運命を感じたダイナフェアリー

-:多くの名馬に携わってこられたと思いますが、思い出の1頭を挙げていただけますか?

鈴:やっぱりダイナフェアリーでしょうね。あの馬は重賞を5つ勝ってくれたんですよ。その子供も僕に重賞を勝つ馬を提供してくれました。非常に頑張ってくれましたが、僕が引退する今年の1月に老衰で亡くなって。本当に僕に対して貢献してくれましたし、僕が辞める時に亡くなるなんて運命的なものを感じますね。

-:先生が調教師生活でやりがいを感じていたのは、どのような辺りですか?

鈴:やっぱり、毎年夢を持てる。サラリーマンだったら、もう50になったら自分の進路、見通しが立つでしょう。でも、馬の世界というのは、自分の頑張りで毎年夢を持てる。今年入ってきた馬はこういう馬にしてみようとか、そんな夢を持っている人間が多い。それから、ヨソの厩舎の馬でとんでもなく良い馬が入ってきたときも、僕らは自分たちの馬で負かしてやろうという気になるでしょ。毎年新しい馬が入ってくることに夢を持てる仕事は素晴らしいと思います。だから1年が早いし、アッという間に終わったという感じですね。

鈴木康弘調教師

-:この仕事は上手く行かないことも多かったと思いますが、気持ちの切り替えに関しては、どう考えていらっしゃいますか。失敗を引きずったりなどということはありましたか?

鈴:いや、引きずりませんね。僕は何かしら反省して、何らかの結論を出すから。負けたら反省をすれば良いと思います。人生においても同じでしょう。反省がなければ、進歩がないと思います。

-:アッという間に終わった調教師生活、振り返っていかがですか?

鈴:調教師としてすごく幸せだなと思うのは「引退する時になると馬が集まらないから大変でしょ」と、オーナーが馬を預けてくれましたし、ただ頭数を揃えるだけじゃなくて、池谷オーナーのアデイインザライフなど夢のある馬を預けてくれたことです。最後まで夢を持ちながら調教師を全う出来るというのは、本当に幸せもんだなと思っています。普通は辞める手前になると段々みんな引いていきますが、僕がお付き合いさせてもらったオーナーはそうではなくこのようなことをしてくれたので、本当に感謝の気持ちで一杯ですね。

調教師会・会長時代の大仕事

-:日本調教師会の会長をされていたというのも鈴木先生の特色かと思います。

鈴:僕は3期本部長をやって、保田隆芳先生から引き継ぐ形で会長になりました。それまでは70代の先生が会長をやるのが当たり前でしたが、僕は49歳で会長になりました。あの当時は馬券も売れていたし、競馬会も組合も馬主もみんなワガママで大変でした。もう夜寝ない時はしょっちゅうでした。調教師の定年制度を決めるときも大変でしたよ。僕が会長になる以前から、定年制度についてはどうにかしないといけないという感じでしたが、その話を出す度に調教師の反発がすごいので、地区総会でその話を出さない人もいましたよ。

-:そうだったんですね。

鈴:でも、定年制度がないと若い調教師が入ってくる余地がないじゃないかと。若い人たちが入るのは調教師会の発展に繋がるというのが僕の持論でしたから。それで、定年制度の話題に対する逆風が吹く中で父が「お前、定年を引くんだってな」と。「いや、引けるかどうか分からないが、僕は会のためを思ってやろうと思う。親父さんどう思いますか?」と言ったら「そうか。定年を引くんだったら、お前しか引けないな」と言うんです。なぜですかと言ったら「実の親の首を切るんだから、みんな納得するかもしれないぞ」と言ってくれましてね。「俺は定年があっても良いと思う。若い人が入ってきてくれて良いと思う」と父も言ってくれましたし、年配の調教師のところを回って話をしましたよ。

-: 本当に大変だったんですね。

鈴:そうですね。それで調教師会長もいつまでやるという決まりがありませんでしたし、僕が引退するまでやらされるなと思ったんです。なので、会長は60歳になったら辞められるようにというルールも作りました。やはり会議などで時間を取られてしまいますし、会長をずっと続けるのは大変ですから。実は、僕が会長をやっている頃に娘を1歳半で亡くしたんですよ。その娘とあまり一緒にいてあげることが出来ませんでしたし、そういうことも含めてルールを作ろうと。それと、馬と時間を過ごしたいというのもありますからね。僕は馬と時間を過ごすのが好きなんです。朝の早さは誰にも負けないんじゃないかな。


「(朝の早さは) どこの厩舎の厩務員にも負けない。一番最初に厩舎に入りますね。馬は、朝見るのが一番分かるんです」


-:そうなんですか。

鈴:どこの厩舎の厩務員にも負けない。一番最初に厩舎に入りますね。馬は、朝見るのが一番分かるんです。体というのは心臓から離れれば離れるほど、ヒヤッと冷たくなきゃいけない。脚とか蹄はヒヤッとしてなきゃいけない。そこに熱があるというのは、何か異常があるということですから。それが運動をしちゃうと血の巡りが良くなることもあって、正確な状態が分からないんですよ。

-:だから調教前の早い時間から馬を見て回られるんですね。

鈴:そうです。それで端から電気を点けて戸を開けて見ていくわけですが、何を見ているかというと、馬がカイバを綺麗に食べているか。水をどれぐらい飲んでいるか。あるいは寝ワラの状態はどうなのか。ボロはどこにしている、尿はどこにしている、1頭1頭みんな分かるわけです。ボロをいつもと違った所にしているとか、寝ワラの状態が悪いというときは、何か馬がアンハッピーなことがあるわけですよ。それで、一通り20馬房見たら、今度は反対に心配な馬の脚を触りながら帰ってくるんです。それで約35~40分はかかりますね。

鈴木康弘調教師

-:そうした朝早くから馬をチェックするなど日々続けて来られた調教師生活もそろそろ終わりが近づいてきました。競馬界の後輩の方々にメッセージをあれば教えて下さい。

鈴:素晴らしい馬を出して、素晴らしい迫力ある競馬をファンに提供するというのが、これから後輩の責務だと思うんですよね。それによって競馬ファンの方がまた足を運んでくれると思います。

-:先生は今、欲しい物はありますか?

鈴:ありませんね。調教師として全てのことはやってきましたし、もっと調教師としての時間が欲しいということもありません。

-:最後に、調教師を辞めた後やりたいことはありますか?

鈴:僕はもう何もしないですよ。馬から離れる。マスコミ関係もあちこちから話はいただいているのですが、何もしないつもりです。ただ、最近はファンに競馬を伝えるというのも良いのかな、という気を持つようになってきました。そういうのも競馬に対するお礼なのかな、という感じもしているんですね。もし仕事をするとなれば、それだけかな。あとは、この世界に入って調教助手の時も含めれば46年ぐらいになるのかな。その中でしていなかったことは、一般のファンのところで競馬を見ることなんですよ。そういう所から競馬を見てみたいなという興味はありますね。

-:大変貴重なお話を聞かせていただいて、本当にありがとうございました。

(取材=競馬ラボ 写真=競馬ラボ特派員)

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鈴木康弘調教師