第3章「ここだから言える各業界の秘話」
2015/12/6(日)
-:ファンという立場で随分長くご覧になった訳ですが、ファン目線から見て、競馬界に不思議に思っていたことや分からなかったことがあったら、小牧さんにいくつか質問していただければと思います。
昌:球界はチーム内でも激しい競争、ローテ争いやスタメン争いがあるのですが、馬に乗るのはどうやって決めるのですか?
太:今は乗り馬集めの代理人、エージェントが付いていて、そのエージェントが馬を集めてきます。それも、何年も前から問題といいますか、そのエージェントの力の強弱もあるので、良いエージェントの人に付いたら良い馬が回るとか、そういう兼ね合いもあるのでね。
昌:なるほど、それは知らなかったな~。
太:そういう感じですよね。そのエージェントは騎手を3人まで持てるので、斡旋できるので厳しいですよね。僕もエージェントを1人抱えていて、一緒に頑張っているのですが。
昌:昔はどうだったのですか?
太:昔は、調教師さんと騎手個人の関係性でしたね、調教師さんが直接「乗ってくれるか?」という形で。
昌:しかし、例えば、携帯電話がない時代はどうだったのですか?
太:だいたい追い切りでトレセンに行くのでね。もっと昔はその時に、騎手も厩舎回りをしていたみたいです。僕はもともと地方競馬にいて、JRAに入ってまだ11年なので、入った頃には電話で調教師さんに乗せて下さい、と頼んだりしていましたね。厩舎に所属はしていませんが、調教を手伝っている厩舎もあったので、必然的にそこの厩舎に乗ったりしましたね。
調教をつける小牧騎手 現在でも水~金曜日は橋口厩舎を中心に調教の騎乗も続けている
昌:それは、野球界とはまた別のシステムですよね。エージェントさんの力がけっこう大きいと。
太:大きいですね。しかし、やっぱりエージェントさんに給料も払わないといけないので、任せきりという感じになってしまいますよね。自分で営業することも、全くないわけではないのですが、基本はエージェントの人に通すと。昔は皆、自分で営業を一生懸命やっていたのですが。
昌:他の質問ですが、ゲートに入らない馬には話し掛けたりするのですか?
太:馬乗りってみんな、気が付かない内に馬に話し掛けていますね。本当によく馬としゃべっていますよ。ハハハ(笑)。独り言みたいですね。
昌:あと、奇数番がゲートに入った後に、1頭全然入らない馬に文句を言ったりする人はいますか。「早く入れろよ!」と。
太:いや、それは聞いたことはないですが……、まあ、地方競馬の時はありました(笑)。やんちゃな人もいたのでね。
昌:ですよね。自分の馬が暴れ出さないか心配ですよね。
太:そうですね。今は、みんな発走委員が付いているので、JRAでは聞いたことはないですよね。
昌:でも、すごく待つ時があるじゃないですか?そうなると、自分の馬が暴れ始めても、早くしてくれとか声が上がったりせずに、みんなそれはしょうがないと思っているんですかね。
太:しょうがないですね。一生懸命やっているのが見えているのでね。
昌:それと、出ていってから、道中のポジション取りがあるじゃないですか。騎手は、ああいう時に「お~い」と声を掛けたり、時には文句を言い合うこともあるのですか?
太:「オイ、オイ」とか、声は掛け合います。公正保持の為にレース中に話してはいけないルールがあるのですが、危険なシチュエーションにならないよう配慮しますね。そこは暗黙の了解といいますか。
昌:へえ~、そういう話は面白いですね。僕らもマウンドで、バッターに対して挑発する時なんかもありました。(元阪神タイガースの)赤星君は、普段すごく仲が良いのですが、初回の先頭バッターで10球くらいファウル。審判にボールをもらう時に近付いていって、顔を見て、「早く前に飛ばせ、このヤロー」と言ったら、「すいません」と言ったりね、ハハハ。ファウルを打たれると腹立つんですよ。フォアボールを取られた時は頭にきますし、赤星君なんかは足が速いでしょ。ファールをして粘って、フォアボールで出よう、というのがミエミエなので、怒ったことがありますね。これも赤星君のエピソードですが、僕はノーヒット・ノーランをした時、彼が最後のバッターだったんですよね。その時に「セーフティバントするなよ」と声を掛けたんですけどね。
太:へ~、やっぱりそういう時って、相手のバッターもすごく気を使うでしょうね。
昌:気を使うでしょうね。セーフティでノーヒット・ノーランを崩すことはやらないだろうと思っていましたが、もしかしてあるかなと。本人に聞こえたかどうか分かんないですが。
太:僕も山本さんに聞きたいのですが、乱闘って野球ならではですよね。
昌:乱闘は、昔はよくあったじゃないですか。これも、「古き良き話」なのかもしれませんが、昔はバッターに踏み込ませるなと。だから、踏み込まれたら負けだという教えだったんですよね。だから、なるべく体の近くにボールを投げておけと。体を起こしておいて、目線を遠ざけてアウトコースで勝負というのが主流だったのですが、今はスマートになりましたね。そういうことをしなくなったのです。
普通にストライクゾーンに投げて勝負するようになって、乱闘というのは、結局そういうのが異常にエスカレートして。例えば、そういうところにみんなよく投げますから、ちょっと危ないボールが来て、味方の選手がちょっとひっくり返ったり、ブツけられたりするとピッチャーとしてやられっ放しじゃイカンと。今度は同じようなところに返す訳ですよね。ブツける訳じゃないですが、同じようにひっくり返そうとして、また当たったり、それが段々エスカレートすると今度は狙い始める訳ですよ。そうすると、バッターって狙われると分かるそうですね。「顔がこっちに向いている」と。それで当てられると怒る訳ですよね。
山本昌「年に3~4回は乱闘になりましたが、ドラゴンズは「某」星野仙一さんが監督の時は大体負けなかったですね(笑)。だから、安心して乱闘に行けました」
年に3~4回は乱闘になりましたが、ドラゴンズは「某」星野仙一さんが監督の時は大体負けなかったですね(笑)。だから、安心して乱闘に行けました。僕のプロ初の先発が乱闘だったんですよ。大乱闘になった試合で、乱闘はベンチに選手がいたら罰金で、全員出なきゃいけない。先発ピッチャーで投げているのにフラフラ入って行っちゃったら、一番の激戦地に入っちゃって、それで掴まれて、俺は悪くないのに、みたいな感じだったんですよ。殴られはしなかったのですが、目の前で殴り合いをしていましたね。後でピッチングコーチにこっぴどく叱られまして「先発ピッチャーがあんなところにいてどうするんだ」と言って、プロ初先発だから分かりませんでした、といった答えだったのですが、すごい迫力ですよ。大人同士の真剣なケンカなのでね。でも、本当に減りましたね。わざとブツけるような、そういうようなことをするような人は減りましたからね。
僕は32年投げましたが、乱闘は1回もないんですよね。球が速くないからスルーされたのか「山本さんは狙っていない」と。トータルで60何個かデッドボールでブツけているのですが、1人も乱闘になったり、ケンカになったことはないです。
-:ジョッキーが、レースの最中にわざとじゃないにしても危ないシーンとかがありますよね。レースが終わってから「お前、さっきのは何だ」みたいなのはあるのですか?
太:ありますよ。カッとする時は言い合いになりますしね。でも、それも本当に少なくなりましたね。僕らが若い時はどつかれていましたからね。
昌:威圧するような先輩も当然いますよね。
太:今は、そういう人もちょっと少なくなったし、スマートになったというかね。冒頭の話にも繋がるかもしれませんね。
昌:野球もそうです。小牧さんなんかは(関西の平地騎手で)一番歳上で、僕もそうなのですが、多分そういうのにも対応していったのかなと。僕らがやられ損なんだよね。そういう先輩らにコラッと言われながらやってきて、僕らが上になったら、あんまりコラッと言わなくなりましたね。
太:そうですね(笑)。僕も全然言いません。
昌:僕も言わなくなりましたね。その分、あんまり好きじゃない「今の子たち」という言葉ですが、シッカリしているのか、抜けているのか、ちょっと分からなくて、わざとやっている風ではないので、あんまり怒れないですよね。
-:さっきのお話とリンクしてきましたが、アクが抜けてきたという感じがしますよね。
昌:先輩らにビビりながら、今回やったらまたドヤされるなと思いながらも、競馬だったら馬主さんのためとか、一生懸命乗る訳ですから、そういう緊張感を超えてまた上手くなるというのも、もちろんあると思うのでね。それは、僕らの星野監督の時なんかはフォアボール1つ出しただけでドヤされましたので、それでもマウンドに上がらなきゃいけない。でも、それで上手くなりましたね。こういうところはフォアボールを出してもいいんだ。仕方がないと、ここは良いんだと。「何で、ここで(ランナーを」出すんや」と怒鳴られていましたのでね。そういうことで野球を覚えましたね。競馬とかでもそうなんじゃないかと思いますね。先輩にしかられたことは……。まあ、意地悪な先輩もいるのかなぁ。自分が勝ちたいから抑えつけるとか。
太:ハハハ、誰とは言えませんが、そういうこともありましたよ。そこまで言わなくても良いのになと。やっぱり人の性格もあるのでね。
昌:実名は言えませんが、例えば、先発ローテーションのピッチャーの中でも、やっぱり口で潰しにかかろうとする先輩とか、僕らも多少いましたね。ちょっと上手いのが入ってくると、何かあの先輩突っかかっているな、みたいな。まあ、どこにでもいるんで、それが良いか悪いかは別ですが。
山本昌×小牧太 スペシャル対談(第4章)
「レジェンドからの金言」はコチラ⇒
プロフィール
【山本昌】 Masa Yamamoto
本名:山本昌広
1965年8月11日生まれ 神奈川県出身。
日大藤沢高から1983年のドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。1988年に留学先のアメリカで代名詞ともいえるスクリューボールを習得し、優勝争いに加わっていた同年夏に帰国すると、8試合で無傷の5勝を挙げてリーグ優勝に貢献する。1993年に最多勝、最優秀防御率の2冠、翌年は2年連続最多勝に輝き、投手最高の栄誉である沢村賞を受賞。97年に3度目の最多勝を獲得するなど球界屈指のサウスポーとしてドラゴンズの強力投手陣を支えた。2006年9月には史上最年長でのノーヒットノーランを達成。2008年8月には史上24人目となる通算200勝を達成し、40歳を過ぎてからも卓越した投球術で勝利を積み重ね、50歳を迎えた今年、史上最年長登板記録などを更新し、31年の現役生活にピリオドを打った。通算219勝165敗。
私生活では多趣味な一面もみせ、競馬にも精通。既に一口馬主の出資も始めており、期待の2歳馬リライアブルエースにも出資している。
【小牧 太】 Futoshi Komaki
1967年9月7日生まれ、鹿児島県出身。1985年に兵庫県競馬組合の曾和直榮厩舎から騎手デビュー。当時の兵庫県競馬はアラブのみだったが、当地で重賞57勝をマーク。兵庫リーディングを10度、全国リーディングも2度獲得と、地方競馬で一時代を築く。
'01年頃から中央での騎乗も増えると、01~02年と2年連続で年間20勝以上をマークし、'04年にJRAへ移籍。そして、'08年の桜花賞でレジネッタに騎乗して涙のG1初勝利を挙げると、翌年にも恩師・橋口弘次郎師のローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制覇。2度目のG1勝利を挙げた。大ベテランと呼ばれる年齢を迎えた今も、G1制覇を目標に日々、努力を続けている。