船橋競馬、いや、地方競馬を代表する調教師として長きにわたって名馬を造り続けてきた川島正行調教師が、9月7日に逝去された。川島師といえば、厩舎の主戦を務めた戸崎圭太騎手にとっては無くてはならない存在。恩師とのエピソードや、生前に交わした約束を披露してくれた。

強い思いで挑んだフリオーソレジェンドC

-:久々に地元(南関東)に乗りに行くと、違った印象や、感触はありますか?

戸崎圭太騎手:いや、特にないですね。みんな受け入れてくれる、というのは大げさですが、前と変わらず冗談を言い合いながら。

-:僕が聞いたのはそこじゃなくて(笑)、コースの印象です。中央で色々と経験してきて、大井や船橋で乗ると、違った形で運べたり、違うイメージで映るのかなと?

圭太:そういうことね。ハハハ(笑)。

-:元No.1ジョッキーが受け入れてもらえなかったら、ちょっと嫌ですよ。

圭太:ハハハ(笑)。コースは、特にはありませんね。ずっと乗ってきて慣れているのもありますし、落ち着いて乗れるな、というのもあるかもしれないですね。やっぱり慣れでいえば、南関の方がキャリアは長いので、そういった面では安心して乗れるのはあるかもしれないですね。

-:その日本テレビ盃(Jpn2)の当日はフリオーソレジェンドCも勝って、良かったですね。

圭太:僕のためのレースかなと(ニヤリ)。

戸崎圭太

-:川島正行先生のところにいた馬(ナイキアフォード)だったですね。

圭太:そうです。いや、厩舎自体はそのままなんです。名義だけは違うのですが、川島先生のところの馬だったので、先生が力を貸してくれたのだと思います。

-:でも、連続して4戦勝っていない割には、良い勝ち方でしたね。

圭太:強かったですね。チークピーシーズを初めて着けたというのが、かなり効果が大きかったのかと思いますね。あとは「フリオーソ」で「川島厩舎」、それで「戸崎」ときたら……自信を持っていきましたよ、フフフ。

-:やっぱりそこは意識があったのですね。

圭太:そうですね。勝ちたかったですしね。きっとあれが川島厩舎の馬では最後の騎乗になったと思うのでね。

-:決して歓迎して良いことではありませんが、内田さんがケガをしていなければ、乗りに行くこともなかったかもしれないですし、他の日に乗っていることはあっても、昨日乗っているということはなかった訳ですからね。

圭太:そうですね。強い思いはありましたよ。

恩師との契のリーディング獲得を 川島正行師を語る

-:先生に対しての思い出というのは何かありますか。数えきれないと思いますが?

圭太:あり過ぎますね。あの先生がいなかったら、僕も今こうやって……。まあ、騎手はやっていたでしょうが、これくらいのところでやっていたかというのは分からないですし、先生がいたからこそ、今のJRAの移籍も実現出来たことでしょうし、名前も上げられたんじゃないかなという思いはあります。本当に感謝の気持ちでいっぱいというか、色々な経験もさせてもらいましたし、思い出はたくさんありますね。


「最後に会えたのも、連絡がなかったら会えなかったですし、会えたのと会えなかったのじゃ、全然違うので、会えたのは良かったなと思いますね」


-:体調が悪いという話は耳にしていましたが、この夏場に体調を崩されていたのですね。

圭太:一気にこの夏に体調を崩されていましたね。それでも競馬場に来ていたりしていたんです。それで、亡くなる1週間前に連絡があって、すぐに病院に向かったのですが、それが最後の面会になってしまいました。最後に会えたのも、連絡がなかったら会えなかったですし、会えたのと会えなかったのじゃ、全然違うので、会えたのは良かったなと思いますね。もう意識も朦朧とされていたのですが、僕のことをわかってくれて、自分から起き上がろうとしたりして……。まあ、嬉しかったですね。

-:お話をされる状態ではなかったですか?

圭太:まあ、しゃべってはいたのですが、朦朧としているというか、そんな話し方でした。ただ、僕が来たというと、何か違うというか、起きてくれたというか、多分、自分は(師匠として)ちゃんとしてなきゃいけない、という意識があったのではないでしょうか。この夏にも「お前がリーディング獲るまでは、俺も死ねねぇからな」ということを言っていたので、その言葉は凄く心に残っていて、だからこそ、今年は必ず、何が何でもリーディングを獲らなきゃいけないな、という決意はありますね。リーディングを先生に報告したいですね。

-:そういう話もあったんですね。

圭太:はい、ありましたね。いつでも応援してくれましたしね。何かあって南関に乗りに行って会った時は「何勝差」とか、見ていて、覚えてくれていたみたいです。先生のために恩返しの意味でも、必ずリーディングを獲って報告をしたいですね。

-:戸崎さんから見て、先生の調教師として、素晴らしいところはどんな部分ですか?

圭太:安心して競馬に臨める馬をつくってくる。不安がない馬というか、レースできちんと走ってくれる馬を仕上げてきてくれる先生でしたね。調教だったり、カイバだったり、色々な準備、要素があると思うのですが、それは大井と船橋の所属の違いでそんなに深くは見ていないので分からないですが、馬のことも凄く細かいことまで知っていましたね。

先生の名言としては「馬は出来ている。あとはお前(の騎乗)だけだ」というのが、いつもレース前に言われていたことなんです。先生のところの馬に乗って、失敗したり負けたりすると、もう僕の責任だな、あそこでこうしておけば、というのが、すぐに分かるレースが多かったですね。何で走らないんだろう、何で結果が出ないんだろう、というのはなかったですね。僕がそこでああしたから、とか、ああしておけば、というのがありましたね。


戸崎圭太

-:そう仰られる時というのは、それだけ勝てるだけのデキな訳ですね。

圭太:そうですね。もう馬の雰囲気が違いましたね。まあ、先生だけじゃなく、スタッフとか裕太さん(元船橋の騎手で、現調教師の佐藤裕太師)らがシッカリ乗って、そういう輪があったからこそ出来たことだと思いますが、そういう輪を作れる先生がいたからこそだと思いますね。先生の馬に乗るのは本当に安心して乗れましたよ。負けたら本当に僕のせいだ、というぐらいの仕上げでしたからね。だって、交流G1を中央馬相手にやれる馬をつくるんですからね。仕上げるんですからね。いくら能力があっても、一線級でやるというのは大変なことだと思いますし、それをずっとやってきた訳ですから。並大抵の腕ではなかったと思いますよ。

-:しかも、調教施設や環境の差で言えば、結構な差がある訳ですからね。

圭太:そうですね、その中ですからね。あとはフリオーソにしても、1年間ずっと走っていますからね。それをやれるというのは凄いことだと思いますよ。馬だって1年走っていれば、調子の良い時、悪い時があるのに、きちんと走ってくる状態にしてきますから。川島厩舎のあの感触は忘れないですよ。やっぱり昨日なんか乗っても、ああ、川島厩舎だな、というのがありますからね。

-:それだけ違うんですね。

圭太:そうですね。良いですね。


「何か強くなれましたね。強くなれた自分がいるかな。それは先生のお陰で、先生が守ってくれているというのもあるし」


-:あのフリオーソだって、先生があっての馬ですからね。

圭太:ねえ。いまだに亡くなったのが何か信じられないというか、船橋で乗っていても、何かポッと姿を現してくれるような雰囲気でしたし、船橋や地方競馬にとって、それだけ存在が大きかったですからね。

-:風貌とかもオーラがある方ですからね。今年は先生に報いるためにもリーディングを獲りたいですね。

圭太:そうですね。強い思いですよ。

-:良いリズムでは来ていると思うので、ケガだけは気を付けて欲しいですね。

圭太:でも、変に自信が付いたというか、変にじゃないですが、何だろうなあ……。先生への思いが強くなったから、何か自分も強くなったというか、何なんだろうねぇ。自分でもよく分からないけど……。

-:もちろん家族やマネージャー、エージェントさん、馬主、厩舎ら周りの人があっての戸崎騎手でしょうが、自分だけの目標としてではなく、人のためにやるという思いがあれば、少しは違ったスタンスで行けるのでしょうか。

圭太:そういうことかもしれませんね。……何か強くなれましたね。強くなれた自分がいるかな。それは先生のお陰で、先生が守ってくれているというのもあるし、だから今は全然ケガも怖くないですしね。獲ると思いますよ、リーディング。

戸崎圭太