたので、先輩でノーザンファームの方に「お願いします!」と、頼んで、自然な流れでノーザンファームに3年間過ごしました。

-:その時はどんな馬に携わっていたのでしょうか?

高野:当時、僕はノーザンファーム空港牧場にいたのですが、GⅠを勝った馬だったら、ステイゴールドやツルマルボーイ。重賞を勝った馬でしたら、けっこうな数はいましたね。ミレニアムバイオ、クラフトマンシップ、クラフトワーク、サイレントディール、クワイエットデイ、バランスオブゲーム、ロサード、サンプレイス…。山ほどいました。いわゆる、預託馬の一流馬も沢山触る事が出来ましたので、本当にいい経験をしました。

-:スーパーカーを間近でみたような感じでしょうか。

高野:早来の本場の方が超一流馬がいたので、ちょっとは質が落ちるんですけれども、それでも十分でした。今、池江泰郎厩舎のスタッフがウチの厩舎にはいるのですが、空港牧場には池江厩舎の預託馬も多かったんです。ステイゴールドやサンプレイスなど、スタッフと共に所縁のある馬もいましたから。

-:それ以降は競馬学校に入られたんですか?

高野:当時、ノーザンファームでは3年間勤務しないと、競馬学校を受験してはいけない決まりがありまして、3年経って試験を受けたら、一発でうかってしまったんです。最初、ノーザンファームに入る時もトレセンに来ようという意識はなかったのですが、牧場で仕上げて、「このあと、どうなるの?」って興味が湧いてきて…。一回、最前線に行くとしたら、トレセンに行くしかないので、競馬学校を目指したんです。そこから、運よく松田国英厩舎(以下、マツクニ厩舎)に入れたんです。

-:厩舎にはどんな馬がいた頃にいたのでしょうか?

高野:タニノギムレットがダービーを勝った直後に厩舎に入ったんです。ギムレットが函館から栗東に来る時の馬運車にも一緒に乗ってきました。

昨年のNHKマイルC時(ダノンシャンティが優勝)


ダイワスカーレット、キングカメハメハ...etc.
一流馬揃いの松田国英厩舎在籍時代

-:続いて、松田先生の下に居られた頃のエピソードも教えて下さい。

高野:話題が豊富な厩舎でしたからね…。何か具体的に馬名などを挙げて頂けたら、答えられると思います。

-:桜花賞が間近ですので、桜花賞を制したダイワスカーレット(07年桜花賞・08年有馬記念など、GⅠ級4勝。通算12戦オール連対と歴史的な活躍をみせた)のエピソードをお願い致します。

高野:僕は涙脆い方ではあるんです。競馬でもオグリキャップの有馬記念で涙したし、映画でも造り手が「ここで涙するだろう」と、演出したシーンで涙するような男なんですけれども、あの桜花賞ほど、人生で心から感動して、涙した事はなかったですね。阪神競馬場でレースを観ていたんですけれども、直線は狂ったように叫びました。

-:それは、ウオッカというライバルの存在もあっての事ですか?

高野:やっぱり、人気はウオッカで1倍台の単勝オッズ。そして、ウチは3番人気だったんですけれども、正直、自信はなくはなかったんです。前哨戦のチューリップ賞は負けたけれども、世間で言われていたような差はないと思っていましたし、(レース中の)手応えも絶好でした。直線に向いてからは…、興奮しました。当時、周りにいたマツクニ厩舎のスタッフは、みんな覚えていると思います。「高野さん、狂ったように叫んでいましたね」って(笑)。

それに、斉藤さんという(ダイワスカーレットの)厩務員がいて、僕と同じ時期にマツクニ厩舎に入ったんです。その斉藤さんは最初、競馬にならないような難しい馬ばかりやって、凄く苦労していたんです。その経緯もあり、余計に感動した事を覚えています。


-:沢山あると思いますが、それ以降のダイワスカーレットのエピソードはありますか?

高野:あの馬は社台ファーム生産馬で、同じ日に父がフレンチデピュティ、母がフサイチエアデールという血統で、アステリオンというノーザンファームの生産馬が入ってきたんです。片や社台ファーム、片やノーザンファーム。それでいて、アステリオンはPOGの本などに「女・ディープインパクト」なんて、書かれていまして。
大体、入厩する時って、申し送り書という牧場から一言、コメントされたものが添えられてくるんです。そこに社台さんが一言書いたのが「アステリオンには負けません!」って、書いてありました(笑)。実際、函館で初めて乗った時から、「これは大物の気があるな」と、それは凄く感じていました。初めてコースで15秒-15秒をアステリオンと併せて、僕が乗せてもらったのですが、走りが全然違いました。伝わってくる雰囲気が違うんですよ、これは新馬のモノじゃないと。


-:先程のチューリップ賞の話題ですが、あれはタメれば、どこまで伸びるかを試した一戦だったのでしょうか?

高野:そうかもしれません。結果的にそうなったのかもしれませんけれど。

-:でも、その一戦があったから、桜花賞に繋がったわけですよね。

高野:そうだと思います。伸びなかったので、自分の競馬を桜花賞でしようという事になったわけでしょうから。あのチューリップ賞の一戦は、その後のスカーレットの方向性を決める一戦だったと思います。あそこにウオッカが出ていなかったら、違うスカーレットになっていたかもしれませんし。

-:ダイワスカーレットは、フェブラリーSに出ていたら、どうなっていたと思いますか?
(4歳時、5歳時と2度フェブラリーSに登録するも、アクシデントにより出走回避。5歳時はレース前に屈腱炎を発症し、引退の運びとなり、ダート戦を走ることなく引退した)


高野:わからないけれども、前にいけるスピードもありましたし、中にいた我々は全く問題なかっただろうと思っていました。

-:今のドバイだったら、なおさらだったかもしれませんね。

高野:オールウェザーもこなせたでしょうね。

-:いま、種牡馬として活躍しているキングカメハメハ(04年のNHKマイルC・日本ダービーなど変則2冠、重賞4勝。現在は種牡馬として大活躍)の現役時代もご存知だったと思います。

高野:見ています。函館の入厩から知っていますよ。あの時、はじめはそこまで大物になるとは感じなかったんです。今でも凄いですけれど、あの世代のマツクニ厩舎は凄い馬揃いで、その中の一頭という感じでした。あれは本当にドンドン良くなっていた馬でしたから。

高野友和調教師インタビュー(後半)
「キングカメハメハとのエピソード」「故郷・福島へのメッセージ」などへ→

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【高野 友和】 Tomokazu Takano

1976年福島県出身。
2010年に調教師免許を取得。
2010年に厩舎開業。
JRA通算成績は1勝(11/4/3現在)
初出走
11年3月6日 2回小倉4日目1R ホクザンヴィリル(6着)
初勝利
11年3月20日 1回阪神8日目7R エーシンジャッカル 延4頭目


県下随一の進学校福島高校出身。 帯広畜産大で馬術を学び、ノーザンファーム空港牧場に勤務。その後、JRA競馬学校厩務員過程を経て、2002年7月から栗東・松田国英厩舎に所属。
松田厩舎在籍時代はダイワスカーレット、キングカメハメハ、ダノンシャンティ、ダイワエルシエーロら名馬揃いの環境の中で8年間従事し、昨年、見事、調教師試験に合格した。
競馬以外ではプロレスファンで、特に全日本、NOAHのファン。
なお、厩舎の調教服のモチーフは「師匠である松田国英厩舎のオレンジです。声を大にしては言えませんが、黒とオレンジは(プロ野球の)ジャイアンツのカラーである事は否定しません(笑)」。