関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

北村宏司騎手×増沢末夫氏スペシャル対談


‐:先生、表情が生き生きとされていますね。本当に騎手という職業がお好きなんですね。

増:やっぱり乗り役が一番良いよ。花形だしね。

北:だって、先生は調教師の時も自分が乗っている感覚でしたよね?レース前に「どう乗るか」っていう話をしている時も。だから話をしていても面白かったですよ。分かりやすいですしね。僕の師匠の藤沢先生からも「増沢先生から競馬を教われ」って、よく言われました。

増:宏司もこれだけウマい事を言えるようになれば、もう大丈夫だな(笑)。

北:いえいえ(笑)。

‐:先生からご覧になって、北村騎手の成長ぶりはいかがですか?

増:いや、それは凄いよ。だからボチボチ、もっと上の方へ行って欲しいと思うな。今は昔の僕みたいに、ベスト5くらいにずっといてさ、そのうちに今いる上の連中が辞めてくから(笑)。

北:先輩たちが辞める前に、バリバリ乗っているうちに頑張りたいと思います(笑)。

‐:北村騎手は、年間何勝したい、というような目標というのはありますか?

北村:特に決めてはいませんけど、前の年よりは多く勝ちたいと思いますよね。一年目より二年目、二年目よりも三年目の方が多く勝っているというように。それだけ経験を積んでいるなら、勝ち鞍が増えて当然と思われる職業だと思うんですよね。

増:だから、宏司にはまず一回リーディングを取って欲しいな。宏司は周りの人にも恵まれていると思うし、チャンスはあると思うんだ。僕も周りが凄く良かった。自分ひとりでやっているわけじゃないから、あれだけの成績を残す事ができたと思うんだ。



北:自分ひとりで馬を探して、仕上げてレースに出すわけじゃないですもんね。生産から育成、馬主さん、厩舎スタッフと多くの方が関わって、僕たちがレースで乗れるわけですからね。

増:だから、たくさん勝っているからといって、天狗になっちゃダメなの。この職業、技術は死ぬまで勉強だから。これで良いっていう事はないんだもん。

北:本当にそう思います。手を抜けないし、責任も重いけど、面白いです。




‐:楽しすぎて話が尽きないという感じですが、そろそろお時間が近づいて来ました。ここで、改めて増沢先生から北村宏騎手へ向けて、アドバイス、メッセージをお願いします。

増:えー、そうね。競馬は勝ち負けがあるけれども、やっぱり誰が見ても「あれで負けたらしょうがない」って思えるレースをして欲しいね。「北村、今日は負けたけど、あれで負けたらしょうがない」って、馬券が外れたファンでも納得出来るようなレースをして欲しいと思うよ。

北:はい。

‐:ありがとうございました。それでは、最後にお二人から、競馬ラボをご覧のみなさんにメッセージをお願いします。

北:はい。寒くなって来ましたけど、やっぱり競馬場に足を運んでいただいて、大きな歓声や、迫力ある馬の足音や現場の風を感じて、盛り上がって欲しいです。このサイトをご覧いただいている皆さんは競馬に興味を持っていらっしゃる方が多いと思いますので、特にライブで見た事の無い方を、友達でも家族でも一緒に連れて、見に来て欲しいですね。G1もあるので、それをキッカケにして競馬の迫力に触れてもらって。競馬を知らない人には、有馬記念に至るまでの戦歴なんかを教えてあげてですね。凄い馬たちによる凌ぎ合いを楽しんでもらいたいです。

‐:なるほど。

北:あと、競馬は何度も同じ相手と戦うわけですから、そこでの駆け引きっていうのも、ジョッキーの立場からすると見て欲しいところですね。「あの馬を負かす為に、今度はこう乗ろう」とか、良い競馬を見ていただく為に工夫をしてレースに臨むので、面白さはあると思います。

‐:ありがとうございました。では、最後に先生、お願いします。

増:さっきも言ったように、今はファンの気持ちが分かります。僕も今は競馬ファンだから。だから、乗り役には、だれが見ても納得出来るようなレースをしてもらいたいな。

北:そういう騎乗が出来るように頑張りますので、皆さん是非競馬場へ来てください。

‐:これからもご活躍を期待しております。お二人とも本日はありがとうございました。




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増沢 末夫(ますざわすえお)

1937年10月20日生まれ。北海道出身
中学卒業後、鈴木勝太郎厩舎に入門し、1955年・馬事公苑騎手養成長期課程を受講。 1957年・騎手デビュー。1966年・日本ダービーをアサデンコウで優勝し、重賞初勝利。

以降、関東有数のトップジョッキーとして活躍。40代以降に顕著な活躍を残し「鉄人」の異名をとる。
主戦騎手を務めたハイセイコー引退に際して発売された『さらば、ハイセイコー』は45万枚を売り上げる大ヒットとなった。

1991年・中央競馬史上初の通算2000勝を達成。その翌年引退し、調教師に転身。3165戦279勝の成績を残し、2008年に定年引退。
義弟に現調教師の鈴木康弘。長男真樹の嫁に増沢(旧姓牧原)由貴子がいる。




北村 宏司(きたむらひろし)

1980年7月24日生まれ。長野県出身
馬術の国体選手だった父親の影響を受け、幼少の頃から乗馬に親しむ。 1999年・現在も所属する美浦の藤沢和雄厩舎から騎手デビュー。

同年は6月に左足を骨折し、それによる1ヶ月の休養があったものの37勝を挙げ、JRA賞(最多勝利新人騎手)を獲得。
デビュー翌年、増沢末夫との縁がきっかけで乗ることになったダイワカーリアンで重賞初勝利。

その後、増沢が管理していたダイワテキサスで重賞(関屋記念・新潟記念)を連勝し、本格的なブレイクを果たす。
2009年はデビュー以来、初となる80勝ラインを超えるなど好調で、藤沢和・岡部ラインを継承する美浦の最重要騎手の一人。