悲劇の名馬を偲ぶ。天皇賞(春)を1週後に控えた4月17日、調教中の故障で逝去したシャケトラ。初出走からまたたく間にスターダムを駆け上がり、一躍中長距離戦線のトップクラスへ。その後も骨折による長期休養がありながら、アメリカJCC、阪神大賞典を連勝と、G1タイトルにこそ手が届かなかったものの、その存在感と資質は誰もが認める名馬だっただろう。今回はデビュー前の2歳夏からシャケトラを知る担当の上村典久調教助手に惜別のメッセージを語ってもらった。

「ごめんな・・・」

シャケトラを担当していた上村典久調教助手は神戸の馬頭観音の前で角居勝彦調教師辻野泰之助手と共に愛馬と最後のお別れをした。

春の天皇賞を1週間後に控えた4月17日、朝一番のCWコースの直線でアクシデントは起こった。左前脚を骨折してしまったのだ。

「年明けから2回使って中身の方はできていたので、どうしても1週前追い切りに強い負荷をかけたかったのです。ね。今になって、そこまでやる必要はあったのかと思ってしまう。でも、G1となると攻めないと勝てない」

シャケトラ

▲シャケトラと担当の上村調教助手(2017年12月に撮影)

もともと高い素質を評価されていたものの脚元が弱く骨折も2度経験していた。2017年の有馬記念6着の後も左前脚の骨折で長期休養していた。やはり同じところが耐え切れなかったのか。

「違うと思います。脚は同じだけど、箇所は微妙に違う。本当に突発的な事故だと思うのです。よ。シャケトラは気が強そうに見えて、すごく痛みに敏感で、絶対にサインを出す馬でした。痛いとすぐに歩様に見せる。今まで2回骨折しているのです。が、2回とも歩様に異常を感じました。そんな馬だったので痛みを表せば、すぐに調教をやめようと持っていける。でも、あの朝(4月17日)はサインも仕草もないし、腫れもなかった。そもそも特異な場所だったのです。レントゲンにも映らないようなところ。MRIをとってやっとわかるくらいでした」

競走馬のアクシデントはこれまでにも多々起こってきた。その度に対策が練られ、医療技術も馬場も進化してきた。それでも突発的なアクシデントは起こってしまうのが現実だ。

「放牧から帰ってきたら1回、1回レントゲンをチェックして、競馬が終わったらまたチェックして。そういうことを毎回心掛けてきました。骨が弱いというのは常に頭にあったので、今回も阪神大賞典が終わった後にチェックして、牧場に返す前に不安なところは全部撮って、チェックして大丈夫だったのです。牧場からも具合がいいと言われていたし、2週前追い切りも無事に終わっていました」

今年、1月20日のAJCC(G2)で復帰戦を勝ち、続く3月17日阪神大賞典(G2)もシャケトラ自身の誕生日を勝利で飾っていた。担当者としては悔やんでも悔やみきれない気持ちだろう。

「初のG1制覇が手に届きそうなところまで来ていたので。でも、脚元をセーブして勝てるようなレースではない。ちょっとでもサインを出してくれていたらと。そればかり考えています」

シャケトラの素顔

父マンハッタンカフェ、母サマーハの2番目の仔にあたるシャケトラは生涯13戦6勝。日経賞、AJCC、阪神大賞典とG2を3勝している。しかし、多くのファンがG1での勝利を見たかったに違いない。それだけ人を魅了するオーラを放っていた馬だった。

「初めて僕がシャケトラを見たのは2歳の夏でした。たまたまエアソミュールを連れて函館に行っていたのです。“ゲート試験だけ受けてください”と先生から言われて担当させていただいたのがきっかけでした。初めて見たとき、めちゃくちゃカッコイイなと思って。名前にもインパクトがあった。真っ黒で2歳離れしているような大きい馬でした」

シャケトラ

▲亡くなる前日のシャケトラ(撮影:高橋由二カメラマン)

500キロを超える青鹿毛の大型馬で迫力と上品さを併せ持つ馬だった。しかも、顔はハンサムなのにあどけなさも残る。

「食べているときは大人しいのです。よ。食べることが大好きでした。4年間つきあってきましたけど、飼い葉を1回も残したことはないですね。ですから体重には一番気をつかっていました。成長していくにつれて、どんどん体重が増えていったので。調教量はきつくなりましたね。乗る距離が多くなりました。結構ハードな調教メニューをこなしていた割りには、苦しがったり馬場入りを嫌がったり坂路におろすのを嫌がったりということはなかったです。テンションが高くなったりすることもなくて。運動もそれなりに好きだったんでしょう」

13カ月ぶりのAJCC

有馬記念から長期休養していたシャケトラの復帰初戦は中山のAJCC(G2)だった。食欲旺盛なシャケトラの輸送前の馬体重は530キロを越えていて見た目にも太目が残っていた。なにより無事にレースを終えることが一番の目標だったはずだ。しかし休み明けを感じさせない闘志でシャケトラは勝った。

「真冬の厳寒期で絞りたくても絞れない時期でした。馬運車で汗をかいて絞れるといってもしれていますから。ひとつ今までと違うなと思ったのは、中山に輸送してからいつになく、うるさかったのです。輸送は慣れていましたし、関東圏の輸送なんて何回も行っていたのです」

中山の出張馬房に入ったシャケトラは馬房の中を回って落ち着かない様子だったという。レースを控えた馬が前日からイレ込んでしまっては能力を発揮できずに終わってしまう。

「この日、僕が泊まったのがたまたまシャケトラのいる厩舎と壁一枚の場所で。夜中にぐるぐる回っている音が聞こえたのです。もう、ずっと、です。そんなことはこれまでなかったので、大丈夫かと心配になるほどでした。朝、馬房に行くと汗だく。湯気があがるほどでした。トレーニングしていたのか、自分で体を作っていたのか。蓋を開けたら13カ月前の有馬記念からプラス2キロですよ。プラス10キロくらいは覚悟していたのです。これなら、もしかしていけるんじゃないかなという気はしましたが、まさか勝つまではいかないだろうと思っていました」

シャケトラ
シャケトラ

▲上村助手の弟で当時、技術調教師として角居の厩舎に在籍していた
上村調教師(元騎手)と石橋脩騎手、角居勝彦調教師

しかも、このレースでは戸崎騎手がインフルエンザのため急遽、石橋脩騎手に乗り替わった。

「ちょうど弟(上村洋行調教師)が技術調教師として角居厩舎にいました。彼は石橋脩騎手と親交があったのでシャケトラの癖や特徴を伝えてもらいました。スッと動ける馬ではないので、長くいい脚を使える競馬をして欲しい、と伝えました。初めて重賞を勝った日経賞みたいなイメージで乗って欲しかったのです。僕が思っていた通りのレースをしてくれました」

重賞で初めて1番人気に推された阪神大賞典

長期休養明けを激走した反動もなく、シャケトラは阪神大賞典に向けて動き出した。鞍上は前回、インフルエンザで乗れなかった戸崎圭太騎手に戻った。

「一度、感触を掴んでもらおうと思って戸崎騎手には1週前追い切りに来てもらいました。追い切り後に『良い馬ですね』と言ってくれました。乗ったジョッキーはみんなそう言ってくれましたね。そりゃあ乗り味いいですもん。全身を使って走るし大人しいし、調教ではぜんぜん引っ掛かったりしないのです。よ。自由自在にコントロール効くタイプなのです。レースになって、馬場入りの時に一気に豹変するのです。あのスイッチの切り替えが走る馬の証なんでしょうね」

シャケトラ

阪神大賞典は3000mで行われる。長距離が得意の種牡馬マンハッタンカフェを父にもつシャケトラだが4歳で挑んだ春の天皇賞3200mでは掛かって9着に負けた苦い思い出がある。成長を待って、じっくり時間をかけてきた成果は出るのか?

「戸崎ジョッキーには『ゲートを出たら何も仕掛けず、じっとしといてほしい』とだけ言いましたね。変にポジションを取りにいったらガッツンと噛むので。もう前半出たなりでポジションはどこになってもいいからと。それでも前半スタートして200mくらい噛んでいましたもんね」

前半はポジションを捨ててでも、折り合いに専念して馬の気に任せる。そうすれば最後にロングスパートしてまとめてかわしてくれる。それがシャケトラのレースだ。

「1周目のスタンド前を通ってくる時に見たら後方から3番手か4番手くらいでした。ちゃんと折り合っていたので安心しました。あとはどこで仕掛けるかを見ていました」

シャケトラ
シャケトラ

3コーナーの手前でシャケトラは逃げるロードヴァンドールを目がけて進出。戸崎騎手の手応えには余裕がある。直線でロードヴァンドールを難なくかわすと一気に先頭に立った。戸崎騎手のステッキ2発で気合をつけられると、そのまま余力を残してゴールに飛び込んだ。2着のカフジプリンスに5馬身差をつける圧勝だった。

「家に帰って戸崎騎手の勝利騎手インタビューを見たのです。『3000m以上で勝ったことがなかったので、心配は僕だけでした』と。彼が一番ホッとしていたんじゃないですかね。相当なプレッシャーだったでしょう」

あんな馬には二度と出会えない

多くの期待に応え、プレッシャーもはねのけて天皇賞春までこぎつけようとしていた。しかし、この先のドラマは永遠に見ることができない。

「ここまで待ってくださった金子オーナーに申し訳ない気持ちでいっぱいです。これまでシャケトラに乗ってくれた騎手の方々、放牧でお世話になったノーザンファーム空港牧場、最新のケアをしていただいたノーザンファームしがらき、角居調教師はじめスタッフには本当に感謝しています。出会う方々に『第二のシャケトラを目指してがんばってください』と言われたのです。しかし、あんな馬には二度と出会えるとは思えないのです。よ。かっこいい馬、ファンの人が一目ぼれするような風格のある馬体でした」

今年47歳のベテランが二度と出会えない馬と断言したシャケトラ。我々、ファンもシャケトラを応援して同じ時を過ごした。短い間ではあったが、その存在は鮮烈だ。

「触っていると、皮膚からさまざまなことが伝わってくるのです。筋肉のハリは格別で世話をしていて楽しくなった。その喜びと感触が今でも忘れられません。G1には手が届きませんでしたが、ファンの方々もきっとシャケトラに魅了されて応援してくださったと思います。これからもシャケトラのことを思い出してくださったらありがたいです」

シャケトラ
シャケトラ