名伯楽・沖芳夫 名馬・弟子との濃密な32年間を振り返る
2019/3/7(木)
-:その後、エリモシックが出てきて、結局G1馬になるのですが、エリモシックもけっこうテンションが高いというか。
沖:この血統は大久保石松先生の頃にシックの母親(エリモシューテング)自体が入っていたんですよ。体質が弱くて、3戦2勝で終わってしまいましたが。
-:その頃からの流れがエリモシックに繋がっているのですか。
沖:それで、春のクラシック戦線でということだったのですが、結局使えなかったんですよね。確かものすごくスクミが激しい馬だったから、思いっきり調教が出来なかった馬で、やっぱり競馬自体も3戦で終わってしまった記憶がありますね。
-:それがエリモシックのお母さんですね。
沖:その祖母(デプグリーフ)も実馬を見て知っているんですけどね。スピードがある馬だったんですよ。ただ、ちょっと体質が弱かったので、そういう風に、思うように競馬が出来なかったというのがありますよね。
▲最後まで管理馬の調教にも携わった(2月20日撮影)
-:エリモシックが入ってきた時も、体質は受け継いでいるだろうから注意していたということですか。
沖:エリモさんは自分で生産して、育成場もやっていました。当然年齢が来たら、育成場に移動して、やはり十分じゃないということで、また生産牧場に戻って休んで、そうやって非常に入厩が遅かったんですよ。その頃、岡本修さんというご自身もオーナーの方がいて、エリモの山本慎一さんの馬に関わって、競馬場に来て色々調教師との間に入っていたのですが、その方に「ダメでもともと、くらいで気楽にやれや」と言われたことを覚えているんですけどね。岡本さんは競馬馬になれるかなという思いで、そういう話をしてきたと思うんですよね。でも、意外と競馬場に来てからは、大きな故障などもなく、競馬は使えたんですけどね。
-:それは、生産牧場と育成場を行き来して遊んでいたことが良かったんですかね。
沖:だから、結局「弱い、弱い」と言われながら、入厩が遅かったことが、逆にあの馬にとってはそれが幸いしたように思うんですよ。そうでなければ、もっともっと早く調教を積まれて、デビューも早かったかもしれないし…。
-:お母さんの道を辿ったかもしれなかったということですね。
沖:春の3戦2勝までは全く一緒だったんですよ。だから、逆に弱いと言われながら、ユックリやらざるを得なかった流れが、あの馬にとっては一番良かったんじゃないかなと思うんですけどね。
-:1997年に的場ジョッキーでG1・エリザベス女王杯を勝たれたのですが、それまでは河内洋さんが乗られていたのですね。河内さんが乗っていたダンスパートナーをエリモシックが差すということで、またここでもダンスパートナーが出てくるということで、すごく縁がありますね。
沖:そうですね。河内さんが乗ることが多かったですね。ダンスパートナーはウチの別の馬でデビュー戦も一緒だったしね。
-:この時のG1勝利の喜びはいかがでしたか。
沖:大久保石松先生のところで、(母馬が)3戦2勝でクラシックに乗れなかった部分で、それの子供で同じように3戦2勝で来て、その後使えてG1を勝ったのだけど、レース前に的場(均)君には「何とかこの血統で大きなレースのタイトルを獲りたいんだ」という話はちょっとしていたんですよ。だから、レース後の的場君の談話に、厩舎サイドにそういう思いがあったというような、多分そんな話があったと思うんですよね。
-:それで、的場ジョッキーは思い切って直線一気みたいな競馬をした訳なのですが、それは先生との相談の中で決めたことだったのですか。
沖:いや、あの馬が4コーナーで好位にいる時は成績もあまり伸びていないんですよ。だから、スローだろうが何だろうがやっぱり後ろから来て、直線一気というのがあの馬の一つの形が出来上がってきていたのでね。
-:それは、集中力の問題であるとか、前半はちょっと遊ばせておいて最後に。
沖:結局、中団より後ろくらいで我慢しておいて、直線一気というのがあの馬の本当のパターンでしたね。だから、4コーナーで良い位置に来ている時はそれほど伸びなかった気がしますね。
-:難しいですね。見た目はそっちの方が良いんですけどね。
沖:好位差しが観ていて一番楽ですよ。競馬は不思議で「スローで折り合いを欠いて苦しかった」というジョッキーの談話があるのだけど、「じゃあ前に行けばどうなんだ」という話なのだけど、それで行ったらやっぱりダメなのでしょうね。
-:その辺は計算と違うのでしょうね。
沖:駆け引きとその馬の脚質と言いますかね。
-:やっぱり馬は生き物ですからね。
沖:レコードで勝った馬が次も勝つかと言ったら、(他の馬が)自分のペースを守って同じ距離を走っていたら、勝つかどうか分からないですし、そこら辺がまた面白いのかもしれないですけどね。
-:ジョギングをしていて分かるのですが、気持ち良く行った時は全然ダメなのですよね。それで抑え過ぎて行っている時というのは、後で見たらタイムが速かったりしますからね。
語られる話は全て結果論なので、ライブでやっているジョッキーは出来る限りのことはしているんでしょうからね。そういう意見が出るというのも、それだけ人が馬に夢を持って観ているという表れだと思いますけどね。
沖:だから、本当に生きている馬が走っているということだから、やっぱり最後は馬の気持ちがあるからね。
-:そのエリモシックが勝った年が1987年なのですが、1994年に渡辺薫彦ジョッキーが騎手デビューしているということで、沖先生と言えばやっぱりペアですからね。
沖:(ナリタ)トップロードと渡辺のセットという感じで、それにちょっと加わっている感じですけどね。
-:どんな出会いだったのですか?
ナリタトップロード、渡辺薫彦騎手との出会い
沖芳夫元調教師インタビュー(3P)はコチラ⇒
プロフィール
【沖 芳夫】Yoshio Oki
1949年2月28日生まれ。東京都出身。東農大一高、東農大、牧場勤務を経て1977年に大久保石松厩舎の調教助手となり、1986年に調教免許を取得。翌1987年に厩舎を開業した。1994年から所属した渡辺薫彦騎手(現調教師)とは親子のような固い絆で結ばれ、多くの管理馬に騎乗。1999年には同騎手とのコンビで菊花賞を制している。元々は生産を志していたことから、牝馬の育成に力を入れ、調教助手時代に携わったエリモシユーテングからはエリザベス女王杯を勝ったエリモシック、繁殖牝馬として多くのオープン馬を産んだエリモピクシー姉妹が産まれている。今年の2月一杯で定年の為、調教師を引退。JRA通算5911戦478勝(重賞13勝)。