関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

高野友和調教師

高野友和調教師


-:そのキングカメハメハのエピソードを教えていただけますか?

高野:カメ(キングカメハメハ)は伊藤稔さんという、元騎手の攻め専がいたんです。今は野中さん(賢二厩舎)のところで持ち乗りをやっている方で。クロフネやタニノギムレットなど、一流馬の背中を知る攻め専が、新馬前に本馬場で追い切った時に、マツクニ厩舎は必ずレポートを書くんですけれども、「これ程の馬に乗ったのは久々です!」と、当時、目立たなかったカメを評していた事が忘れられないですね。
「そうなんだ」と、思っていたら、蓋を開ければあの活躍でしたからね。伊藤さんも流石でしたし、同世代で入ってきた馬には、アメリカのセリで、140万ドルで競り落とされた馬もいましたし、ダイワエルシエーロ(04年のオークス馬)などもいましたから。師匠は心の中では抜けていると思っていたのかもしれませんが。あの馬の成長には驚かされました。


-:産駒の形は似ていますか?

高野:似ていますね。お尻が全部カメハメハ、見るからにそうですよ。お尻の肉付きの形が正方形の馬が多いです。あれはカメの現役時代もそうでしたから。カメの妹でレースパイロットという馬がいましたが、あれも正方形のお尻をしていました。ウチに今いるミッキーハンターという馬は、カメの兄弟の子供なのですが、同じ尻をしていますから。これはキングマンボというより、母系・(キングカメハメハの母の)マンファスの血なのかと思いますね。

-:産駒の傾向として、産駒は気性的には燃えやすいタイプに思えますが、キングカメハメハの現役時代はどうでしたか?

高野:カメはオン・オフがハッキリしている馬でしたね。馬房では扱い辛い馬ではなかったです。どこへ行っても、競馬場に行っても落ち着いてはいましたね。ダービー前もあの大観衆の前で落ち着いていました。
「ダービーを勝つには、これだけ堂々とした精神力が必要なんだな」と、思わされたものです。そう考えると、レース前もかなり激しくイレ込んでいながら、GⅠを勝ったダノンシャンティ(10年NHKマイルC)も凄いと思いますし。


-:シャンティは有馬記念の時も(返し馬の際に)ラチをバコーンと蹴飛ばしていましたね(笑)。

高野:あの時、僕が曳いていたのですが、危なかったです。あそこに行くまでジョッキーを3回振り落していましたからね。でも、あれでは流石のベリー(フランシス・ベリー騎手)には乗れないですね。紳士的なベリーが、あの時だけは怒っていました。

-:馬と人でやりあってしまったケースですね。

高野:馬も人も怒っていました(笑)。その点、アンカツさんは穏やかですね。僕はNHKマイルCの時も曳いていて、かなりイレ込んでいたのに、上がってきたアンカツさんの一言が「いやぁ~、馬が大人になっていたねぇ」って(笑)。

高野師が身にまとっているのが、黒とオレンジのコントラストが印象的な厩舎の調教服

-:フサイチホウオー(06~07年と重賞を3連勝、07年の皐月賞3着)はどうでしたか?

高野:皐月賞を勝っておけば…、と、悔いが残るところもある馬でした。勝てたレースでしょうし、皐月さえ勝っていれば、ダービーがあの結果でも勲章は持っていたわけでしょうし…。肉体的にはずっと幼い面を持っていて、筋肉がなかなかつかないような馬で、先生も担当者も苦労していました。ただ、心肺機能は素晴らしかったですよ。

-:それはエサや内臓面の問題ですか?

高野:食いはいいんですけれども、体がなかなかボリュームアップしてこないというか。

-:マツクニ厩舎は「ボリュームがあってこそ、馬っぷりのマツクニ」という印象があります。

高野:食いはいいんです。もともと入厩してきた時の肉付きが悪かったので…。あの馬も函館に入厩して、当時、僕が見た時もあそこまで行くとは思いませんでした。先生や担当者・攻め専はそう思っていなかったのですが。ダービー辺りから、リズムを崩してしまいまして、そこから立て直せなかったのも反省するところです。

-:高野先生からみて、松田先生はどんな人だったでしょうか?

高野:エピソードは満載ですが、もう仕事には厳しいですよ、妥協は一切しない。僕らも妥協は許されないので、毎日、びっしり馬と向き合いました。人生、馬に捧げている人だと思います。もう、還暦を迎えましたけれど、全エネルギーを馬に注いでいて、「この人、一体、いつ寝ているんだろう?」というくらいです。


故郷・福島へのメッセージ

-:そして、3月から厩舎を開業されましたが、ファンがわかる範囲内で松田先生から受け継ぐ部分はありますか?

高野:基本的に「よく食べて、よく動かす」です。僕もどちらかといえば、マツクニ先生の馬のようなムキムキ体型が大好きなので、イメージはそうなると思います。
あと、マツクニ厩舎って、どうしても故障のイメージはついて回ってしまいましたが、「そこまでしてもGⅠを獲りに行くんだ」という姿勢は見習いたいです。スポーツ選手なので、鍛えないと勝てない世界ですから、そこは妥協したくないですね。


-:高野先生が好きな血統はありますか?

高野:フジキセキが好きですね。サンデー系だけれども、肉付きが良くてムキムキ系。それでいて、馬によっては柔らかみもあって、僕自身、フジキセキの仔でいい思いをさせてもらっていますから。

思い入れのあるフジキセキの仔で厩舎の初勝利も挙げた

-:それはダノンシャンティなどですか?

高野:シャンティもそうですし、厩舎の初勝利を挙げてくれたエーシンジャッカルもそうです。来週、重賞に使ってみますけれども(ニュージーランドトロフィーに出走し、見事、2着となり、NHKマイルCの権利を獲得した)。

-:現在のスタッフはどこにいた方々が集まったのでしょうか?

高野:池江泰郎厩舎から4名で、野元厩舎、坂口正大厩舎から2名ずつですね。実績持ちの経験者揃いです。非常に信頼出来るので、そこは助かります。

-:一歩間違えば、勝手にやってしまうような人達じゃないですか(笑)?

高野:そこは大人ですから、すごく協力的で助かっています。

-:勝ちたいレースなどはありますか?

高野:オーソドックスにいえば、ダービーや凱旋門賞と挙げられますけれども、今後、出来るかどうかわからないですけれど、地元・福島の重賞を勝ちたいです。

-:そうですね…。今は福島も大変な状況です。

高野:いずれ、それが出来るような復興を願いたいです。

-:取材をさせて頂く前に、メディアの報道でも高野先生が福島出身で、色々大変な状況である事を拝見しましたが、地元・福島や震災の被災者へ向けて、応援メッセージも頂けますか?

高野:軽々しい言葉で言えないような状況ですよね。ニュースを見ていると、涙が出てくる毎日です。津波や原発の近隣の地域は報道されていて、酷い状況である事はわかりますけれども、内陸地もかなり大変な状況でしょうから。本当に日本全体で「日本力」というものを出して、復興してゆけたらと思いますが…。福島の友達の話を聞いても、かなり酷いと聞いていますので。

-:先生も開業したてで、こんなアクシデントでなおさら大変ですよね。

高野:僕も一つの責任者として自分の仕事で手一杯で、弱小厩舎としては競馬もなかなか使えない状況ですからね。ない頭を振り絞りながら、なんとか頑張っていますけれども…。スタッフが本当に優秀ですからね、協力し合って頑張って行きたいです!

-:長い時間、インタビューにお答え頂き、ありがとうございました。地元・福島を盛り上げられるようにご健闘をお祈りいたします!

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【高野 友和】 Tomokazu Takano

1976年福島県出身。
2010年に調教師免許を取得。
2010年に厩舎開業。
JRA通算成績は1勝(11/4/3現在)
初出走
11年3月6日 2回小倉4日目1R ホクザンヴィリル(6着)
初勝利
11年3月20日 1回阪神8日目7R エーシンジャッカル 延4頭目


県下随一の進学校福島高校出身。 帯広畜産大で馬術を学び、ノーザンファーム空港牧場に勤務。その後、JRA競馬学校厩務員過程を経て、2002年7月から栗東・松田国英厩舎に所属。
松田厩舎在籍時代はダイワスカーレット、キングカメハメハ、ダノンシャンティ、ダイワエルシエーロら名馬揃いの環境の中で8年間従事し、昨年、見事、調教師試験に合格した。
競馬以外ではプロレスファンで、特に全日本、NOAHのファン。
なお、厩舎の調教服のモチーフは「師匠である松田国英厩舎のオレンジです。声を大にしては言えませんが、黒とオレンジは(プロ野球の)ジャイアンツのカラーである事は否定しません(笑)」。