日本競馬&ファンを愛するドイツのF.ミナリク騎手インタビュー(後編)
2018/3/28(水)
-:騎手としての目標はありますか?
ミ:1970年代に当時のチェコスロバキアで生まれて、ジョッキーになりたいという夢が叶いました。決してハングリーさがない訳ではないのですが、十分に昔の夢以上のことは掴めています。もちろんまた日本に来たいですが、ドイツで4回リーディングになっていますし、日本にも短期免許で来られましたし、ジャパンCにも3回も参加できました。もちろん世の中には勝ちたいレースが凱旋門賞なりジャパンCなり、ドイツダービーにもまだ勝っていないので、それを勝ちたい気持ちはあります。ただ自分では十分に出来ていると思ってもいるので、サポートしてもらっている人に感謝をしながら、結果を出していきたいですね。結果を出すことが自分にとって誇りなんです。
-:当面勝ちたいレースはジャパンCでしょうか。
ミ:実はドイツで、ダービー以外のG1は全部勝っているんですよ。ドイツダービーだけは15回くらい騎乗して、今までベストの着順が5着なんです。なのでドイツダービーはちょっと勝ちたい気持ちはありますよ。
-:ミナリク騎手くらい実績があっても、5着が最高着順なのですね。
ミ:ドイツダービーでは運が良くないのです…。
-:将来は調教師を目指すのでしょうか?
ミ:絶対にならないとは言いません。ただ、何よりジョッキーとして長く活躍したいです。とりあえず52歳まで、あと10年間はジョッキーとして活躍したい気持ちが一番です。52歳になってから、次はどうするかを考えます。調教師は、自分の仕事の立場からもよく見ているのですが、難しいところも多いです。今自分が向いているかどうか分からないので、まずはなるべく長くジョッキーとして乗り続けたい気持ちが一番強いですね。
-:日本でも50代のジョッキーが頑張っています。先日、横山典弘騎手がちょうど50歳になりました。
ミ:実は私の父は54歳までジョッキーをやっていたんです。前に比べて長く乗れる時代になっていると思います。例えば、整体師じゃないですが、体のトレーナーに診てもらったり、精神的にもトレーニングが必要ですが、サポートを受けてレースを選びながらやれば長く続けられるでしょう。ゲイリー・スティーヴンスやマイク・スミスも50歳を過ぎても、素晴らしい活躍を見せていますから。
-:ミナリク騎手から見て、日本のジョッキーは上手いと思いますか?
ミ:もちろん!日本のジョッキーは上手です。上手なだけじゃなく、仕事の中で自己管理をするプロフェショナルな面を持っているなと。もちろん48歳のユタカ・タケはレジェンドになっていますし、(横山)ノリさんも同じように50歳まで活躍しているというのは自己管理がしっかりしているからでしょう。
-:若手ジョッキーはいかがでしょう?
ミ:今は海外に行ける時代になっているので、英語やその国の言葉をちょっと勉強して、ぜひ海外に行って経験を積むことをオススメします。オーストラリアなり、フランスなりどこでも良いですけど、若いジョッキーが海外で経験を積むことは凄く良いことです。世界がオープンになっているので、ちょっと貯金をして、海外でキャリアアップや経験を積むといいと思います。
-:先日、レース後に中山競馬場で熱心にファンサービスをしていらっしゃいました。大変ファンを大事にされる方だと思いました。
ミ:世界の中でもファンを持っている人は多くないと思うので、自分が日本に来てそんなファンが出来たことが非常に嬉しくて、本当に楽しくてしょうがないです。ぜひファンサービスしたいという気持ちです。
-:ミナリク騎手と内田騎手は本当に長い時間ファンサービスをしていらっしゃいますね。
ミ:私の友達のウチダさんもそうなんですね!
-:内田騎手は「ファンが待っていてくれるから」と言って、よくファンサービスに行かれます。
ミ:彼も長く競馬を続けていて、レース前のストレッチ、ウォーミングアップの姿を見ると、非常にプロフェッショナルだと思います、47歳でもそういうことをシッカリやっていけるところが凄いです。
-:長い時間、色々お聞きしてきました。最後に、日本のファンの皆さんにメッセージをお願いします。
ミ:日本の競馬を楽しんでいますし、ファンの皆さんを愛しています。どんどん写真とサインをもらいに来てください。お応えしますので、よろしくお願いします。日本の競馬ファンが世界一の競馬ファンです!
-:正直、最初日本の競馬ファンはミナリク騎手のことをあまり知らなかったかしれませんが、パドックの笑顔やファンを愛する姿勢でたくさんのミナリクファンが誕生したと思います。
ミ:それを聞いて嬉しいです。どんどんサインをしますので、応援してください!
プロフィール
【フィリップ・ミナリク】Filip Minarik
1975年3月10日、チェコの首都・プラハで、父がチェコ競馬でリーディングジョッキーという家庭に生まれる。16歳で騎手デビューすると、その後ドイツに渡り、名門・P.シールゲン厩舎の主戦を務め、4度リーディングの座に就くなど、ドイツを代表するジョッキーとなった。趣味も競馬と語るほどの大の競馬好きであり、そのフレンドリーな人柄から関係者の間でもファンが急増している。大の親日家という面もあり、刺身など日本食が好物。最近緑茶にハマり、急須で淹れるこだわりを見せている。