震災を乗り越え愛された個性派トーセンラー
2014/12/21(日)
香港ではなく有馬記念を選んだ真相
-:トーセンラー(牡6、栗東・藤原英厩舎)はマイルCSで2番人気と期待されていましたが4着でしたね。このレースをご覧になっていかがでしたか?
荻野仁調教助手:もうちょっと走れる馬なのですが、走らせることができませんでしたね。
-:それはコンディション的にですか?
荻:コンディションは良かったと思うのですが、流れなどがね。昨年のデキがすごかったので、そこまでの感じはなかったのかもしれません。色々と距離を使ってきて、去年はマイルを使うときにだいぶ攻めました。そういう部分で今年はコンディションを保っていくような、馬自身の機嫌を損ねないような調教をしていましたね。
-:マイルCSを使った後、色々と選択肢があったと思います。香港というのはトーセンラーの性格的に空輸が向かないというのもあったのでしょうか?
荻:マイルCSを勝っていたら、何の精神的なストレスも掛けない状態で、そのまま連れて行くことも考えたのでしょうが、やっぱり負けてしまったのでね。フィエロみたいに勝ちに等しい競馬をしてくれれば、もう一つ上積みで、というところもありますが、4着では、という思いはありますね。あとはもともと体質が弱いのでね。そういったことで辞めたんだと思います。
-:ここ最近は京都コースとの相性が良いということで、その分、距離は幅広く使ってきましたが、今回の決断は意外にも有馬記念でしたね。
荻:セントライト記念の時は2着に来ているんですよね。日経賞(10着)の時も馬場が良くなかったですし。
-:そう考えると相性はそこまで悪くありませんよね。
荻:良馬場ならそんなに悪くないんですよ。ただ、暮れの中山はあまり馬場が良くならないですよね。
-:確かに10年前ぐらいだと荒れた芝のイメージはありましたが、その後は芝の育成状態も改良されて、時計の速い有馬記念もありました。ただ、トーセンラーが府中で結果を残せなかったのは輸送もあるかもしれませんが、2回とも雨でした。結局左回りがどうだったのか分からないままになってしまいましたね。
荻:それはどちらの可能性もありますよね。遠征して身体が減るというのと、雨が降っているというのと。左回りが下手というのは、当時は少し斜めっていて、左にささるようなイメージはありました。
-:馬場が悪い時に成績が出ていないのはどうしてでしょうか?
荻:ユタカさん(武豊騎手)が言っていたのはトビがきれいなので、馬場が緩いと力を抜いて走れないそうです。一生懸命に走って、必要以上に力んでしまいますね。安田記念の時も来るかな、と思ったら伸びませんでした。道中で力を使っているのかなと思います。
-:今朝、内田博騎手と中山の馬場についてお話をしたのですが、結構良いコンディションだとおっしゃっていました。見ていると柔らかい馬場なのかなとも思ったのですが、ある程度時計も出るので、もしかしたらトーセンラーと合うのかもしれませんね。
荻:ここまで来たら最後なので、とにかく悔いのないように調教したいですね。あとは天気がどうかとかもありますが、最後なので、そういうことは関係ないですね。
震災を乗り越えてG1馬に
-:今週の追い切りはいかがでしたか?
荻:良かったですよ。本馬場でビッシリやりました。寒さの影響でウッドチップの馬場状態が良くなかったので、先生(藤原英昭調教師)の判断で急遽でしたが、そうなりました。
-:芝の状態はいかがでしたか?
荻:けっこう柔らかかったですよ。カチカチではないですね。
-:マイルCSの時も身体は良かったですが、今日見せていただいたら、その状態は維持しているように見えました。もしかしたら、前走の時よりも良いのかなと思うほどでした。
荻:悔いの残らないように、全力で仕上げています。
12/17(水)、芝コースで武豊騎手が騎乗
一杯に追われて6F75.9-60.3-47.3-35.4-12.2秒をマーク
-:最後のレースになりますので、ファンの方にトーセンラーの思い出話をしてもらってもよろしいでしょうか?
荻:一番は震災に遭っているということでしょうね。山元トレセンに居た時に、地震がありましたから。
-:馬も怖かったでしょうね。
荻:怖かったと思いますよ。みんな、大変だったと思います。道が遮断されて、孤立していた訳ですからね。先生(藤原英昭調教師)も「大変だった」と言っていましたし“どうするよ。そこから出せるのはいつなんだろう”という感じでした。先生に「とりあえず美浦まで行って来い」と言われたので、馬運車に乗って美浦まで行きました。何とか道を探しながら行きましたね。
-:美浦まで行くのも大変だったのですね。
荻:あの時は原発のこともありましたしね。それでも美浦までなら何とか行けるので、行きました。それで美浦の近くの牧場で一泊しました。
-:そこにミラクルレジェンドと一緒に行った訳ですね。
荻:そうですね。それで次の日に栗東に戻りました。
-:その時のトーセンラーの状態はいかがでしたか?
荻:荒れていましたよ。ミラクルレジェンドの方がしっかりしていました。
-:女は強いですね。
荻:そうですね。あの時は3歳の春で、きさらぎ賞を勝って、一息入れている間の出来事でしたからね。皐月賞の前に入厩させる予定だったのですが。
-:あの時は皐月賞も東京でしたね。
荻:そういう経緯もあったので、けっこうな思い入れはありますね。
-:それを引きずるかたちで皐月賞、ダービーと結果が出なかったのでしょうか?
荻:というよりも、辞める訳にもいかないですし、使わなきゃいけないです(笑)。あの時は凄く身体も減ったんですけどね。帰って来てから馬がおかしかったですよ。曲がっていましたし。
ダービー出走前のトーセンラー
-:それは身体の軸が、ということでしょうか?
荻:左に張っていましたね。
-:その後に立て直して、セントライト記念は2着と、休養の間に回復ができたということですか?
荻:回復できたと思います。山元トレセンに行くとフレッシュになって帰って来ますからね。
-:その後に京都記念とマイルCSを勝った訳ですが、以前、荻野さんがおっしゃっていたスーパーホースには届かなかったでしょうか?
荻:足りなかったです。正直、超一流の馬ではないですね。
-:でも。超一流の片鱗は見せれたのではないですか?
荻:もったいない馬ですよ。超一流だったら、馬場が重かろうが勝ちますからね。お父さんなんかはバケモノじゃないですか。でも、良い時はそれに似た走りをするんですけどね。
武豊に始まり武豊で引退
-:牡馬にしてはサイズも手頃です。引退後は種牡馬になりますが、良い子どもを出しそうな気がします。体質の強いお母さんと出会えればいいですね。
荻:結局、ラーのお母さんも下の子(スピルバーグ)も走っていますからね。良い子が出ると思いますけどね。
-:トーセンラーの新馬戦の写真を見る機会があったのですが。
荻:細いですよね。あと、初戦は武豊騎手で最後も武豊騎手です。ユタカさんで始まり、ユタカさんで終わる訳ですよ(笑)。
-:それではトーセンラーの全てを出し切る競馬を、ファンに見せられそうですね。
荻:もう悔いのないように、それだけです。
新馬戦出走時のトーセンラーと荻野助手
-:450キロ台では出られそうですか?
荻:そうですね。450台では出たいです。
-:荻野さんにとっては乗りやすい馬でしたか?
荻:色々と勉強させてもらいました。体質は弱いけど、調教はしなければならないですし、甘やかしてばっかりではいけませんしね。
-:難しいですね。
荻:でも、ウチの先生も上手ですし、指示通りやっていれば馬が良くなってくるのは分かりました。
-:最後の1戦を見届けたいと思います。
荻:ユタカさんが乗ってくれますしね。
-:最後にファンへのメッセージをお願いします。
荻:最後のレースになりますが、ゴールまで応援してください。ファン投票に投票してくれた皆さんの期待に応えられるように、最後までしっかりと管理しますので、よろしくお願いします。
(取材・写真=高橋章夫 写真=競馬ラボ特派員)
トーセンラーと担当の片桐助手
プロフィール
【荻野 仁】 Hitoshi Ogino
卓越した調教技術は、専修大学時代の馬術チャンピオン(障害)という裏付け。藤原英昭厩舎の開業当初から調教助手として屋台骨を支えており、フードマンとして各担当からの意見を取り入れ全頭の飼い葉を調合している。2つ上の先輩である藤原英昭調教師とは小学生時代から面識があり、両人の絆と信頼関係は絶大。名門厩舎の躍進を語る上でこの人の名前は欠かせない。
【高橋 章夫】 Akio Takahashi
1968年、兵庫県西宮市生まれ。独学でモノクロ写真を撮りはじめ、写真事務所勤務を経て、97年にフリーカメラマンに。
栗東トレセンに通い始めて18年。『競馬ラボ』『競馬最強の法則』ほか、競馬以外にも雑誌、単行本で人物や料理撮影などを行なう。これまでに取材した騎手・調教師などのトレセン関係者は数百人に及び、栗東トレセンではその名を知らぬ者がいないほどの存在。取材者としては、異色の競馬観と知識を持ち、懇意にしている秋山真一郎騎手、川島信二騎手らとは、毎週のように競馬談義に花を咲かせている。
毎週、ファインダー越しに競走馬と騎手の機微を鋭く観察。馬の感情や個性を大事に競馬に向き合うことがポリシー。競走馬の顔を撮るのも趣味の一つ。
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