
大井の超新星 新時代のスター候補が初登場!
2014/8/28(木)
生まれながらの騎手候補生
-:昨年、大井競馬からデビューをされて、目覚ましい活躍を遂げられている笹川翼騎手。今回は初めてインタビューをさせていただきますので、騎手になるまでの経緯から振り返ってください。まず、新潟県のご出身ということで、小さい頃の笹川騎手はどんな子供でしたか?
笹川翼騎手:よろしくお願い致します。子供の頃はずっと新潟で育ちました。僕が長男で、弟と妹が一人ずついる家庭で、両親は競馬とは関係がない仕事に就いていました。祖父(此村与志松氏)が元ジョッキーで、千葉で牧場をやっていたことで、その牧場に遊びに行った際、馬を見たことがキッカケで騎手を目指すようになったのです。昔から外で遊んだり、体を動かすことが好きで、学校ではサッカー部に入っていました。野球もよくやりましたね。
-:牧場で馬を見たのは小さい頃ですか?
笹:物心つく前から見ていました。その頃から時には馬に乗せてもらうこともありましたね。当時から騎手になりたい、と決めていたので、特別な転機などもなく、この道一筋で来ました。
-:馬に携わっていた時からジョッキーになりたかったのですね。実際の競馬も観ていましたか?
笹:ずっと見ていました。その影響で、ひらがなよりもカタカナを先に覚えたくらいです(笑)。
-:ハハハ(笑)。その当時に好きだった、応援していたジョッキーや馬はいましたか?
笹:ジョッキーは分からなかったのですが、祖父の牧場が西山牧場(白井分場)だったので、縁があるセイウンスカイは好きでした。実際に牧場でセイウンスカイをみていた訳ではありませんが。

-:地方教養センター(地方騎手の競馬学校)には中学校を卒業して、すぐに入学されたのですか?
笹:いや、1年間は高校に行きました。実は中央競馬の試験も受けたのですが、一度、落ちて、翌年も再受験をしたのですが、また不合格になってしまいました。そこから最終的に地方を目指すことになりました。
-:教養センターでの日々は大変だったと思いますが、基本的なスケジュールはどんな毎日でしたか?
笹:朝は競馬場ほど早くなかったですね。7時くらいに馬の手入れなどをやって、それから朝飯を摂って、昼くらいまで馬に乗りました。昼飯後はまた手入れなどを夕方まで行って、夜は各々のトレーニングの時間でした。
-:体重管理のために、食事を調節されたりはしていましたか?
笹:僕は体重であまり苦労をしなかったので、気にしませんでしたが、周りには辛そうな人もいましたね。
-:今振り返ると、騎手学校時代はどんな2年間だったのでしょうか。
笹:ひとえに楽しかったです。そんなにキツイと思ったことはなく、同期も皆、仲が良く、互いに切磋琢磨しているような間柄でした。自分の良い糧になった学校生活だった、と今でも思います。
-:その同期同士で、今でも連絡を取ったりしているのですか?
笹:時々、取っていますね。必然的に南関の同期とは話すことは多いです。それに、同期がどういう競馬をしているのか、気にはなるもので、成績もチェックしてしまうくらいです。

自身の意思で大井競馬へ
-:所属先が大井競馬になった経緯も教えていただけますか?
笹:大井は地方競馬の中でレベルが一番高いと思いましたし、ずっと「所属は大井が希望」と言っていました。「乗鞍もなくて厳しいし、違うところでいっぱい乗った方が良い」と周囲には言われていましたが、“そこは自分の力で何とかしよう”という覚悟で行きました。最初は厩舎も決まっていなかったのですが、その時の教官の先生が、うちの先生(米田英世調教師)の大学の先輩で、紹介して頂けました。
-:余談ではありますが、自分の希望があったとしても、受け入れ先が決まらないと、また違う所属先になってしまうのですか?
笹:そうですね。希望を出しても引き受けてくれる人(調教師、厩舎)がいないとダメですね。
-:そういうご縁もあって、大井に来ることができたのですね。所属の米田厩舎はどんな厩舎ですか?
笹:素晴らしい厩舎だと思います。ゆくゆくは自厩舎で大きいところを獲りたいとも思っています。
-:昨年の4月7日にデビューした時のことは覚えていますか?
笹:さすがに緊張しましたね。パドックで待っている時はそわそわしてしまいましたよ。普段は緊張したり、しなかったり、状況によって違うものですが……。それでも、緊張している時は大概、上手くいかないものです。
-:緊張したとはいえ、デビュー戦は2着になりましたね。
笹:2着でしたが、普通に乗っていれば勝っているレースでした。結果は2着でも内容は反省の2着です。
-:その2日後の4月9日に人気薄で初勝利を挙げましたね。
笹:ビックリしました。その時は全然、緊張もしていなかったです。もちろん、嬉しい気持ちはありましたが、唐突に“勝ってしまった”という印象が大きかったです。戦前に成績を残せていなかった馬なので、大きなプレッシャーも感じずに乗っていたのが正直なところです。
「4月はなるべく目立つよう競馬に乗ろう、と心がけていました。それが良いアピールになったのかな、という意識はあります。今とデビューした時とは競馬の心構えは違いますが、良いアピールになったのかと思います」
-:そこから9ヶ月間で43勝という成績は凄い数字だと思います。自己分析として、どうしてここまでの数字を上げられたと思いますか?
笹:調教師の方々や馬主さんにいっぱいチャンスを貰えて、良い馬に乗せて頂けたからだと思います。その反面、取りこぼしも多かったですし、上手く乗れないレースもあるのですが、それでもチャンスを頂けました。新人ながら乗鞍も多く、そこに感謝するばかりです。43勝という数字には納得している部分もありますが、納得していない反省の思いが大きいですね。と言うのも、600回近く乗っての43勝なので、もう少し勝てたのではないか、と今でも思うレースもあります。
-:とはいえ、新人ジョッキーですからね。勝てるようになったキッカケのレース、出会い、その秘訣はありましたか?
笹:4月はなるべく目立つよう競馬に乗ろう、と心がけていました。それが良いアピールになったのかな、という意識はあります。減量特典で斤量が軽いので、ある程度、早く仕掛けたり、前に行っても止まらないですし、そういう競馬を心掛けたことが良かったのかと。今とデビューした時とは競馬の心構えは違いますが、良いアピールになったのかと思います。
-:ここまで親身にアドバイスしてくれる方はいましたか?
笹:沢山の方々からいただきましたし、自分からも聞いたりしました。怒られることもありましたが、それも良い経験になったのかと思います。

-:そして、NARの優秀新人騎手賞という、一生に一度しか貰えない賞を獲りましたね。
笹:凄く嬉しかったです。賞は一年を通して意識していました。道営の同期がけっこう勝っていたのですか、何とか獲れましたね。
-:1年目でもベテランジョッキーやトップジョッキーとレースをしなくてはいけません。体もある程度出来てないといけないと思うのですが、子供の頃からの経験や生活が生きた面もありますか?
笹:学校に入ってから考え方が変わって、部活もずっとやっていたのですが、一人で黙々とやるタイプになりました。そこからちょっと変わったかもしれません。周りもみな上手かったですし、負けたくなかったし、普通にやっていても面白くないので。それが今となっては良い方にいったのかなと思います。
-:体はもちろん、精神面にも良い基礎になっているのですね。
笹:学校や部活動で鍛えられた感じはあります。
※「中央、海外でも乗りたい」と語る今後の大いなる野望。そして、戸崎圭太、真島大輔ら大井の先輩からのエールも。笹川翼騎手インタビュー後半は8/31(日)に公開です!
プロフィール
【笹川 翼】Tsubasa Sasagawa
祖父が新潟県競馬の元騎手で、引退後は西山牧場・白井分場の場長を勤めるなど、幼少の頃から競馬に近い環境で育ち、騎手を志した。地方競馬教養センター騎手課程第91期生として昨年4月にデビュー。同期にはルーキーイヤーには43勝を挙げ、南関勢では川島正太郎騎手以来、5人目となるNARグランプリ優秀新人騎手賞を獲得。今年はここまで32勝で、南関東リーディングのTOP20をキープ。次代の南関東を引っ張る存在として、さらなる飛躍が期待されている。(成績は2014年8月24日時点)
1994年 新潟県出身。
2013年 大井競馬よりデビュー。
地方初勝利:
2013年4月9日 大井競馬1R アンルヴェプルミエ