フランス競馬で奮闘する日本人ホースマン
2012/1/6(金)
小林智調教師
ヴィクトワールピサ、ヒルノダムールなどの凱旋門賞挑戦によって、近年では日本の競馬ファンにとっても身近な存在になったといえる凱旋門賞。とはいえ、ペリエ騎手に始まり、ルメール騎手、スミヨン騎手、メンディザバル騎手など、フランスのトップジョッキーが、毎年のように日本で活躍をしていながらも、その凱旋門賞が行われるフランス競馬とは、どんな環境なのかは知られてはいない。今回はそのフランス競馬で日本人として初めて調教師免許を取得し、現地で奮闘を続けている小林智調教師にフランス競馬の環境や、開業までの経緯を語ってもらった。
-:本日はよろしくお願いします。
小:こちらこそ、よろしくお願いします。
-:小林さんは、2008年に日本人として初めて、フランスで調教師免許を取得されました。これまでにたくさんのご苦労があったかと存じ上げますが、そもそもはどういったきっかけでフランスに足を向けられたのですか?
小:最初にフランスに来たのは27歳の時だったのですが、当時は北海道のコアレススタッドという牧場で育成の仕事をしていました。同時にJRAの厩務員試験を受験していたのですが、なかなか合格することができず、年齢制限で受験資格もなくなってしまったのです。その以前に牧場の研修旅行で、世界中の調教施設や競馬場を見学する機会がありまして、それで「海外で馬作りを勉強してみようかな」と思うようになったんです。
-:競馬の先進国はたくさんありますが、中でもどうしてフランスだったのでしょうか?
小:うーん、そうですね、まず研修旅行で訪れたシャンティーには強いあこがれを持っていましたね。あとはレースに近い段階にある現役馬を、実際に自分で触りたいという気持ちがありました。日本の牧場でも、現役馬に触る機会はあったのですが、当然レース直前にはトレセンに入厩してしまいますよね。アメリカは日本以上に厩舎作業の分業が徹底されていますから、それで自然とフランスに目が向いたのです。それでも、当初は2年か3年ぐらい勉強したら帰国する予定だったんですよ(笑)。
-:シャンティーやニューマーケットなど、世界中の著名な調教場で日本人の若者が頑張っていますよね。それでも、現地で調教師になるというのは……。
小:ふつうは考えませんよね(笑)。でも、アシスタントトレーナーを務めさせていただいたり、徐々に責任のある仕事を任せてもらえるようになって、「ひょっとしたら自分もこの場所で調教師になれるのではないか?」と、感じるようになりました。
アイルランド(で調教師となった日本人)には児玉敬さんがいらっしゃいましたが、フランスでは前例がないわけですから、実現すればそこに何らかのアドバンテージが生まれるのではないか、とも考えました。
-:ただでさえ難関の調教師試験をフランス語で受験されるわけですから、たいへんなご努力をされたと思います。実際に夢をかなえられて、小林厩舎は2頭からの開業だったとお聞きしています。
小:そうですね、日本のように引き継ぎなど存在せず、一からの厩舎づくりでした。ありがたいことに社台ファーム代表の吉田照哉さんがフランスでお持ちのソヨカゼという牝馬を、私のもとに転厩させてくださり、渡仏当初からお世話になっているフランス人の馬主も、ディヴァインライト産駒の牡馬を預けてくださいました。馬房は以前に勤めていたM・デルザングル調教師に間借させていただいた状態でのスタートだったんです。初出走はサンクルー大賞当日の最終レース(ソヨカゼがC・ルメール騎手の手綱で出走)でしたが、感慨深いものがありましたね。結果は最下位でしたが無事に回ってきてくれて安心したことを今でも鮮明に覚えています。
-:初勝利までは約一年を要されました。
小:申し訳ないことにソヨカゼはその後2戦したのちに故障してしまって、初勝利はザディヴァインで、ヴィシーという南仏の競馬場の2400mの条件戦でした。あせってはいないつもりでしたが、やっぱりホッとしましたね。父が死去した直後のレースということもありましたので、一生忘れることのできない特別なレースになりました。
-:その後、そのザディヴァインには武豊騎手も騎乗しましたね。
小:武豊騎手には私が渡仏した時から大変お世話になっていて、騎乗していただけたことは夢のようでした。今年(2011年)の夏もメイショウの松本オーナーの馬2頭を含む3鞍に騎乗していただいたのですが、着外が続いてしまってご迷惑をお掛けしてしまいました。武豊騎手の騎乗でひとつ勝つことは、来年の大きな目標です。
-:3年目となる今シーズンはいかがでしたか?
小:成績的には今年はこれまで5勝ですね。春先に良いペースで賞金を稼ぐことができて順調だったのですが、7月以降は苦しいシーズンが続いてしまいました。お世話になっている馬主の方々のお陰で、現在の管理馬は18頭まで増えていて、日本にはなかなかいないハリケーンランの産駒やグレイトジャーニーの産駒も3頭調教しています。1年目、2年目と厩舎の土台ができた感触を掴んでステップアップできている実感はありましたが、今年はちょっと伸び悩んでしまったという気持ちも正直ありますね。
-:今夏には、凱旋門賞に遠征をしたヴィクトワールピサとヒルノダムールを受け入れられました。
小:ヴィクトワールピサは非常に残念な結果となってしまいましたが、ヒルノダムールはずっと順調で、私も夢を見せていただきましたね。毛ヅヤもずっとピカピカで、なかなか長期的な海外遠征であれほど順調に行くことはないのではないでしょうか。凱旋門賞当日はパドックから、かなり入れ込んでしまい、その力を発揮できませんでしたが、勝つための調教を積んだ結果ですから致し方なかったと思います。昆さん(昆貢調教師)も「調整面でやりたいことは全部できたから悔いはない」とおっしゃっていました。2頭がそろって出走する有馬記念は今からとても楽しみですね。
-:小林さんは以前にはメイショウサムソンの遠征にも携わられたとお聞きしました。
小:はい、サムソンはまだ調教師になる前にレーシングマネージャーのような立場でお手伝いをさせていただきました。あの馬も横綱という言葉がぴったりの名馬でしたよね。たくさんのことを勉強させていただきましたが、その時の縁で現在厩舎に松本オーナーが2頭の牝馬を預託してくださっています。松本オーナーにも、縁をつないでくれたサムソンにも感謝の気持ちでいっぱいです。
-:フランスの大レースに挑む日本馬にとって、今後、小林智厩舎の存在は大きな力となりそうですね。
小:そうなれば、最高です。さきほどお話ししたように、開業当初は馬房を間借しているような状況で、とても日本からの遠征馬を受け入れることはできませんでした(苦笑)。でも、今は厩舎も引っ越してそれが可能となったのです。日本からの遠征馬を、両手を広げてお迎えすることはフランスで調教師となった時から、ひとつの目標にしていたので、これは嬉しいことですね。日本馬の能力は欧州調教馬と比較しても、まったく劣りませんから、それを証明するお手伝いができるのでしたら大変光栄なことです。ですが、もちろん“自分の馬で大舞台へ~”という気持ちも忘れてはいませんよ(笑)。
-:フランスのホースマンに日本競馬はどのように映っていますか?
小:現地のホースマンは日本競馬の事は非常に良く知っていますね。フランス人のトップジョッキーが冬場にこぞって日本に行くことで、日本競馬の認知度は飛躍的に上昇したのではないでしょうか。また、秋の日本の国際レースに管理馬を出走させた関係者も、レースの結果にかかわらず、日本の競馬の素晴らしさを彼らの言葉で周囲に伝えてくれています。どうしても立地的なハンデがありますが、来年以降もフランス調教馬の日本遠征は続いていくと思いますね。
-:今年のジャパンカップには凱旋門賞馬のデインドリームが参戦してレースを大きく盛り上げてくれました。
小:そうですね、結果は残念でしたが、世界チャンピオンが日本で走ったのですから素晴らしいことです。今年は日本ダービーにもデットーリ騎手が騎乗して、日本の競馬も国際色豊かになってきましたね。私はジャパンカップのときフランスにいたので何とも言えませんが、デインドリームに関して言えば3歳牝馬で長距離輸送を経て状態を維持するのが、やはり難しかったのかな?と感じました。
-:フランスから挑戦したシャレータとサラリンクスに関してはいかがですか?
小:うーん、やはり日本馬は日本の馬場では特に強いですからね。あの2頭に関してはある意味では力通りの結果、と言えるかもしれません。GⅠをいくつも勝つような外国馬でないと、ジャパンカップでは通用しない時代に来ていると思います。
-:それでは、最後に今後の目標や抱負をお聞かせください。
小:やはりフランスで厩舎を開業した以上、最大目標は当然凱旋門賞制覇ですよね。そのあとにジャパンカップに遠征して“故郷に錦を”となれば最高です。武豊騎手の手綱で勝つことも目標ですし、夢はたくさんあります。
フランス競馬界にはシンボリの和田共弘さん、社台ファームの吉田善哉さんの時代から、尊敬すべき先人の日本人ホースマンが築き上げてきた確かなものが存在します。それを壊すことのないように、常に前を見ながら、まっすぐに進んでいきたいです。
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