「中山馬主会会長を務める上での課題」
2015/4/19(日)
中山馬主会会長を務める上での課題
-:中山馬主協会の会長になった経緯というか、キッカケは何だったんですか?
西川:長くやっていたから、初めは親父に「理事になってくれ」という話があったものの、一切引き受けなかったですね。いつまでもタレントの裏方で、目立つのが嫌な人でした。「太郎ちゃんを役員にしたいんですけど」とも言われましたが、「お前も役員なんかになるな」と、ずっとやらせなかったんですよ。しかし、僕はタレントをやっていたから、一般馬主席にいると「遠慮しないで役員室に来いよ」と必ず言われて。ウチの中山は世話人会というのがあったんです。大井の理事長だった醍醐さんがやっていて。その醍醐さんが親父の所に来て「俺も歳だから世話人会を辞めて、引き受けてほしい」と。「じゃあ、お前やるか。形だけで良いんだよ」と言われて、その世話人会を醍醐さんの替わりにやって、理事になったんです。
理事って何をやるのかと思ったら、「~委員会に所属するんだよ」と言うから、とりあえず理事会に出たわけ。その時、新しく理事になった方が3人くらいいましたかね。理事会になると、まずケンカです。派閥に近いものもあった中、自分はわからなくて「役員になったら、役員室で馬を観なさい」と言われて、どうも馬主席に行く癖ができていましたね。というのも、右と左に役員室があって、たまたま行ったら誰もいないから、ポンと座っていたわけ。そこが、当時の常務理事が座る席だったのです。それを知らず、僕がそこに座っていたら威嚇をするわけよ。それで役員室に行くのが嫌になって。だから、5年ぐらいはずっと馬主席にいましたね。それでも理事会だけは出なきゃいけなくて……。
ある時「委員長をやって」と言われて、「何をやるんですか?」と言ったら「馬場を視察して歩くんだよ」と。中山の馬場がどれだけ芝付きが良いか等を会員の人たちに教えるための委員会でジョッキーも来るからと。それから色々な委員を経て、理事で5年も経てば文句も言えるようになりました。ある時、自分が思う事を言った時に「あんまり意見は言わない方が良いよ」と言われました。「それじゃ何のために理事になったか分からないでしょ。主張できないなら理事を辞める!」と言って、ゴネたのですよ。それで、苦情対策委員会というのを創ろうということになって、そこで「タバコの喫煙、禁煙をキチッとしろ」と言って、僕が全部悪者になりましたよ。さらに、古い人と新しい人をチェンジしようよということで「西川さんは馬主歴も古いし、馬も牧場も持っていて、個人馬主でもあって、馬のことは一番よく知っているから」と、みんなから推薦されて。もう7年目ですね。
-:そういう思いをしてなった会長職ですから、今の中山馬主協会は非常に明るく和やかな雰囲気なんですね。
安藤:馬主の世界も色々あるみたいだもんね。それでも中山馬主会はすごく気楽。あそこには顔を出しやすいですよ。
西川:常務会にいた若いメンバーを集めて、活発な意見を言わせなきゃマズイじゃないですか。例えば、“西高東低”はやっぱり坂路だと。どんな状況であっても、西と同じようなものを造らなきゃ。地下を掘ったとしてもできるわけですよ。こちらは600で向こうは800あったわけですよ。その差が歴然と出てしまっているので、そういうことを競馬会に何か言わなくちゃいけないだろうと。中山は1200mと1800mのダートしかないとかね。障害のバンケットを潰して、あそこを盛り上げれば1400mの16頭立てができるとか、そういった改善していこう、という話をみんなでするのですよ。そして、有馬記念は世界一売り上げる競馬レースでしょ。それを盛り上げるイベントを何で中山(馬主協会)はやらないのだと。ジョッキーは大変だが、ファンを呼んで、そこに出てくるのが紅白歌合戦じゃないですか。
安藤:有馬はちょっと違いますもんね。(※)あのイベントをやるようになって、良い馬も出るようになったし。去年はインタビュアーもさせてもらって。そういえば、坂路も改装してから、関東馬も結果が変わってきましたよね。それでもまだ関西馬のほうが優勢かな。
※中山馬主協会では有馬記念を盛り上げるイベントとして、2010年よりファン参加型の有馬記念プレミアムレセプションを開催している。詳しくは同協会ホームページを参照してください。
西川:だから、馬のつくりだろうね。関西馬と関東馬を見ると、筋肉の付き方が違うもの。
安藤:設備としては関東の馬場の方が綺麗だから、あれが不思議でね。環境は、関東の方が全然静かだし。栗東はごちゃごちゃになるんですよ。馬も一斉に入るから、地下馬道なんか危ないぐらいで、先に行きたいのが空くのを待っていて。関東はあちこち分かれるから、それほど混雑しないし。
昨年の有馬記念プレミアムレセプションパーティーの様子
なんとアンカツさんがインタビュアーを務め騎乗ジョッキーに質問をぶつけた
西川:本当は北馬場で1~2周ほぐして、そのまま歩きながら南馬場に行って、1本速いところをやってくる等、そういう工夫をすれば良いのですが、“北”に行ったら北に行ったまんまだから。それを上手く使い分けると、時間も掛けられますよね。馬をリラックスさせるために森林馬道を造りましたが、それもあんまり意味がないですよね。もう少し工夫の仕方があると思います。決して関東に弱い馬が入っているんじゃなくて、要するに鍛練の仕方、運動量、それも決して関西に負けていないぐらいの時間はやっているんですよ。これは僕らも認めるのですが、何で強い馬をつくれないのかというと、調教にもう少し工夫の余地があるのかなと。
-:ただ今期の牝馬クラシックなんかはG1をショウナンアデラが勝ち、チューリップ賞でココロノアイが勝ち、ルージュバックもいて、徐々に関東馬が活躍し始めているので、4~5年前から努力されたことが出てきたのかもしれないですね。
西川:それがそうでもないんですよ。東と西の格差は昨年でも広がっていて、延べの出走頭数では1772頭、勝利度数は545勝、それを賞金にすると159億円も関西馬のほうが稼いでいるんです。そうすると、みんながみんな関西の厩舎に預けたくなりますよね?関東の馬主としては、その格差を埋めていく義務があるんですよ。そのためには、やっぱり提言をしていかないとならないんです。
安藤:考えなければいけない格差ですね。それに、初めて聞きました。そういうことは馬主から言うものなのかと。競馬会には調教師が言うのかと思っていました。
西川:いや、本来は競馬会にジョッキーと調教師、馬主のみなで申し出ることなの。やっぱり関東馬を関西に持っていって、ただ坂路をやれば良いのかと言うと、そうじゃないんですよね。普段やっていない負荷をかけて登ると、その馬はガタガタになっちゃうから。普段から同じ調整ができていれば、そうはなりませんから。
安藤:騎手としても、関東の騎手だったら関東で強い馬でないと、やっぱり回ってくる確率が少ないですからね。今年のフェブラリーSは関西馬だらけでひどかった。
▲東西トレセンの所属別成績一覧 西高東低が見てとれる
※( )は平成25年同期(5回中山・5回阪神終了時)の値。
※勝利度数のうち1着同着に突いては、それぞれ1勝として計算する。
【本年度の1着同着…5競走(美浦2勝・栗東8勝)】
西川:関西の調教師は関西馬でも、乗り役がいないと「おい、乗ってくれるか」と関東の一流ジョッキーに頼むから、みんな乗りにいくわけですよ。それは良いのですが、新人ジョッキーが一杯入ってくるわけでしょ。上は上手い人が活躍する訳ですよ。そうすると下が少ないわけ。中間層になかなか良い馬が回ってこない。この現象は今のままでは良くないなと。例えば、午前中の1~3レースは若手限定戦で、関東でも関西でも全部そういう風にすれば、若手が必ず乗れるわけでしょ。馬券予想の過程等は買う側にしてみれば、馬を見て買っているわけですよ。まあ、ジョッキーでも買ってはいますが、未勝利戦で若手16人が乗ったら、ちょっと変わった仮説の競馬ができてくるんじゃないかなと。
そうすると、教育もできるわけ。調教師も「ここで勝てば上のクラスでもお前を乗せてやるぞ」と。新馬戦は大事なレースですから、ベテランが乗らなきゃいけませんが、1~3くらいはそういうレースをつくってあげても良いのかと。競馬会にしてみれば「ジョッキーで買う人が多いんですよ」と、こういう風に言っているわけ。なおさら、新人の子を乗せたら良いと思うし、馬主さんも納得するよと僕は思います。上に行けば、良いジョッキーを乗せられるんだと。ある意味、下にいればしょうがないなと。
安藤:オレは地方から来たから、乗るだけでも、こんなに賞金が良いのかと思ってね。
西川:地方で一流で、中央に行ったらどれくらいの実力があるのかなと、アンカツさんが来たわけだから。やっぱり地方の人は馬を御すことは本当に上手いですよ。中央のジョッキーというのは、当たり前のことで“ここに入ったらヤバイな”と思ったら行かない。だから、これから外国人が増えちゃうと、エキサイティングしていくんじゃない。面白くなってくると思う。ただ、面白くなってくる反面、乗り役としては職業荒らしになっちゃうね。
-:そこは、日本の騎手が頑張るしかないと。
西川:それしかありません。
プロフィール
【西川 賢】Ken Nishikawa
1948年8月24日生まれ 東京都出身
東京都台東区出身。冠名はウエスタン、勝負服の柄は黄。芸能プロダクション「新栄プロダクション」代表取締役社長であり演歌歌手(芸名・山田太郎)。1968年に弱冠20歳(当時史上最年少)で馬主資格を取得。1975年に法人馬主である西川商事株式会社の代表に就任。1997年、再び個人馬主に戻る。現在は日本馬主協会連合会副会長、中山馬主協会会長、東日本馬主協議会会長を務めている。北海道日高郡新ひだか町に生産牧場ウエスタンファーム(旧有限会社北西牧場、2009年名称変更)を持ち、所有馬のほとんどを自家生産しているオーナーブリーダー。
プロフィール
【安藤 勝己】Katsumi Ando
1960年3月28日生まれ 愛知県出身
76年に笠松競馬でデビュー。78年に初のリーディングに輝き、東海地区のトップ騎手として君臨。笠松所属時代に通算3299勝を挙げ、03年3月に地方からJRAに移籍を果たす。同年3月30日にビリーヴで高松宮記念を勝ちG1初制覇して以降、9年連続でG1を制覇。JRA通算重賞81勝(うちG1・22勝)を含む1111勝を挙げ、史上初の地方・中央ダブル1000勝を達成。13年1月惜しまれつつ騎手人生に終止符を打った。「競馬の素晴らしさを伝える仕事をしたい」と述べており、さらなる競馬界への貢献が期待されている。