関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

吉澤克己社長

名馬はみんな印象が強烈

-:ちなみに、乗りやすさでいうと、タニノギムレットは乗りにくい部類に入ると思っていました。タニノギムレットの吉澤ステーブル時代について、聞かせてください。

吉:タニノギムレットもウメノファイバーもゴールドシップもみんな強烈な馬でした(笑)。みんな扱いが大変。ただ、ギムレットは競馬場に入厩してから性格が変わったような気がします。育成牧場にいる間は大人しい馬だったんですよ。ノソノソと歩いていて、誰にでも乗れるような大人しい馬でした。

-:それは良いことなんでしょうか?

吉:正直、当時は本当に走る馬になれるかなと思っていました。

-:牧場などで評判の良い2歳馬というのは、性格が前向きで時計も出る馬なんですね。でも、トレセンに行って、環境に馴染んで、牧場よりも強い調教をクリアして、精神的にへこまないか?と言ったら、そうでないことが多い。むしろ、牧場時代に目立たない、ボケッとしている性格の馬がトレセンに入ってから変わる。そういうことは良くありますよね。

吉:馬は分かりません(笑)。いろんなタイプの馬がいますから。例えば、ウメノファイバーは本当に小さかったんです。360キロぐらいで牧場に来ましたからね。だから、全然期待をしていなかった。タニノギムレットだって、育成時代は大人しすぎて大きな期待はしていなかったんです。

-:オークス馬のウメノファイバーも難しい馬だったんですか?

吉:ウメノファイバーは体が小さいのに乗り手を困らせるほど元気が良かったです。当時は従業員が6人ぐらいいましたけれど、ウメノファイバーは僕しか乗れませんでした。いま現役のゴールドシップだって、WESTの従業員で、乗れるのは3人くらいです。“乗れる”というのは“安心して見ていられる”って意味です。そういう乗り手は少ないのが実情です。ギムレットは一番楽でした。立ち上がったりすることはありましたけれどね。そういえばタニノギムレットは、2歳の新馬戦を2着になったあと、札幌競馬場で尻尾の骨が折れたんですよ。

競馬場でグネって、尻尾の骨が根元からプッツリ折れてしまい「競走馬として復帰できないかもしれない」と言われていたんです。札幌から浦河の吉澤ステーブル本場に帰ってきても、尻尾が上がりませんでした。馬はボロをする時には尻尾を上げるんです。でも、ギムレットは尻尾の骨が折れてしまったから、ボロをする時も尻尾を上げられない状態でした。腰もフラフラで、コレは競走馬にはなれないんじゃないかと思いましたよ。

でも、シャープペンシルの芯で尻尾の先を突いたら、ちょっとだけ動いたんです。“これはちょっとはついているな”と思いました。札幌の新馬戦(2着)を見れば走るのは分かってたので、その後はずっとスーパーライザー(直線偏光近赤外線治療機器)をあてていました。あそこから立ち直れたのはギムレットの生命力の強さだと思います。彼の治癒力、回復力の強さで何とか尻尾を治し、復帰させることができました。


-:その話は知りませんでした。わずかに付いていた骨を治すのに専念した時期があったんですね。

吉:そうなんです。その後、管理する松田国英先生と協力して一生懸命、良い馬にしました。松田国先生も心配して毎週、北海道に来て下さいました。

-:そういう苦難を乗り越えてダービーを勝ったんですね。

吉:治療の後、シンザン記念に間に合いました。あの馬も始めは、函館に入厩しましたので、早い時期から競馬を目指して調教していた基礎がありました。だから、結果的にダービーに間に合ったのかもしれません。

-:逆に早い時期から入厩できるコンディションを作っていたとも言えるんでしょうか?

吉:ギムレットは普通の馬よりは成長が早かったんですよ。



-:なるほど。色々な活躍馬を出されてきた歴史を振り返ると、吉澤社長は凄く中身の濃い人生ですね。平成6年に開業されてから今年で19年になります。現在50歳という若さで、しかも個人で、新たにこの広大な育成場を造れるということは凄いことですよね?

吉:お金の計算ができないだけかもしれません。ここを造ったから、僕の預金通帳は高校生並ですよ(笑)。何も残ってないです。

-:それぐらいWESTに賭けているんですね。

吉:納得できる施設を作るしかなかったんです。弊社は北海道と福島県に牧場がありましたが、2年前の3月11日、福島で東日本大震災が起きましたね。あの日、みんなで居残るかどうか悩みました。弊社は原発から50kmの位置にあって、日本政府が発表した避難区域とアメリカ政府の発表とでは食い違いがあり、僕たちはどっちの言うことを聞いたら良いのかと本当に悩みました。

水は出ないし、交通手段はない、ガソリンはない、食事も食べられない状態でした。従業員は若いし、その子供たちもいます。これは決断するしかないと思ったんです。それで福島にいた人間と馬を3分割にして移動させました。北海道の本社、群馬県、京都府に移すことにしたんです。3月11日から30日までに移動は完了しました。でも、石川県でも群馬県でも、僕が思うような調教ができなかったんです。これはもう、理想の施設をつくるしかないと思ってWESTを作ることにしました。

4月1日からは、牧場の土地を探す1人旅が始まりました。売り上げは落ちていく一方でお金もなくなっていきました。節約するために車の中で寝たり、安いビジネスホテルや安宿に泊まるのがやっとでした。そして、2カ月候補地を探し回ってココを見つけたんです。その間も尚ちゃん(須貝調教師)のところに泊めてもらったり、幸い馬主になっていたから競馬会館に泊まったりしていました。何泊もするから、(会館で働いている)おばちゃんたちが変な顔をするんですよ(笑)。そんな中で、ようやくココを見つけました。ノーザンしがらきさんもすぐ近くにおられるし、知り合いが色々なことを教えてくれたりして心強い環境です。


吉澤克己社長インタビューインタビュー(前半)はコチラ→

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「ゴールドシップの強さの秘訣がココに!?」
吉澤克己社長インタビュー Part.2は4月21日(日)に公開予定!!


【吉澤 克己】Katsumi Yoshizawa

1994年、北海道の浦河町で牧場を開場。乗馬で培った技術、ヨーロッパで学んだ経験を活かし、前衛的なスタイルで頭角をあらわすと、タニノギムレット、ウメノファイバーなどの活躍馬を輩出。北海道と福島に牧場を構えていたが、2011年の東日本大震災をきっかけに新たな牧場を造ることを決意。昨年秋から栗東トレセンの近郊(車で30~40分)である滋賀県甲賀市信楽町に「吉澤ステーブルWEST」を設立。
WESTだけで約150頭弱の管理馬、40人の従業員を抱え、ゴールドシップを筆頭に栗東トレセンの有力馬の外厩として、重要な役割を帯びる。「僕が雑誌とか、テレビとかのインタビューに出るというのは、ほとんどないんですよ」と語るように、貴重な独占取材に応じてくれた。

≪関連リンク≫
吉澤ステーブル 公式HP