関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

北村宏司騎手×増沢末夫氏スペシャル対談


増沢:いや、周りは何も言わなかったかな。もう2000勝が目標だったから。2000勝したら辞めようと思っていてね。ようやく2000勝して「もう誰も追い越さないだろうな」と思っていたら、何だよ(笑)。

北村:アハハ(笑)!

増:やっと2000勝して大丈夫だと思っていたら、何だよ(笑)。すぐビュンビュン抜かれちゃって(笑)。昔は1000勝で表彰があったくらいでね。で、1500勝っていうのは僕が初めてだから。「今まで誰もした事ないから、どんなものをあげたらいいか」って競馬会の人間も言っていたな。

北:そうなんですか。

増:それで1500勝した時「よし、ここまで来たら2000勝するまで乗ろう」と思ったから。2000やったら辞めよう、と。それはもう最初から思っていたの。

北:でも、先生が1500勝をあげた時点では40歳を超えていたんですよね?そこから500勝しようと思うのも、凄いモチベーションですね。

増:昔の乗り役は大体40歳前半で乗り役を辞めていたからね。

‐:減量がキツくなってくる方もいらっしゃるんでしょうね。

増:そういう人もいたと思うけどね。

‐:先生はどうでした?

増:僕は減量ではそんなに苦労しなかったな。馬に乗るのが好きだったから、食べなくても平気だったね。

北:普段から節制されていたんですか?

増:若い頃はしていたよ。朝、調教が終わったら汗取り風呂へ行って、15時になったらまた汗取りに行くんだよ。だから体はいつも50キロ。やっぱり普段からそうやって体を作っておかないとダメだよ。やっぱり勝負だから、体は作っておかなきゃ。だから、レースが終わった後もハアハア息切れをした事なんか一度も無いよ。



北:でも本当に乗るのが好きじゃないと、そうやって気持ちを保てないじゃないですか。そのモチベーションを維持し続けたのは凄いと思います。

‐:北村騎手はどのように体重を調整されていますか?

北:僕もそんなに重い方じゃないですけど、減量しなくて済むように、普段から節制する方がいいなと思っているんです。週末にまとめて落とすより、普段から節制した方が全然苦じゃないですね。僕、サウナに入るのは嫌いですもん。サウナに入って我慢して落とすより、食べるのを我慢する方がよっぽどラクですよ。疲れないですし。

増:昔の乗り役なんか凄いよ。目方の重い人が多かったし、汗取り風呂でグッタリしている人がそこらへんに寝ていたよ(笑)。風呂に入る前には頬がふっくらしていたのに、出てくる時にはゲッソリだから(笑)。

北:キツそうですね(笑)。

増:でも、みんな減量でフラフラしていても、馬に乗るとシャキッとするんだよな。昔は乗り役も厩務員も凄い人が多かったよ(笑)。

北:「凄い」って、どういう意味で凄いんですか?

増:もうガラの良いのなんかいないからね(笑)。競馬全体の雰囲気が今とは違ったよ。競馬場のお客さんも「コノヤロー!」なんてヤジは飛ばすしね。でも、今は僕も馬券を買うようになって、そのファンの気持ちが分かるよ。

北:アハハ(笑)!それはマズいですね。先生、よく競馬場にいらっしゃるんですよね?僕もヤジられちゃうかも。

増:「北村!コノヤロー!」なんてな。

北:今も昔も怒られっぱなしですよ(笑)。




‐:アハハ(笑)。増沢先生からいただいたアドバイスで、印象に残っているものってありますか?


北:先生はあまり細かなアドバイスはされなかったですね。「とりあえずスタートを上手く出て、勝つように乗れ」って。それが一番多く出された指示でしたね。

増:競馬はスタートが大事だから。馬の全能力を出させるには、馬が走りやすいように誘導してあげないと。それにはやっぱり上手いスタートを切って良い位置を取ってね。

北:本当、スタートに関してはよく言われました。

増:あと、乗り役は頭の回転が良くないとダメだね。競馬は1分何秒の勝負なんだから、ピッピピッピと決めていかないと。もう「ここで行くか行かないか」なんて迷ってちゃダメだから。周りの馬の動きを確認して、サーッと動ける判断力と反射神経がないとね。

北:はい。僕も一回「お前、寝ているのか!」って怒られた事を覚えています(笑)。

増:そうだったな(笑)。それと、相手をしっかり見てな。人気馬が近くにいたらそれを狙って行かなきゃ。そうやって乗らなきゃダメだよ。

北:はい。


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増沢 末夫(ますざわすえお)

1937年10月20日生まれ。北海道出身
中学卒業後、鈴木勝太郎厩舎に入門し、1955年・馬事公苑騎手養成長期課程を受講。 1957年・騎手デビュー。1966年・日本ダービーをアサデンコウで優勝し、重賞初勝利。

以降、関東有数のトップジョッキーとして活躍。40代以降に顕著な活躍を残し「鉄人」の異名をとる。
主戦騎手を務めたハイセイコー引退に際して発売された『さらば、ハイセイコー』は45万枚を売り上げる大ヒットとなった。

1991年・中央競馬史上初の通算2000勝を達成。その翌年引退し、調教師に転身。3165戦279勝の成績を残し、2008年に定年引退。
義弟に現調教師の鈴木康弘。長男真樹の嫁に増沢(旧姓牧原)由貴子がいる。




北村 宏司(きたむらひろし)

1980年7月24日生まれ。長野県出身
馬術の国体選手だった父親の影響を受け、幼少の頃から乗馬に親しむ。 1999年・現在も所属する美浦の藤沢和雄厩舎から騎手デビュー。

同年は6月に左足を骨折し、それによる1ヶ月の休養があったものの37勝を挙げ、JRA賞(最多勝利新人騎手)を獲得。
デビュー翌年、増沢末夫との縁がきっかけで乗ることになったダイワカーリアンで重賞初勝利。

その後、増沢が管理していたダイワテキサスで重賞(関屋記念・新潟記念)を連勝し、本格的なブレイクを果たす。
2009年はデビュー以来、初となる80勝ラインを超えるなど好調で、藤沢和・岡部ラインを継承する美浦の最重要騎手の一人。