栗東での恩師・田所秀孝調教師が語る柴田未崎騎手
2014/9/3(水)
チャンスは与える栗東の環境
-:柴田未崎騎手が騎手に復帰して初勝利を挙げました。ファンの方にとっては、どういうところを厩舎でお手伝いしているんだろうという、単純な疑問があると思います。
田所秀孝調教師:以前、騎手になる前に斎藤くん(斎藤誠調教師)のところの馬で、栗東に帯同で来たことがあるのです。その際、うちの助手が美浦で彼とも懇意にしていて、乗る馬が少ないので手伝ってくれるという話になりました。関西にきたからにはどこかに起点を置かないと、という話になって、うちでも良いよ、という運びになりました。
顔は知っていても、いきなり手伝いたいから、と来られたら、それはうちらとしても分からへんわ、となります。今回はうちの助手も良く知っている子で、性格も知っている。凄く研究熱心で、新たなものを吸収したい、という気持ちが、話を聞いて伝わったので“今回はうちにきたらどうだ?”となりましたね。
-:先生もジョッキーとして馬に乗られていましたが、難しさや重要なことは何ですか?
田:まず第一に、自分の持っている騎乗技術、センスですね。馬に応じた乗り方や馬の性格を把握して、それを最大限、自分の騎乗で競馬に生かす。勝ち負けは能力とか色々あるからね。僕らの時とちょっと違うのは、まず、乗り役の場合だったら、師弟関係があったのです。今はフリーですよね。騎乗技術はもちろん必要でも、プラスして“営業”も必要になってくる。それが僕らの時と違います。それで、彼に言っているのは、例えば、自分が騎乗馬を集める過程で、東と西とはちょっと違うんだよと。
-:外部目線のイメージで言うと、関西の方が人情味があることくらいしか分からないです。
田:チャンスがあるところには、チャンスを与えたい。ただ、義理人情だけで乗っけていても、馬乗りが下手であるとか、指示通り乗らなかった、諸々の騎乗に不手際があるなど、なかなか応えてくれなかったら、ある意味、関西の方がバッサリ切っていくかもしれない。チャンスは与えるけど、スパッと切っていくんです。
-:それ相当の結果は残せよ、ということですね。
田:関東の場合は、乗れない、と決めたら皆が右ならえなんです。僕が“彼は上手いし、乗せたいな”と思っていても、隣の厩舎の調教師が「あれじゃあダメだよ」と言ったら、右にならえなんですよ。ただし、彼らだって、それで飯食っているのだからね。
-:田所先生は他の先生よりも情に厚いイメージがあるのですが?
田:うちの依頼騎手を見たら分かりますよね(笑)。でも、勝負所はユタカ(武豊騎手)を乗っけたりします。
-:単純にジョッキーのランクが上手さではなくて、馬には個性があるので、日々調教で乗ってくれていて、癖を掴んだ人じゃないと、レースで結果が出ないということもあると思います。それもファンにとったら、競馬の面白さの一つです。リーディングトップの人が乗っても、日々の調教で乗って癖を掴まないと、レースで成績が良くならない特殊な馬っているじゃないですか。そういう馬を走らせるには、日々の調教に携わっていないと無理じゃないですか。
田:ファンはそういう気持ちの人が多いのですかね。現場も基本的にはそういう考えですよ。ただ、中には、厩舎サイドなのか、オーナーサイドの意向なのか“うちの厩舎は、俺の馬は、一流しか乗せない。そのための投資をしているのだから”という人もいます。でも、全能力を出そうと思ったら、普段から乗っていて、癖の掴んでいる乗り役に乗せたいと思います。
もっとレースでの大胆さを
-:先生が現役のジョッキー時代を、一人のファンとして見ていたのですが、その時は情に熱く、この馬といったらこのジョッキーというのが決まっていて、乗り替わる心配もなかったです。
田:それはフリーが多くなったからです。所属するところが少なくなって、そういう風潮になってきたのかなと。
-:逆に言うと、競馬にビジネス色が強くなりました。昔は5歳の秋になったら、という常套句があって、いつか走るんじゃないかと、長い目で馬を見る、という考えが多かったと思います。今は2歳でデビューしてすぐに勝ってほしいし、未勝利は脱出してほしい。目の前の成績を追うが故に、晩成型の馬が無理をして、故障するケースを目にします。凄く勿体ないというか、馬がいなくなったら競馬は成り立たないのに、と思います。
田:結果を追い過ぎてもいけないし、彼も一生懸命やっているから、チャンスもずっと与えてやりたい。しかし、途中でヘマしたら、やっぱり切らざるを得ないです。馬に合わないこともあります。それでも、あの馬にも合わない、この馬にも合わない、となったら、当然、難しくなってきます。そこは本人の努力ですよ。
-:中舘さんだったら逃げるとか、昔の安田康彦だったら追い込みなど、騎手には個性のある色があると思います。柴田未崎というジョッキーにも一つの色というか、そういう何かがあれば、武器になるのかなという気はします。
田:まだないですよね。ただ、一点言えるのは、レースに行っての謙虚な気持ちはいいけれども、謙虚が故に抑えちゃう。無難に乗るんです。自分の中で失敗したら嫌だな、と不安になるんです。そういう気持ちになると、やっぱりレースでは良い方向には出ませんよね。思い切りがあれば良いのですが、そのへんがこれから出てくると思うし、もっと出してほしいですね。
-:(田所師が騎手時代の)サムソンビッグのような乗り方ですか?
田:僕ですか(笑)。掛かるから逃げたきさらぎ賞ですね。
「僕らも経験があるから分かります。今日は出遅れたから、次のレースのためにと。しかし、厩舎側、僕らは次のレースがないのです。それだったら、故障したら責任は俺が取るのだから、何で無理にでも追わないんだ、と言いたいところです。その時には、次は乗り役が替わりますよね」
-:そういうハートの部分を感じるような競馬を期待しているのですね。
田:彼にはできると思うし、若い奴が一杯出てくるから、今が最後のチャンスですね。40までにはある程度、ポジションを確立というか、自分でアピールするものを作れば、また再起できると思います。
-:僕らファンのためにも熱い騎乗をして欲しいです。
田:うちの厩舎を起点に色々やっているから、活躍してほしいと思います。あとはレースに行っての大胆さですね。下手したらアカンな、となるのではなく、スパッと気持ちを切り替えて、勝負は勝負でバスッと行ってほしいです。僕らも経験があるから分かります。今日は出遅れたから、次のレースのためにと。しかし、厩舎側、僕らは次のレースがないのです。それだったら、故障したら責任は俺が取るのだから、何で無理にでも追わないんだ、と言いたいところです。その時には、次は乗り役が替わりますよね。
-:そう考えると、美浦と栗東の環境の違いというのは、国分優作騎手や水口騎手が移籍してきたりしているじゃないですか。それで結果が出ているのですよね。
田:チャンスは関西の方が与えるのですよね。うちは優作も恭介(双子の兄弟の国分恭介騎手)も乗っけたりしていますが、次から次に若手もくるし、3キロ減だっています。だから、5、6年前に優作がうちで10、20乗っていたとしても、今じゃ4、5回くらいです。その分、新たな若手や、未崎を乗せているんです。
五位一体が田所流 未崎騎手には殻を破る競馬を
-:難しいことは、結果を追い求めていくと、どんなスポーツ選手でも視野が狭くなってくるじゃないですか。でも、結果を出そうと思ったら、視野を広げた方がいいじゃないですか。そこでの気持ちのコントロールが、一番難しい時期でしょうか?
田:そうだと思います。今、37歳の彼がいつまでここでやるか、聞いていないのですが、「年内は関西で頑張ってみたい」と言っています。そこで、引き続きここでやれるな、という自信ができたら、それはそれで良いと思います。
-:とにかく、この夏から秋にかけて。小倉はチャンスですよね。先生の厩舎にもともと所属されてた北村浩平さんは、今となっては須貝厩舎のゴールドシップで、一躍有名になりましたね。
田:彼も対人面で乗り役を諦めましたからね。
-:先生が育てた人材が、競馬界で活躍されていますね。先生の暖かい人柄があってこそですね。
田:僕も70歳の定年が見えてきています。慕ってくる人がまだいるのは嬉しいし、有り難いことです。できる範囲の中で応えてやりたいなという気持ちは強いです。
-:先生みたいに乗り役をやっていらっしゃって、引退してからも乗り役の気持ちを汲んであげるような方は、けっこう少ないですよね。
田:そういう調教師も少なくなってきましたね。前はもっと調教師は騎手経験者がなるのがほとんどでした。その後に、助手や厩務員からなったりするようになりました。だから、関東の若手のとか、今年開業した人の名前を言われても、顔が浮かんでこないです。時代も変わってきているし、我々もこれで飯食っています。ある意味、個人事業主であって、中小企業の社長みたいなもので、従業員を養ってるのだから、自分も利益を上げないといけないし、皆にも利益を上げるといけません。そのためには、ケースバイケースもあるけど、シビアになっていかないといけないです。昔のシビアじゃない、現代的なシビアです。
僕らがそういうことをあんまり言ってしまうと、今度は成績のことを言ってしまう。あるいは入る馬のことを言ってしまう。ダメだといったらそれまでだけど、やっぱり生き物だから、僕が最初から思っているのは、うちらは“三位一体、四位一体”ってことです。生産者がいて、オーナーがいて、育成場があって、調教師がいて、最後は乗り役。だから、“三位、四位、五位一体”なのです。だから、携わってくれた人が喜んでくれるような馬作りを我々はしないといけない、と思っています。
「色々なことを考えながらやっています。その考えが、騎乗に影響すると、小さくなるんですよね。そういう殻を自分で打ち破ったら、もっと大胆な騎乗ができるかもしれないです」
-:そこが一体になっても、結果を出せる能力のある馬と出会えるというのは、一握りです。難しい世界ですよね。
田:求められて、3着、2着と入着が重なってくると、次は一流のこの人を乗せて欲しいな、というのも出てきます。それでも、彼が一生懸命やってくれたからこられたから、“彼で勝ちたい”となります。当然、オーナーにはそれらしいことを言うけれども、うちの厩舎のオーナーというのは、みんなそういうのを分かってくれているから、乗り役のことに関しては、一切何も言わないし、向うからも言ってこないです。反対に、自分がこの馬にはどうしようかなと、ある程度、2着、3着があって、たまたま乗せようと思っていた乗り役が他場に行ったとか、その時には、「誰を乗せますか?」と聞きます。
-:昔よりシビアになってきたこの社会で、先生のような人間関係を大事にする先生というのも少なくなっています。僕らとしては、そういうのも競馬の中に残しておいてほしいのですよね。
田:僕が定年を迎える時までは、たぶん今の考え方や気持ちは変わらないし、変えるつもりもないし、そのままでどこまで行けるかなと思っています。極論ですが、それで馬が集まらなかったら、僕は必要とされない人間です。そうなったら看板を下ろして、調教師を辞めます。幸いなことに、皆に考えを理解してもらって、馬を預けてもらっているのだから、今の気持ちを変えることなく、毎年、新たな馬を成長させて、重賞に挑戦したいです。未崎くんも腕があって、技術を今以上に上げて、まだまだ遠慮して乗っているから、それを吹っ切れることがあったら、その輪に入って行くかもしれないです。
-:そういう意味では、未崎騎手には騎乗技術以前に、せっかく関西にきたのだから、関西流のトークとか、話術も身につけてほしいです。もっと口から先にアピールしてくような、“全部ウェルカム”みたいな感じの人になった方が良いのじゃないかと思います。
田:まだ遠慮して喋っていますよね。変に喋って、この人に迷惑かけたらアカンとか、こんな生意気なこと言ってもいいんだろうかとか。ホラでも吹くくらいの気持ちで。やっぱり、色々なことを考えながらやっています。その考えが、騎乗に影響すると、小さくなるんですよね。そういう殻を自分で打ち破ったら、もっと大胆な騎乗ができるかもしれないです。
-:ショートパットでショートしているようじゃダメですね。
田:真ん中から向うの壁に当てるくらいに。ラインじゃなくて真っ直ぐに。迷ったら真っ直ぐ行けと。1mくらいなら、スライスだフックだじゃなくて、真っ直ぐ。強めにドンっと。
-:有り難うございました。今後も若手育成と、強い馬の育成を頑張って下さい。
プロフィール
【田所 秀孝】 Hidetaka Tadokoro
1971年に騎手免許を取得してデビュー。同期には中野栄治調教師、南井克巳調教師らがいる。1977年、11月より父の栗東・田所秀雄厩舎所属に。その理由としては後の阪神4歳牝馬特別を制したサンエムジョオーがいたこと。1995年の騎手を引退し、厩舎開業後は函館記念を3連覇したエリモハリアーなど個性的な馬を育て上げる。開業19年目で常に安定した勝ち星を積み重ねており、昨年はいよいよ出てきたクラシック級の大物クロフネサプライズで3歳牝馬戦線を盛り上げた。
1960年京都府出身。
1996年に調教師免許を取得。
1996年に厩舎開業。
初出走:
1996年1月27日2回京都1日目3R ヤクモアゲイン
初勝利:
1996年3月17日1回阪神8日目2R ヤクモアゲイン
プロフィール
【高橋 章夫】 Akio Takahashi
1968年、兵庫県西宮市生まれ。独学でモノクロ写真を撮りはじめ、写真事務所勤務を経て、97年にフリーカメラマンに。
栗東トレセンに通い始めて18年。『競馬ラボ』『競馬最強の法則』ほか、競馬以外にも雑誌、単行本で人物や料理撮影などを行なう。これまでに取材した騎手・調教師などのトレセン関係者は数百人に及び、栗東トレセンではその名を知らぬ者がいないほどの存在。取材者としては、異色の競馬観と知識を持ち、懇意にしている秋山真一郎騎手、川島信二騎手らとは、毎週のように競馬談義に花を咲かせている。
毎週、ファインダー越しに競走馬と騎手の機微を鋭く観察。馬の感情や個性を大事に競馬に向き合うことがポリシー。競走馬の顔を撮るのも趣味の一つ。
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