涙の復帰後V オールド・ルーキーが栗東で再起を図る
2014/8/28(木)
栗東滞在直前、騎手復帰後の初勝利
-:まずは騎手復帰後、初勝利おめでとうございます。
柴田未崎騎手:ありがとうございます。
-:白星を挙げられた日は手綱を執って2戦連続3着で来ていたココロノママニが乗り替わりとなり、1Rで1着。3月からの復帰後は決して騎乗馬に恵まれていない中で、勝利に最も近い手駒はあの馬だと思っていただけに、初勝利を挙げるまでは大変だな、と感じていた矢先の結果。それだけにビックリしました。
未:そうですね。乗り替わりになってしまい、僕も凄く残念ではありました。しかし、あの日の福島の馬場はヴァンデミエールに向いていましたし、なんとかチャンスをものにできましたね。
-:競馬ラボのコラムではその戦前から栗東へ拠点を移すことを公表されていました。2週前から栗東に来られている訳ですが、その意図から聞かせて下さい。
未:直前に勝てたから良かったですけど、全然勝てなくて、このままではマズいな、という焦りもありました。そして、所属していた厩舎からフリーになったキッカケもあり、もう一度、気持ちを切り替える意味で、1、2ヶ月前から環境を変えてみようと思いました。
-:家族も置いて、単身での挑戦となった訳ですよね。
未:そうですね。今は小型犬が2匹いるので、こちらでなかなかペットを飼えるところがなくて、探しているところではあります。
-:大体、どれぐらいまでいらっしゃる予定なのですか?
未:年内いっぱいは、と考えているのですが、来年以降はそれからまた考えます。
-:栃木の出身で、騎手になられてからも美浦に所属。関西に滞在するのは初めての経験だと思いますが、いかがですか?
未:みんなが良くしてくれています。最初は全然ツテがなかったので、すごく心細かったのですが、案外すんなりと溶け込めた感じですね。
-:平日は田所秀孝厩舎を中心に活動されています。そこに至るまではどんな出会いがありましたか?
未:田所厩舎に知り合いの助手さんがいたこともあって、昨年、阪神ジュベナイルフィリーズでクリスマスが栗東に滞在していた時にもお世話になっていたのです。その関係で先生にお願いをしたら、調教に乗せてくれることになりました。他はこちらのエージェントさんの紹介で、森田先生(森田直行調教師)の厩舎を手伝うようになって、そうしたら、森田先生が矢作先生(矢作芳人調教師)に電話して下さって、矢作厩舎でも調教に乗せてもらっています。矢作厩舎ではダノングラシアスという新馬にも乗せてもらったのですが、あの馬は力がありそうでした。
-:この2週間でも広がりが出てきたわけですね。栗東を体感されて、美浦との違いはありますか?
未:全てが合理的に動いているというか、すごくスムーズに回っている感じがします。誰もが凄く良くしてくれますので、雰囲気としても気を遣わなくて良いというか、全く知らないところでも、スムーズに入っていっても対応してくれるところはあります。
-:明るいムードは馬にも伝わるでしょうね。
未:調教にしても、こちらは追い切りの時計よりも乗り手の感触を大事にしてくれるというか、そこまでは細かくは言われないですね。
-:馬の見た目の違いは感じますか?
未:乗った感じがすごくシッカリとした馬が多いと思いますね。何か芯がシッカリとしているというか、ガシッとしている馬が多いですね。追い切りを目一杯やるからですかね。距離的にはそんなに乗っているとは思えないのですが……。競走能力に関わらず、安心して乗れるというか、そんな印象はあります。
調教助手転身から再デビューに至るまで 復帰の要因は夫人!?
-:そもそも 3月から騎手再デビューされたわけで、そこに至るまでに大変な苦労があったと思います。再受験を決意した経緯を教えていただけますか?
未:一番の大きな理由は(双子の兄弟の)大知の活躍です。僕としては独り身だったら騎手でも良かったのですが、嫁さんにも迷惑が掛かると思って、金銭的に安定している調教助手になったんです。しかし、大知がマイネルネオスでG1を勝って、そこから活躍を続けてきた姿を観て、逆に嫁さんが「いや、まだできるでしょう」という感じになっちゃって。「もうちょっと頑張ってみたら」と言うのでね。助手という仕事には、馬を仕上げて走ってくれた時の感動や魅力はあるのですが、やっぱりどこか物足りなさも感じていたのです。
まだまだ体も動きますし、騎手をまたやってみたい気持ちもありましたからね。一度、調教師試験も受けてみたのですが、まだ自分には違うな、という感触もありました。それを受けるにあたって色々と勉強をしたことは、自分のためになりましたし、無駄ではなかったと思うのですが、結論としてはまだ物足りなさを感じていた、というところですかね。もちろん甘い仕事ではないので、物凄く考えましたが、試験を受けるだけ受けてみようという感じでしたね。
-:再デビューにもそんな経緯があったのですね。奥様は年上でしょうか(笑)?
未:年上ですね(笑)。負けず嫌いというか、そういうところはありますね。僕は「そんな甘くない世界だから」と言っていたのですが、嫁さんの話を聞いている内に段々とやってみよう、という気になりました。
-:その頃の騎手試験は再受験の要綱はなかったですよね。
未:なかったですね。発表されるだいぶ前にそういう噂があったので、その頃から勉強と体力作りはやっておこうかな、と準備はしていました。
-:それでも、試験自体は難しいですよね。
未:難しかったですね。(高度な)調教師試験にも出そうな問題が出ていたので。書けるものは書いたのですが、点数としてはかなりギリギリだったと思います。
-:決意することも大変なことですが、助手をやられていた頃に、普段の仕事もありながら、受験勉強を並行するのは大変ですよね。
未:大変でしたね。昼間の時間と、仕事を終わって夜の時間に集中してやりました。もともと勉強が嫌いではなかったので、結構やれましたね。
-:予習をするための過去問題はどこから集めるのですか?
未:事務所に行けば売ってくれるんですよ。過去10年分ぐらいあるので、それを全部買ってきて。ただ、10年前とは比べ物にならないくらい難しいですね。まあ、その前に調教師試験も受けていたから、ある程度覚えていた部分はあったので、無駄になってなかったかなと思います。それでも、出題の範囲はかなり広かったですね。
-:3年間の調教助手時代は今年もG1馬を輩出した斎藤厩舎で働かれました。学んだことはありましたか?
未:1頭の馬を競馬に持って行くサイクルや、馬のケア、獣医さんに見てもらう時の治療方法など、知らないことがいっぱいあったことを痛感しましたね。それに、馬の脚を触ったこともなかったですから、無駄な3年間ではなかったと思います。そして、1頭の馬には、沢山の人の気持ちや、思いが込められているということを、大事にしていかないといけないなと。持ち乗りみたいなこともやっていましたし、余計に痛感しましたね。
※3年ぶりの現役復帰で感じた「いまの日本競馬」。そして、兄・大知、栗東での恩師・田所師からも柴田未崎騎手への激励のメッセージなど。柴田未崎騎手インタビュー後半は8/31(日)に公開です!
プロフィール
【柴田 未崎】Misaki Shibata
1977年生まれ。福永祐一、和田竜二らとデビューを同じくする「花の十二期生」の一人。同じくJRA騎手の柴田大知とは双子の兄弟。 JRA史上初の双子騎手として話題となった。 中学時代はほぼ全科目において 学年上位の成績を残したために競馬学校入りを驚かれたという。1996年3月にデビュー。初騎乗は16頭立ての12着だった。同年6月16日、マイネルダンケで初勝利を挙げた。2004年、東京競馬場でハッピートウキョウに騎乗し障害競走初勝利を挙げ、以降は障害競走を中心に騎乗していた。 2011年3月、騎手を引退し斎藤誠厩舎の調教助手となり、新たなホースマン人生を歩んでいたが、2013年より再び騎手試験を受験し合格、2014年3月1日から騎手に復帰することとなった。