佐藤哲三騎手 引退会見(後半) 決断は「キズナを可愛いと思った時」

●前田幸治オーナーへの想い

-:壮絶なリハビリをされてきた中で、一番の支えになったモノや人はありますか?

佐藤哲三騎手(以下、『哲』):もっと壮絶なリハビリをしたかったんですが、自分の腕が動かないのを確認して、それが少しでも動くようにという作業だったので、その方が辛かったんですね。事故があってから数ヶ月間、自分の左腕が見たこともないような形になって、アクション作品を見るのも怖くなるくらいビビってしまったんです。

騎手としての活動を考えられなくなった時に、いつも応援していただいた前田幸治オーナーがよく足を運んで、励ましてくれて。全く身体が動かない僕に「復帰したら、オレの馬で乗りたいヤツは全部乗ればいいから」とか言っていただいて。そういう風に言ってもらえるなら、僕は頑張るしかないし、そういう人に対しては頑張って応えたいという思いから、また騎手として戻ろうと思えたので、一番の励みはその言葉ですね。


佐藤哲三

アーネストリーで制した2011年の宝塚記念 口取り撮影
(左から前田幸治オーナー、佐々木晶三調教師、佐藤哲三騎手)


-:「後悔していないことはない」と仰っていましたが、具体的にはどのような心残りがありますか?

哲:10場重賞制覇が新潟だけだったり、通算1000勝もそうですが、一番やり残したことは、ノースヒルズの馬でダービーを勝つことですね。結果、ダービーは勝利したので、あとは社長とよく話していた「凱旋門を勝つ」という馬作りに、主役として携わることはできませんが、サブとしていろいろ手伝えることはあると思うので、その夢は捨てずに持っておきたいですね。悔いはあるかもしれないけど、これからなくなるかもしれないし、考えが変わっていけばいいなと思っています。

-:そういう中で、キズナに対して今後もずっと見守っていきたいという思いはありますか?

哲:もう僕が乗るわけじゃないので、ユタカさん(武豊騎手)に迷惑がかかってもいけませんが……。でも、僕が携わってきた馬の中で、ズバ抜けた馬だったと思うし、それはユタカさんが一番分かってくれているはずなので。これからはキズナの応援団になるし、早くケガを治して復帰して、元気な姿と良い結果を残して、良い競走馬生活を送れるよう、手伝えたらなと思っています。

-:外から競馬を見る中で、離れてみて競馬界について考えることがあれば教えて下さい。

哲:休養している中で、競馬に携わっているお笑い芸人さんとか、今まで交流してこなかった人たちと関わらせてもらった中で、若い人が競馬に熱を入れて、興味を持ってくれて、真剣に競馬を楽しんでいるんだなというのが実感できました。その中で、僕の話も聞いてくれましたし、そういう話を広めていければなと。

今までやれたことがやれなくなったという点もありますが、僕の左腕が、僕の命を救ってくれたと思っていますし、最初は足もあっちに向いたり、こっちに向いたりで、「歩けるようになるのかな」と思っていましたが、「歩ける・喋れる・考えられる」ができる限り、今まで携わってきたことを伝えることができると思うので、それが楽しくやれればいいかなと。


●引退を決断させたキズナの存在

-:キズナの話が出ましたが、大山ヒルズにこの夏会ってきたとのことですが、どのような心境でしたか?

哲:実は……という程の話ではないのですが、7月の終わりにキズナを見てきました。ワンアンドオンリーと並んでいる中で、ワンアンドオンリーが今年のダービー馬ということで注目されていて、キズナが少し寂しそうに、構ってほしそうな雰囲気がありました。僕が行った時に、甘えるような、拗ねているような仕草を見せた時に、「めちゃくちゃ可愛いな」と思ってしまったんですよ。

引退を意識するときに、身体のことは前々から決めていたんですが、気持ちに整理をつけようと思ったのは、キズナのことを「可愛い」と思った時ですね。デビュー2年目から今までそういう気持ちを考えないで仕事をしようと思っていたのですが、約2年間、騎手としてブランクを経た中で、馬に対して「可愛い」という気持ちが芽生えたことで、もう仕事的にも無理なのかなと。だから、キズナは「可愛い」です。


佐藤哲三

キズナのデビューから2戦は佐藤哲三騎手が手綱を執った


-:25年のキャリアは長かったですか?

哲:いや、短かったですね。僕もケガが多くて、ケガをする中でも、みんなが乗りたがらない馬にも積極的に乗りたかったし、そういう馬たちが結果を出して脚光を浴びたり、良い競走馬生活を送れるようにやれればいいなと思ってきました。それは決して、長くは感じなかったと思うんです。今も競馬を見ながら考えることはいっぱいありますし、きっとこれからも続くのかな。

-:10月12日に引退ということですが、その日にした意図というのは何かあるのですか。

哲:僕がケガをしたのが京都競馬場なので。今日この場で免許を取り消すこともできたのですが、やっぱり京都競馬場で免許を返したいという思いがありました。ケガをしてから、自分が今までお世話になった道具をまだ触ってもいないし見てもいないので。僕ごとではありますが明日が誕生日ですし、誕生日の前に報告というのと、あと3週間なり1ヶ月近くあるので、その道具を後輩なり、欲しいという人に受け継いでもらいたいです。

仲良くなったファンの方たちにも、欲しいと言えばあげたい、“預けたい”なのかどっちかわからないですけど、そういう形で手渡ししたいなと思います。やっぱり道具には感謝していないとダメですが、まだ全然感謝できていないので。京都競馬場でケガをして、京都競馬場で免許を取り消すという中で、その期間が一番良いのかなと思いました。


-:引退を決められた時に、まず最初に、誰にどんなことを言われたでしょうか。

哲:申し訳ないですけど、途中で勘ぐられることが嫌で、僕の口から伝えたかったんです。今までのメディアでの言動と違うかも知れないですけど、それはまだ復帰を目指していて、諦めてもいなかったし。

-:最初に「この引退は自分が思い描いていたものと違う」というお話をされていましたが、自分の中で思い描いていた引退というのはどういうものだったのでしょうか。

哲:多分みんなが思っていることだと思いますが、こういう風に終われたらなっていうのは、「今週の日曜日のこのレースで僕は最後です」というのを勝って辞めるというのが一番の理想です。それがG1とかだったらいいのかなと思ったりはしました。騎手として、騎乗をしないで終えるというのは、はっきり言って僕の中では許せないことだと思います。それでも決断しないとダメなので、その辺はわかってもらえたらなと思います。

●勝てなくても主役になれる馬はいる

-:佐藤さんはボートレースもされていて、ファンのお気持ちも本当によくわかっていると思いますし、なんとか馬券圏内に馬を、という思いで騎乗されていたと思います。最後に、ファンの皆さまに向かって、今思うところがありましたら一言いただけますでしょうか。

哲:僕は「1着以外意味がない」という言葉がすごく嫌で、馬券に入れなくてもお客さんが喜んで帰ってくれる仕事の仕方というのはあると思います。それが、僕がさっき言った信念でもありますし、プロの騎手としては、1着は当然ですけど、人気がない馬が主役になれないかと言ったら、主役ってあると思うのですよ。それが1着を狙おうと思ったら難しいと思うのですけど。

佐藤哲三

僕も競艇をやっていて、3連単の3着ってすごく重要だと思うのですけど、人気薄の馬で3着にその馬が来たとしたら、馬券を買って狙っているファンはその馬のことを神だと思いますよね。そういうところで、勝てなくても主役になれる馬たちはたくさんいると思います。その辺は、自分ではうまくできたときもあるし、できなかったときもあるとは思うのですけど、常に考えてはいました。


-:佐藤さんに復帰してほしいと思っているファンは本当に多かったと思うのですが、その方に向けて一言お願いします。

哲:応援していただいているファンの人に対しては、復帰という形でレースを見せたいという思いで今まで頑張ってはいたのですが、それは叶わなかったので申し訳ない、期待に応えられなくて申し訳ないです。競馬から離れるわけではないので、引退した次の週から、応援してもらっていたファンの方たちと「佐藤哲三と馬券の買い目一緒やで」って面白いじゃないですか。競馬ファンの、購買意欲と言っていいかわからないですけど、馬券に一緒に参加したいなということで、JRAに貢献できたらなと思います。休養期間中も、本当にJRAの職員さんにはお世話になっておりますので、このまま何も返さないままというのは僕は嫌なので、そういう形で貢献できたらなと。騎手としては貢献できないですけど、それ以外で貢献できることはまだあると思って仕事なり何なりをできたらなと思います。

-:デビューが1989年、平成元年。平成の歴史が佐藤さんのジョッキーとしての歴史と一緒ということになるのですが、振り返ってみて、この騎手人生、短い一言でいうとこうだったなというのがありましたら教えて下さい。

哲:ケガをして辞めることに対して、みんな残念だとか思うかもしれないですけど、僕はそれもありだと思って攻めるところは攻めていました。今、ケガをしてから思うことなんですけど、ケガをしないような乗り方ができたとしたら、僕はそれだけ結果は出ていないと思います。気をつけて乗った中での結果ですし、その中で攻めるところは攻めるという思いがあるからG1も勝たせてもらったところがあります。僕の意思を掴んで攻める走りをしてくれた馬もたくさんいますし、その馬たちに対しても感謝しています。

元年デビューで、ケガをする前にカツハル(田中勝春騎手)と「二人になってしまったな。二人で頑張ろうな」という話はしました。僕がひとり抜けて、あいつも寂しい思いをしてるんちゃうかなって思います。5期生最後なので、カツハルも頑張ってほしいと思います。


-:今後について考える中で、調教師を目指すという選択肢はあったのでしょうか。

哲:調教師を目指すというのは、ジョッキー時代から全くなかったです。その中で先程もお伝えした通り、前田幸治オーナーがお見舞いに来てくれた時に、「おい哲三、調教師やぞ。うちの馬全部預けるから心配ないやろ」とすごくありがたいお言葉をいただきました。ジョッキーをやり始めた時はそんな言葉をもらえるジョッキーになれると思っていなかったですし、そうやってすごく僕を気に入ってもらえて、応援してもらっているので、気持ちは揺らいだんですけど。その中でできること、できないことは、できないことだらけだと思いますし、まず業務に対して、体が動かないのに人にばっかり頼って調教師やってますというのは僕の中で許せないところというか、余計ストレスになってしまうかな、できないことを悩んでしまうかなと。従業員の人もいるし、大事な馬も預かっている中で、そのストレスはダメだと思うので。

僕は騎手として馬に乗ることを諦めたのですが、馬に乗ることに対しては諦めていないので、その中で、自分が今ストレスを溜めないでできることは、やっぱりファンの人と触れ合って馬券なり、JRAを離れて馬券を買ったりとかだと思います。トレセンの中でずっとジョッキーをやっていて社会勉強をしていないので、そうやって社会勉強をしながら、また乗れる体とか、業務ができる体になるのであれば、またその時に調教師試験は受けられると思います。これをいうとまた調教師を目指すとか言われて困るのですが、気持ちのすごーく片隅のどこかでは、その目標がないとリハビリをサボったりすると思うので。それだけ馬というのは魅力があって頑張らせてくれる動物だと思うので、一応調教師というのも考えていなくはないですが、まずは、今後与えてもらった仕事を一生懸命、競馬を楽しく、JRAを盛り上げていきたいです。その中で、そういうのも先々あってもいいのかなというのはあります。


佐藤 哲三
(さとう てつぞう)
1970年9月17日生まれ
[初免許年] 1989年
[所属] 栗東・フリー
[初騎乗] 1989年3月4日1回中京1日目4R トーアチョモランマ(9着/10頭)
[初勝利] 1989年4月30日3回京都4日目6R キョウワトワダ(1着/17頭)
[生涯成績] 10570戦938勝

佐藤哲三騎手・引退会見(前半)はコチラ⇒

佐藤哲三