騎手・木村健~豪腕が語る、盟友、名馬との思い出~ ロングインタビュー後編
2017/11/30(木)
-:さて、色々聞いてきましたが、まだこの話に触れていませんでした。木村騎手が18回手綱を取った名馬、オオエライジンの話を伺わせてください。
木:あの馬はデビューから10連勝したもんね。1回目は大山真吾だったけど、2戦目から僕が担当しだして。第一印象はもう、こんな硬い馬で走るの?という感じでしたよ。ダクで走らせたら硬過ぎて、肩も前に出なくて……。(管理する)橋本忠明先生と2人でコンビを組んで、ずっと攻め馬も担当させてもらいました。あの馬は硬いから、追い切りもそんなにビシッとはやれなくて、間隔が2カ月くらい空いても能力検査は受けないで、それでも結果を出していました。
-:よく調教で筋肉をほぐすと聞きますが、そういうのではなく、ずっと硬いのですか?
木:30~40分運動をして、けっこうほぐしてやらないといけませんでした。
-:そんなオオエライジンのどのような点が良かったのでしょうか?
木:やっぱり追い切りでも、ガーンと行き出したら良かったですね。エンジンが違うんでしょう。スピードが違いました。ただ、普通に乗っている時は転びそうで怖かったですよ。何でこの馬が走るの、と思いましたもん(笑)。エンジンを掛けるとヤバい馬でした。これは走るなと思いました。
-:黒潮盃(11年)の時は大井で観ていましたが、強かったです。
木:あれは強かったですよね。時計も速かったですし。あの時は4コーナーでも手応えあるよ!勝っちゃうよ!みたいな感じでした。ただ肩が前に出ないで走っていたから、直線でも前の馬をよう抜かせなくて。だから、その後の岐阜金賞(1着)でも、あれだけの手応えがあったのに着差はちょっとだけ。楽勝をしたのは兵庫ダービーだけですからね。
-:兵庫ダービーは逃げて、2着ホクセツサンデーに7馬身差をつける楽勝でした。
木:逃げたけど、ホクセツサンデーにビッシリ来られたじゃないですか。ホクセツサンデーはその前走、(交流重賞の)兵庫チャンピオンシップで2着、僕はホクセツサンデーとオオエライジンの両方とも攻め馬をしていたんですよ。どちらに乗ろうか迷ったのですが、オオエライジンに乗っておこうかなと。ホクセツサンデーも前回の交流重賞2着はヤバいなと思っていましたが、走ってみたらまさかのオオエライジンぶっちぎりですからね。
-:この兵庫ダービーのオオエライジンは本当に強かったと思います。
木:この兵庫ダービーの時は、逃げたら逃げたで、2コーナーでゲートを物見して、急な動きのおかげで僕はケツをついたんです(笑)。何や、この馬まだまだ余裕あるんやなと思いました。ホクセツサンデーと2頭でバッと行ったけど、最後ホクセツサンデーは下がっていったもんね。あの時オオエライジンは僕らもそこまで仕上げきれなかったし、その状態で勝つんだから、あの馬は強かったです。
-:オオエライジンは1400~2100まで色々な距離をこなしていましたが、結局どの距離が一番良かったのですか?
木:あの馬にとったら、やっぱり集中力が持つのは1400だったのではないですかね。2000mの佐賀記念も1番人気で5着に負けましたが、あの時は正直自信を持っていたので、ショックでしたね。レースをやめているような走りで……。折り合いも付いて乗れましたから、これは来たなと思っていたのに何か違うなと。1400mの兵庫ゴールドトロフィーは2回3着になりましたけど、短いところだとメンバーが強くても来ますからね。
「能力があるのは当然ですけど、どんなレースも出来る馬が強いんじゃないでしょうか。オオエライジンみたいに出遅れた時でも差して勝つみたいなね。あの馬は出遅れ癖があったので、3走に1回は出遅れているみたいな感じでしたが、それでも勝っていましたからね」
-:スーニやティアップワイルドといった中央勢に食い下がっていましたね。やはり1400だと集中力が持続するのでしょうか?
木:追い切りでも1頭だと真面目に走らないし、でも、真面目に走っていたら、脚元があんなに持っていなかったかもしれないですね。
-:最後は脚を故障してしまいました……。
木:あの時はちゃんと能検も行って、仕上げていたはずなんですけどね。(橋本)忠明先生は牧場に行く時も一緒に付いて行ったりして、ずっと付きっきりでした。スゴかったですね。
-:色々強い馬の話を聞いてきたのですが、木村騎手が考える強い馬の概念、どのような感じなのでしょうか?
木:ある程度、能力があるのは当然ですけど、どんなレースも出来る馬が強いんじゃないでしょうか。やっぱり逃げ馬で逃げるばっかりじゃ、逃げられなかった時はアレだし、オオエライジンみたいに出遅れた時でも差して勝つみたいなね。あの馬は出遅れ癖があったので、3走に1回は出遅れているみたいな感じでしたが、それでも勝っていましたからね。
-:気性的な問題で出遅れていたのですか?
木:ゲートの中でちょっとモタれるというか、ゲートの中という狭いところが嫌いだったんでしょう。
-:だいぶ話が長くなってしまいました。現在、木村騎手は調教師試験に向けて勉強中とのことですが……?
木:来年の1月に大井で試験があって、2次試験が3月にあるんです。上手いこと行けば、来年4月1日から免許切り替えですね。
-:馬集めなども大変そうですね……?
木:僕はずっと調整ルームにいないといけないから、外に行けないです。牧場とかも回りたいし、北海道も行かないといけないし、合格したとしても、すぐに開業することはないと思います。
-:今後、調教師試験に合格されたら、どういう馬を育てたいですか?
木:とりあえず馬を集めることに必死にならないといけないと思いますし、厩舎を盛り上げていきたいですね。楽しい厩舎づくりをしていきたいです。お世話になってきた田中範雄厩舎のような……。
-:木村騎手が馬をどう仕上げるのか、早く見てみたいです。今後調教師になってから、中央馬と戦っていかなければいけないですが、今は正直、中央と地方の差は大きいと思います。どうやってこの差を埋めれば良いでしょうか?
木:なかなか難しいですよね。中央とは設備も違いますし、馬も違います。坂路があったり、ああいう施設がある分、トモの筋肉とかが全然違います。難しいところはありますが、色々な調教の仕方があるので、それを色々な人に聞いて、今ある調教設備をフルに使ってやっていきたいなと思っています。
-:調教師になって、何かこだわりたいことはありますか?
木:僕は田中範雄厩舎でお世話になって、重賞とかでも良い馬に乗せてもらいましたし、調教にもデビューからずっと乗っていたので、馬の仕上げ方にも自信はあるし、それが出来たら強い馬づくりも出来るんじゃないかと思います。
-:目指す調教師、目標となる調教師と言えば、やはり田中範雄先生ですか?
木:そうですね。馬のことを一番に考えているし、本当に馬を愛していますから。スゴい方ですわ。
-:今回、調教師研修に行かれたとのことですが、どのあたりに行かれたのですか?
木:この間、ノーザンファーム天栄でレイデオロを見せていただきました。牧場は競走馬理化学研究所に行ってきたり……。やっぱり馬に乗っている時とは馬の見方が全然違いますね。見方が変わって、逆に、上手い人は上手いということが分かるようになってきたなと。
-:最後にファンへのメッセージをお願いします。
木:調教師になるために、今色々と勉強しています。馬を乗る方ではよく勉強をしてきたけど、こちら側の勉強は20何年振り。1日5時間で、本当に腱鞘炎になりそうでした(笑)。もうちょっと勉強をして、今度の試験に受かるように頑張ります!
▲読者プレゼント用のサイン色紙を持って愛娘と記念撮影の木村健騎手
快くロングインタビューにお答えいただきました!
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プロフィール
【木村 健】Takeshi Kimura
1975年8月16日生まれ。父が騎手という家庭に育ち、1993年デビュー。デビューから24年間で地方通算3560勝を挙げるなど、日本を代表する名手。アルドラゴンやオオエライジンといった園田の強豪の手綱を取ったことでもお馴染み。どんなにズブい馬でも動かせると言われた豪快なフォームに加え、中央競馬でもチューリップ賞で後の三冠牝馬アパパネをショウリュウムーンで倒すなど、右に出るものがいない勝負強さでファンを魅了し続けた。