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安田翔伍調教助手

笑うしかないほどの凄さ

-:ロードカナロアを振り返ってみて、調教で良かった動きというのはいつでしたか?

翔:調教は常に良かったんですが、時計ではなく、感触としては、入厩して一番最初に15-15をやるという時に、元々は違う人が担当していたんですが、「すくんで全然調教にならない」と言って。500mの角馬場に乗っても、すくんで帰ってきていたんですが、その人がカナロアで落馬して怪我をしてしまって、そこから僕がカナロアの担当になりました。

500mでもすくむなら、コース1周だとか、坂路1本を、押さえこまずに、筋肉に負担をかけないで行くほうが進むな、ということで、坂路に行ったらすくまなかったんですよね。これはもう進めないとキリがないから、「次の日に15-15もやっちゃいます」と言って、ウチの兄貴と一緒に併せ馬をしたんです。時計は55秒くらいだったのですが、その時に「何だこの馬は!」という衝撃を受けましたね。


-:カナロアにとっては、500mの角馬場では、運動しづらい窮屈な姿勢を強いられていたから、すくんでいたのかも知れないですね。

翔:乗り方の違いもあると思うんです。


「ちょっといい馬なら、どこどこが良くて、と言えるんですが、笑うしか無かったですもん。あまりにケタが違いすぎて、何が良いのかとか言えなかったです」


-:その坂路を上がった後、お兄さんはなんて仰ってました。

翔:兄貴が僕を連れて行ってくれるということで、1頭で初めてやる15-15では馬も戸惑うと思いますし、ちょっと気持ちを乗せるために横に馬を置いたら、途中、兄貴が「うわぁー!」って、先におっつけてて(笑)。止めた後「なんやその馬!」って、2人で大爆笑して。その頃は距離を選択する段階ではなかったので、1200mで活躍するのかは分からなかったですが「これで大きいところを獲れなかったらヤバイで」って、2人でキャッキャ言ってましたよ(笑)。

-:それが現実になったということですね。

翔:ちょっといい馬なら「どこどこが良くて」と言えるんですが、笑うしか無かったですもん。あまりにケタが違いすぎて、何が良いのかとか言えなかったです。

-:それも馬乗りにしか分からない感覚なんでしょうね。

翔:そうですね。カレンチャンなんかはどちらかと言うと、一戦毎に勉強して、力をつけていって、最終的にあそこまで力を発揮できる馬になってくれたんですが、カナロアのように最初から凄さを感じる馬というのは初めてでした。



競走馬として理想的な終わり方

-:カナロアも振り返ってみると、キンカメ産駒の中でもマッチョな感じにはなりましたけど、最初はそうでも無かったですよね。

翔:そうでもなかったですね。筋肉はありましたけど、全体的なバランスは今と比べると少し頼りない感じのものでした。

-:もう少し線の細さのような部分もあって。

翔:そうですね。結構デリケートな馬でした。餌を食べても、あまり実になってくれませんでしたし。

-:牡馬でもお腹が弱かったり、そういうことがありますからね。

翔:初めてオープン特別を勝った後に、秋まで休ませてくれたのが良いきっかけにもなったんでしょうね。

-:ずっと厩舎にいて張り詰めていたら、あそこまでにはなれていなかったかもしれないですね。

翔:3年間で19戦しか走らなかったというのも、この馬の成長を促す意味では理想的なローテーションだったのかなとも思います。ずっと成長し続けたような感じで、流石にもう伸びしろはないだろうと思っていたら、最後の香港ではここまで成長してるか、と思えるような状態で送り出せた程だったので、もっと上があったのかもしれないなと思います。


「僕が抜け殻になってしまったら、あの馬に教えてもらったことが無駄になるので、教えてもらったことを次に生かすことで、モチベーションを上げていきました」


-:その夢は、子供たちに託すことになりますね。最後に引退式の話ですが、引退式に出てきた時に「まだ走れるんじゃないか」と思うくらいでした。

翔:1月10日に入厩して、その後に北海道に送り出すわけなので、輸送に耐えうるコンディションなのかを見る意味でも11、12日に軽く追いました。流石に香港の時と比較するとしぼんでいましたが、今から高松宮記念を全然狙えるな、というような状態でした(笑)。その二日間が一番緊張しましたけどね。現役の時はそんなに乗っていて緊張することはなかったんですけど、(種牡馬としての)値段が決まっていたので「これは要らんことをしたらアカンな」と思って。

-:どういう気分で引退式に望みましたか?

翔:去年のカレンチャンにしても、引退式をしてもらえるような馬に携われるという事を考えてもいなかったので、関わってくれた人たちや馬には感謝しました。今年もこうして引退式の場を設けていただいて、ありがたい、と思いました。次の日に北海道に送り出すまでは気を張っていたので、引退式の時に特別何かを思ったというのはないですね。出発した時に「やっと終わった」という気持ちと「終わってしまった」という気持ちが両方起こりました。

-:抜け殻にはならなかったですか。

翔:僕が抜け殻になってしまったら、あの馬に教えてもらったことが無駄になるので、教えてもらったことを次に生かすことで、モチベーションを上げていきました。

-:正直寂しかったんじゃないですか?

翔:寂しさも半分ありましたし「やっと終わった」っていう気持ちも半分という感じで。



-:でも、一番のハッピーエンドだったと思います。

翔:ウチの親父(安田隆行調教師)なんかは「もったいない。まだ走れるのに」なんて言ってましたけど、僕自身の負担とか抜きで、客観的に見て理想的な引退のタイミングだろうなとは思いますね。

-:無事に馬を牧場に返せたというのも一つのハッピーエンドなんですが、プラスαとして、種牡馬にできたことも。

翔:ファンの皆さんから見た馬の存在価値を汚さずに、種牡馬にできたということが良かったと思います。

-:惜しまれながら引退したロードカナロアですが、これからはキングカメハメハの後継種牡馬として、しかもキングカメハメハとは別路線の馬という可能性も秘めていて、楽しみが広がりますね。

翔:正直、種牡馬の事情っていうのは全然分からないんですけど、素直に子供に乗ってみたいと思います。

-:またその子供たちで走る馬が出てきて、翔伍さんが乗ることがあったら、是非取材をさせて下さい。

翔:お願いします。それまでにまた取材に来てもらえるように、これからも頑張ります。

-:最後にロードカナロアの熱烈なファンにメッセージをお願いします。

翔:3年間で19戦という決して多くはない戦歴なんですが、皆さんからの熱い応援というのは一戦一戦感じていましたし、本当にありがたい3年間でした。またこういう風に思えるような馬を輩出できるように、カナロアに教えてもらったことを生かして頑張っていこうと思います。今後共よろしくお願いします。

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【安田 翔伍】 Syogo Yasuda

昭和57年7月8日生まれ。高校時代にアイルランドに渡り、本場の馬乗りを経験。1年間の修行を経て帰国後はノーザンファームへ。その後、安田隆行厩舎に入り、フィフティーワナー、カレンチャン、ロードカナロア等の活躍馬の調教を担当する。
父は安田隆行調教師、兄は同じ安田厩舎に所属する安田景一朗調教助手。兄と共に厩舎の屋台骨として活躍している。


【高橋 章夫】 Akio Takahashi

1968年、兵庫県西宮市生まれ。独学でモノクロ写真を撮りはじめ、写真事務所勤務を経て、97年にフリーカメラマンに。
栗東トレセンに通い始めて17年。『競馬ラボ』『競馬最強の法則』ほか、競馬以外にも雑誌、単行本で人物や料理撮影などを行なう。これまでに取材した騎手・調教師などのトレセン関係者は数百人に及び、栗東トレセンではその名を知らぬ者がいないほどの存在。取材者としては、異色の競馬観と知識を持ち、懇意にしている秋山真一郎騎手、川島信二騎手らとは、毎週のように競馬談義に花を咲かせている。
毎週、ファインダー越しに競走馬と騎手の機微を鋭く観察。馬の感情や個性を大事に競馬に向き合うことがポリシー。競走馬の顔を撮るのも趣味の一つ。