角田晃一“調教師”が登場!
2011/10/2(日)
角田晃一調教師
-:角田先生は鳥取県出身ですね。あまり馬には縁のない土地のように感じるのですが実際はいかがでしたか。
角:はい、僕の育ったところは競馬や馬とは全く関係ないところです。しかも、今は競馬学校を目指す準備として乗馬を習ったりして小さい頃から馬に触れていますが、僕らのは時代は違いましたからね。競馬学校に入るまで馬に乗った事もなかったんですよ。
-:角田先生が競馬学校に入られた当時は、どんな基準で騎手候補生を選んでいたんですか。
角:あの頃は“運動神経”とか“体重”くらいで、あまり厳しい条件ではなかったんですよ。
-:その後、渡辺栄厩舎所属としてデビューしてからの活躍は今の若手でもいないほどの目覚ましさでした。ちょうど渡辺厩舎の成績が伸びようとする時期に角田先生が所属になり厩舎成績と角田先生の成績が相乗効果で伸びて行きましたね。
角:渡辺先生は坂路調教の草分け的な方でした。デビュー時からいい馬にたくさん乗せていただいて運の良い騎手人生だったと思います。でも運が良いだけでは勝てないのが競馬。やっぱり努力は欠かせませんでした。
2010年2月28日の引退セレモニー
-:騎手・角田晃一というと天性の勘を持った騎手という印象がありますが、努力もしていたんですね。
角:しましたよ(笑)。勝つためには何が必要かちゃんと考えて乗っていました。特にGⅠに向けて馬を仕上げていく段階では、レースに行って勝てるような調教を考えて乗り準備をしていました。単にレースに乗るだけではなく日々の積み重ねがあったから大きなレースを勝てたんだと思います。
-:GⅠを10勝し先生にとって、今まで一番しびれた馬はどの馬でしたか。
角:ほんとうに多くの馬に乗りましたからね。短距離馬も中距離馬も牡馬も牝馬もいろいろ乗りました。その中で一番乗っていてゾクゾクしたのはフジキセキでしょうね。フジキセキの背中の柔らかさ、乗った時の感じは今も忘れられません。素晴らしい馬でした。
-:やはりフジキセキですか。フジキセキの話はもっと聞きたいところなんですが朝日杯FS前にもう一度取材させてください。
角:わかりました。それまでによく思い出しておきます(笑)。
-:その後も騎手として活躍されたわけですが、具体的に調教師を目指そうと思ったのはいつ頃からですか。
角:ちょうど渡辺厩舎が解散した頃に考え始めたんです。僕が34か35歳くらいでした。騎手人生が18年から20年として、自分が40歳になった時にどうするか?って。それで調教師になろうと決めたわけです。
-:昔と違って今は厩舎経営もたいへんだと聞きますが、それでも調教師という仕事には魅力があったんですね。
角:騎手時代から調教に乗っていて「こうしたら良いんじゃないか?」という個人的な思いがありました。もちろん当時はその馬を管理する先生の指示に従うわけですが自分ならこう仕上げるな、そう思いながら乗っていました。だから、いつかは調教師になって自分の感覚で馬を仕上げたいという思いはあったんです。
-:しかし、騎手として競馬に乗りながら調教師試験の勉強をするのはたいへんだったと思います。
角:勉強が好きな人なんていないでしょう(笑)。勉強するうえで一番たいへんだったのは“書く”ことです。普段、騎手として生活していると紙に文字を書くこと自体、なかなか無い事なので苦心しました。それに騎手と調教師試験を両立するのは無理があると思いました。今の乗鞍や勝ち星を減らしてでも勉強に集中しようと思わないと受からない。試験はちょうど今頃なので夏はあまり競馬に乗らず試験に集中するつもりでいました。
-:ところが夏に活躍してしまった?
角:そうなんですよ(笑)。結局、一次試験は4回目で受かりましたが、2年目はサマージョッキーシリーズで優勝してしまいました。そのおかげでワールドースーパージョッキーズシリーズにも出られましたし、3年目にはアントニオバローズの活躍でダービーに出ました。アントニオバローズは極悪馬場のダービーで3着と頑張ってくれました。自分の思惑とは裏腹に、勉強しようと思っていた夏場に稼いでしまったんです(笑)。
-:4年目で一次試験を合格して二次試験に進むわけですが、二次試験ではどのようなやりとりがあるんですか?
角:面接官も僕の人間的な面は騎手時代からわかっていますから、経営者としてどうか?とか組織をまとめる力があるか、馬主の方に対してどう接するか、厩舎スタッフとうまくコミニュケーションがとれるか、などを問われました。
-:騎手時代、数多の活躍馬に乗った経験から調教師・角田晃一を応援してくれる馬主さんも多かったのでは?
角:ほんとうにありがたい話です。騎手時代に乗せて頂いた馬主さんから「調教師になっても応援するから」と声をかけて頂きました。今の厳しい時代の中で、応援してくれる馬主さんにはほんとうに感謝しています。その思いに報いる為にも結果を出さなくてはいけませんね。
-:今年の夏に行われたセレクトセールでも先生の姿を見かけました。落札希望馬の歩様をチェックされていましたね。
角:セレクトで朝一に馬をチェックしていたのは、いわば最終確認です。それまでに希望馬を何度も見ていますから「最終的にこの馬で良いのか?」自分自身に問いかけていたんです。ある程度仕上がった若馬を騎手として乗って判断する感覚はあります。しかし当歳や1歳馬の体や歩様を見て“走る馬”かどうか判断するのは非常に難しい事なんです。歩様や馬っぷりが良いだけでは走らない。逆に脚が曲がっていても走る馬もいる。騎手時代にそういう経験は散々しましたからね。何が走るのかわからないから、馬を見るのも必死ですよ。最終的には自分の好みや馬の雰囲気も含めて馬を選んでいるんです。
-:先生自ら選んだ馬や応援してくれる馬主さんから預かった大切な馬をどう管理していくのか?これもまた非常に難しい課題だと思います。角田厩舎の調教スタイルがあれば教えてください。
角:調教をパターン化する気はありません。個々の馬に合わせて個別の調教をしています。厩舎スタッフにとっては今までいた厩舎のやり方と違うので慣れるまではキツイと感じるかもしれません。しかしそれが当り前にならないと厳しい時代に生き残れません。
-:角田厩舎のスタッフは大変そうですね。
角:厩舎開業時に集まってくれたスタッフは皆やる気があって向上心にあふれています。僕がスタッフにお願いしたのは「馬のためになるアイデアがあれば何でも言ってくれ」という事です。人間が楽する為の提案は受け付けません。競馬の主役は馬ですから、「こうした方が馬にとって良い」そういう気持ちをスタッフみんなが忘れずに馬と接していきたいです。
-:角田厩舎におじゃまするとスタッフ同士が馬について話し合っている事が良くありますが、先生の話を聞くと納得できますね。それにスタッフの方が皆明るいのも良いです。
角:どんな仕事でもそうでしょうけれど、満足したらそこで成長は止まるんです。馬作りに満足してはいけない。もし馬作りに満足してしまったら厩舎の成績も止まる。そういう危機感を持って、馬のために日々努力するだけですよ。それがスタッフのやりがいにもなるし、馬造りが人造りにつながっていくんだと思っています。
-:厩舎全員で馬の事を考えながら育てていく。毎日変わる馬の状態を見ながら効率化を図る、ということですね。
角:そうですね。少ない馬房数ですから効率よく馬の入れ替えをしなければいけない。状態の良い馬をレースに使えるよう上手く入れ替える。簡単なようで実際やってみると難しいんですけど、それが馬のためでもあり、オーナーのためでもあるんですよ。
-:最後にこれから走って来そうな2歳馬について教えて下さい。
角:パトロネージュは馬っぷりの良いMr.Greeley産駒です。新馬戦は少し夏負け気味の影響もありましたが、これから楽しみな一頭です。他にもウォーレンバローズは血統的にも魅力ある馬です。なんせこの馬の母リングレットはエアグルーヴの全妹なんです。ダイナカールの血が出てくれると良いのですが。芝の長い所があいそうな馬です。もう一頭、アントニオピサは兄が松田博厩舎のタイムズアロー(鳥取特別1000万下3着)です。母のサンデーエイコーン自身は芝の方が走りましたが、兄同様、この馬もダート向きだと思います。ほかにも紹介したい馬は多いですが、現時点ではここまでにしておきます。
-:角田先生の恩師である渡辺栄先生からは調教師として何かアドバイスをもらっていますか。
角:渡辺先生は控えめな方ですから多くは語りません。僕の管理馬が勝った時には必ず電話で「おめでとう」と連絡してくれます。この間、2歳の新馬戦でアースパイプがハナ差の2着だったのですが、その時も電話してくださって僕をなごませてくれました。引退した先生が僕の厩舎を気にかけてくれるだけでありがたい。とても感謝しています。
-:騎手時代から応援しているファンも多いと思います。これからも頑張ってくださいね。今日は長時間いろいろな話をお聞かせ頂いて本当にありがとうございました。
角:こちらこそありがとうございました。厩舎スタッフ一丸となって取り組みますので、応援よろしくお願いします!
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栗東の渡辺栄厩舎所属として騎手デビュー。89年のデビューイヤーに43勝を挙げ、同年のJRA賞で最多勝利新人騎手として表彰されると、翌年のエプソムC(サマンサトウショウ)で重賞初勝利。3年目には桜花賞(シスタートウショウ)で初GI制覇。 |