南関東の森泰斗騎手ロングインタビュー(上)
2012/3/10(土)
森泰斗騎手 ロングインタビュー(上)
地方競馬の中でも最も激戦区である南関東において、昨年、169勝を挙げて、リーディング3位に上昇。更にはエンジェルツイートとのコンビで自身、南関東重賞初制覇を挙げた船橋競馬の森泰斗騎手。戸崎圭太騎手らと時同じくして、競馬学校に入学。今となっては廃止となった北関東競馬でのデビューと、激動に満ちた騎手人生を一から振り返ってもらった。
~一度は騎手免許を返上~
-:今回、競馬ラボのオリジナルインタビューにご出演いただくのは初めてのことになりますが、よろしくお願いします。まず、競馬に興味を持ったきっかけから教えてもらえませんか?
森:よろしくお願いします。きっかけは地元が中山競馬場の近くにある、市川市行徳というところだったのですが、周りに競馬好きの友達がいて、小さい時に中山競馬場に通っていまして、自然と好きになりました。
-:当時、中山競馬場に行かれていて、何か印象に残った馬はいますか?
森:競馬ファンなら誰でも知っていると思いますが、サクラバクシンオーが出たスプリンターズSのレースを友達と観に行きまして、「何と速い馬なんだろう」と。衝撃的でした。乗っていたのが小島太さんで、この前も府中で乗る機会があった時に声を掛けていただきまして、「あの時に乗っていた人だなあ」と感動が蘇ってきました。
-:そこから騎手になる事を意識するまでにどんな経緯があったのでしょうか。
森:はじめは騎手になろうとは全く思っていなかったんです。ただ、競馬を観に行って、馬が走っているのをなんとなく観ていたくらい。中学校2年生ぐらいになって競馬学校の存在を知って、それだったら、やってみようかなと。でも、親が大反対で大変!競馬学校に入る時は家出同然でしたよ。
-:大変と言いますと、どのくらい反対されたのですか?
森:もう~、全然ダメ!ウチの家系は僕以外、みんな学歴が半端じゃない家系でして、「お前だけ騎手だなんて許すはずないでしょ」と。競馬自体もギャンブルとかネガティブなイメージしかなかったので、「絶対ダメだ!」とゴリ押しですよ。今でこそ父も応援してくれるようにはなりましたが。
-:差し支えない程度に当時のご家族はどんな職業に就かれていたのですか?
森:親父は銀座東急ホテルの支配人をやっていまして……。出世したサラリーマンに入るんじゃないかと思います。
-:比較的、裕福な家庭の中で育ったんですね。となると、乗馬もされたりはしていたのでは。
森:やりました。僕は騎手になりたいと思っていたから、「これは騎手になる上で下地になるな」と思っていたのですが、親はあくまで進学に有利な面や教養の一環として捉えていたみたいです。
-:それは中学校ぐらいからですか?
森:そうですね。中学校2年くらいは週に1、2回で通っていましたが、中学校3年になった時からは、毎日乗りに行っていたほどでした。
-:ちなみに、一人の子供として、騎手以外に他の職業への夢などはありましたか?
森:子供の頃は、とにかく釣りが好きでして、釣り船の漁船の船長になりたかったです(笑)。その次がサッカー選手、そして、騎手という感じでしたね。
-:そこから、地方競馬の学校へ入られたと思いますが、中央競馬は受験しなかったのですか?
森:受けましたよ。でも、残念ながら落ちました。もう一年待とうかと思ったのですが、地方を受験したら受かってしまったので、その流れもあって行きつきました。今はレーシック手術をして、問題はないのですが、その頃は目が悪くてですね、両目で視力が0.7しかなかったんですよ。試験の条件で中央は0.8以上、地方は0.6以上という規定がありまして、一年待っても受かる保障はなかったですからね。
-:そして、那須の教養センターに入られて、学校時代はどうでしたか?
森:今聞くと、みんな「絶対戻りたくない」と言いますが、僕は「また行ってもいいかな」と思いますね。確かに大変ではありましたが、なんというか、修学旅行みたいな感覚ですかね。訓練とかは厳しかったですけれど、みんな志を持った人がたくさんいますし、結構楽しくて、僕にとってはいい思い出になっています。
-:なかなか珍しい意見ですね。
森:ええ、よく言われます(笑)。
-:そういえば、戸崎さん(圭太騎手)は「あの頃は本当にキツかった」と言っていましたよ。
森:そうですか。アッ、彼とは同期なんですよ。当時は一緒に頑張っていましたね。まさか、あいつがあれほどまでになるとは……。
-:当時を知る方では、そう仰る方もよくいるようですね。同期として、一緒に生活を過ごしている頃の戸崎さんの印象はありましたか?
森:いや~、今でも仲良くやらせてもらっていますけれど、特別、技術的に目立っているとかはなかったんです。ただ、とにかく真面目。寮のおじちゃん、おばちゃん、あと教官とかに好かれていましたね。僕らは生意気な子供としか思われていなかったでしょうけれど(笑)、彼だけはそんなことがなかったですから。今でも、彼を悪く言う人なんていないでしょう?それは騎手として、一番必要なものを持っていると思いますよ。反面、僕は今でも誤解を受けたりすることが多いですけれど(笑)。
-:私も取材をさせてもらう前は、森さんは話しかけ辛い印象があったかもしれません。
森:良く言われます(笑)。何故でしょう?それは自分でも損していると思います。でも、全然そんなことないんですよ。
-:他に同期の方では、どなたがいましたか?
森:あとは浦和の繁田君。彼とは歳は同じなんですが、半年、遅れて入ってきたのに、最初から人なつっこくて、人あたりが優しいところがありましたね。
-:そういえば、生年月日が全く同じなんですよね(笑)。
森:そうなんですよね(笑)。他に当時、学校いた人はあまり残っていないかなあ。半分以上は辞めちゃっているはずです。
-:学校時代に乗ることで目立っていた人はいましたか?
森:先輩ですが、佐賀にいた下條知之さんや新原健伸さん。その方々はズバ抜けて上手かったですね。あと同期に15人くらいいた中だと、現役では佐賀の倉富隆一郎君。彼も凄かったです。僕とか(戸崎)圭太は中の上ぐらいだったのかなあ。
-:その差は乗馬経験が出たりするものですか?
森:そうですね、入ったばかりの一年間は、経験があるのとないのとでは違いますね。実際、学校に入ってから1年くらいして、競走訓練に入るのですが、それからはあまり変わりません。あとは努力や才能ですかね。
-:他に学校時代の思い出は。
森:楽しかったことは、さっきも言ったように毎日が修学旅行みたいだったことですか。大変だったことは多いです。冬は寒いですし、干していた雑巾なんかは凍ってしまうんですから。それに雪も降るから雪かきはしますし、何にしろ休みがないじゃないですか。馬に餌をあげなければいけないし。
-:そして、デビューされてからは転々とした騎手人生が始まりますが、まず、千葉県出身で何故、北関東に所属されたのですか?
森:地方競馬の場合は、学校に入る時点で所属が決まっていたりするものですが、僕の場合、競馬関係者の知り合いが全くいなかったんです。それで、“一般公募”という枠で学校に入って、卒業する際、いざ所属を決めようとなった時に所属する厩舎の調教師を募ったんですよ。その時も、「激戦区の南関東へ行くより、北関東へ行った方がチャンスは多いんじゃないか」と思いまして……。まさか、北関東競馬が潰れるとも思っていなかったですからね。そうしたら、10人ほどの調教師さんが「ウチに来いよ」とスカウト的に声をかけてくれたんです。それで、当時リーディングだった厩舎のところへ行きました。
-:そのデビューされた頃は勝負服が今と違ったんですね。
森:そうなんですよ。僕は1年間、騎手免許を返上した時期があり、また、やり直す時に前の勝負服だと悪いイメージがあって、心機一転、勝負服を替えました。あんまり根拠はないのですが、僕、騎手としては背が高いので、(フォーム的に無駄に)大きくみえてしまうところもありますし、あまり目立つのは宜しくないと思い、なるべく地味なデザインにしました。
-:その空白の1年間とは……。
森:それはただ遊びに夢中になりまして(苦笑)。当初、辞めるつもりは全くなかったのですが、夜遊びをしていたら、朝も起きられないし、仕事をほったらかして、攻め馬に行かなくなったんですよ。そのうち、顔出すにも行き辛くなってしまって……。気がついたら、自堕落な生活になってしまいまして。この時、19歳だったかな。まだ若かったんです。
-:一度辞めた方で、今、これほど勝っている人は皆無じゃないですか。
森:そうですか?というか、騎手を辞めている人がいないですね。あっ、川崎の森下さんが一回辞めていました。でも、今、思うと辞めたことは正解だったと思います。騎手をやっていたら、結構、厳しいことが沢山あるし、その時期を経験していなければ、簡単に投げ出してしまっていたかもしれません。我々、騎手って、中学校しか出ていなくて学歴もないし、世の中に出たら何も出来ることがないんです。当時はそういう事がわかっていなかったんですよね。
-:ただ、当時はリーディングの厩舎に所属していて、色々なフラストレーションもあったんですね。
森:ええ、ただ、厳しい先生で騎乗回数が少なくてですね。その反感もあって、遊んでしまったというのも若干あります。
-:当時の先生とは和解は出来たのですか?
森:ええ、すぐに和解しました。騎手をやり直そうと、また免許を取りに行く時に、先生のところへ行ったんですよ。そうしたら「世間の冷たさが身に染みて、お前は絶対戻ってくると思っていたよ」と言われまして。まぁ、全部読まれていた感じですね(笑)。
-:それで、足利が廃止となり、宇都宮に移籍されて。
森:最初は全然勝てなくて……。というよりも、乗せてもらえませんでした…
所属先が次々と廃止に…そして、船橋へ
森泰斗騎手ロングインタビュー(中)は→
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■重賞勝利 |
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戸崎圭太、繁田健一騎手等、現在の南関東のトップジョッキーらと同期として競馬学校に入学。1998年に足利競馬からデビューを果たすも、一時は騎手免許を返上して引退。その後、2001年に再デビューを果たすと、03年には足利競馬の廃止に伴い、宇都宮競馬へ移籍。 |