2012年度、栗東の新規開業調教師
2012/4/15(日)
吉村圭司調教師
昨年、三冠馬・オルフェーヴルを輩出し、競馬ファンなら誰しもが認めるトップステーブルに登り詰めた池江泰寿厩舎。その池江厩舎で調教助手、技術調教師として経験を積み、今年、厩舎を開業させたのが吉村圭司新調教師だ。取材当時は管理馬が初出走を終えた翌週だったが、既に勝ち星もマーク、順調な船出を迎えている。名門厩舎からの新規開業調教師として注目を浴びる中、今回は師のキャリアについて迫った。
異色のプロフィールの持ち主
-:厩舎開業おめでとうございます。先生には池江厩舎にいらっしゃる頃から、お話を伺わせてもらいましたが、改めて、吉村先生が競馬界に足を踏み入れるキッカケから教えてもらえますか?
吉:ありがとうございます。僕は父が荒尾で調教師をしていたんです。(厩舎の調教師の部屋を指して)こういう感じですよね。住んでいる場所の隣に厩があるような……。ですから、自然と競馬は身近になりました。その父は定年で引退して、もう十数年経ちましたが、僕も昔から仕事は競馬しかしていないです。中学校を卒業する時に一時は競馬学校の騎手過程に合格したのですが、体重が上手く調整出来ずに入学を辞退して……。
-:そうだったのですか?競馬学校に合格して、辞退とは、今、悔いはないですか?
吉:流石に今はもうないですよ。それにハッキリ言ってしまえば、周りの人たちとはその時点で負けていますから。あとになって思えば、意識が甘かったんだと思いましたね。
-:体重自体は当時の基準より、どれくらいオーバーされていたのですか。
吉:試験を受けている段階から、軽い方ではありませんが、う~ん、3キロくらいだったかなあ。それで、騎手課程を辞退しまして、実家が調教師だから、地方競馬の厩務員登録を行って、中央で言う“持ち乗り”と同じ仕事をしていました。
でも、競馬学校も直前で辞退しているから、高校もすぐには入学が出来ないじゃないですか?一年間は持ち乗りの仕事をしつつも、「高校は出ておかないといけない」と思い、考えた結果、たまたま荒尾市に定時制の学校があったから、四年間、定時制の高校に通いました。改めて全日の高校に行くのも嫌でしたし、昼間に仕事をして、夜に通えましたからね。当時の授業は大体、一日、三時間くらいでした。
-:定時制に通われて、朝は厩務員作業。なかなか大変な毎日だったのではないでしょうか。しかし、定時制に通われていたホースマンというのも珍しい経歴じゃないですか?
吉:かなり珍しいと思いますよ。そして、大学もいっていないし、高校を出てからは北海道の坂東牧場に行きました。
-:牧場はどういうところに行かれたのですか?
吉:一年半くらいですが、(ビービーの冠名でもお馴染みの)坂東牧場でお世話になりました。でも、厩務員過程もそれだけの期間で受かったわけですからね。運が良かったと思いますよ。
-:牧場にいられた頃、どんな馬がいましたか?
吉:坂東さんは今でこそ牧場も拡張して関西馬も多いですけれど、当時は関東馬で休養に来る馬が多かったですね。藤沢(和雄)先生もよく使っていて、シンコウキングやクロフネミステリーなどがいましたし、他には(松永)幹夫先生がオークスで2着になったユウキビバーチェなど……。オープン馬は沢山目にしましたよ。
-:学校に入られて、ここへ来るまでの経緯はどんな流れだったでしょうか?
吉:学校からトレセンに入って、飯田明弘先生のところに7年間かな。そして、池江先生の開業に伴い移って。
-:飯田先生のところで印象に残った馬はいましたか?
吉:2~3年目の時から、松本会長の馬で、メイショウアヤメという馬を担当させてもらっていたんです。新馬、フェニックス賞を連勝して、ぶっつけで阪神3歳牝馬特別に使って、3歳になっても、今でいうフィリーズレビューで2着になったりしたんですよね。
あの馬にはいろいろ経験させてもらいましたね。他にも沢山の馬をやらせてもらいましたが、その馬が一番記憶には残っているかなあ。気のキツイ牝馬で、僕もトレセンに入ったばかりで……。調教でも引っ掛かったり、いい経験をさせてもらいました。
-:難しい馬だけに自身の技術としても、経験になったのではないでしょうか。
吉:そうですね。でも、それは自分が幾つになっても、どんな馬でも、そうですね。一つ一つが経験になりますし。
-:そして、次は池江厩舎に移られて。何かと話題になる馬ばかりだったとは思いますが、池江厩舎で印象に残った馬を挙げると。
吉:う~ん……、あれだけの厩舎でしたからね。でも、ドリームジャーニーの朝日杯かなあ。あれが厩舎の初重賞制覇でしたからね。ジャーニーは調教もつけさせてもらっていたし、その時は凄く感激しました。
-:今、振り返ると、どんな子でしたか?
吉:いやぁ、やっぱり大変でした!体は小さいけれど、動きは素早いし。「ステイゴールドはもっと激しかった」と泰寿先生は言うけれど、あの血統はどれもそうですからね。
-:ステイゴールドはその激しさがあるから、走れるアドレナリンに変えられている部分はありませんか?
吉:僕らは実際、ステイゴールドを携わっていないから、未知な部分はありますけれど、池江先生から激しい馬だったとは聞いていますし、その激しさが競馬に行った時の勝負強さに繋がっているんでしょうね。
-:その点、兄弟のオルフェーヴルはどうでしたか?
吉:オルフェーヴルは初入厩や新馬の前は僕も調教をつけていたので、覚えていますが、乗ると凄く言う事を聞いてくれるんです。乗り手の指示にキッチリ従うというか、凄く馴致されているなという印象はありましたね。だから、正直、新馬で池添騎手を振り落したのが、信じられなかったです。坂路でしか、調教をやっていなかったのもあるとは思いますが、ビックリしましたね。
-:菊花賞でも、そんなエピソードがあったくらいですよね。
吉:そうでしたね。でも、この馬も大変ではあるけれど、ジャーニーの方が苦労していたとは思いますよ。
-:そのオルフェーヴルや、ドリームジャーニーの背中を表現すると、どんな乗り心地でしたか?
吉:特にドリームジャーニーは体が小さいし、回転が速かったですねえ。それに背中が凄く柔らかくて、しなやかというよりはババババッ!とテンポよく走るタイプだったとは思います。オルフェーヴルもそういうところは似ていましたね。今はもっとパワーがついているでしょうけれど。でも、オルフェーヴルは最初からしっかりしている方だったと思いますよ。調教で乗っていて「これは絶対新馬に勝てるな!」と思いましたからね。坂路でも楽に53秒台で上がってきましたから。
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荒尾競馬で調教師をしていた父の影響で競馬界へ。トレセンへ就業後は飯田明弘厩舎、池江泰寿厩舎と渡り歩いた。技術調教師として池江厩舎に在籍していた昨年はオルフェーヴルの三冠達成を目の当たりにするなど、貴重な経験を得て、2012年3月から厩舎を開業。池江師から譲り受けた管理馬で初勝利を挙げた。 |