シンガポールで活躍する日本人ホースマン
2013/7/21(日)
年々競馬のレベルが向上し、今や国際的にも認められてきているシンガポール競馬。02年にホッカイドウ競馬からシンガポールに移籍した高岡秀行調教師の活躍は広く知られているが、現在、ひとりの日本人女性もシンガポール競馬には欠かせない存在になっていることはあまり知られていない。彼女の名は飯塚千裕氏。トラックライダーとの肩書からその名がおもてには出ないのだが、実際は日本人女性とは思えないほど主要な働きをしているのだ。その活躍ぶりを聞いてみた。
シニアトラックライダーとは!?
-:日本人女性としてちひろさんはシンガポール競馬に携わっていらっしゃいますが、まずはちひろさんの役割を教えていただけますか?
飯塚千裕氏:はい。シンガポールのリーディングトレーナーであるラクソン厩舎に所属し、シニアトラックライダーとして仕事をしています。若手で調教を付けているトラックライダーよりは上の立場で、レースには乗ることはできませんが、能力試験での騎乗など、ほぼ騎手と同じ仕事をこなしています。
-:ラクソン厩舎には、現在何人のトラックライダーが所属しているのですか?
千:アプレンティス(見習い騎手)が1人、シニアトラックライダーが2人で、私ともうひとりはイギリスでジョッキーだった人です。トラックライダーは3人いますね。でも私の仕事はトラックライダーだけではなく、助手や秘書、厩舎の経理なども任せられていて、仕事内容はほとんど調教師のようなものですよ。
-:へえ、それはすごいですね。具体的なお仕事の流れも教えていただけますか?
千:馬場が開くのが朝の6時ですから、毎朝5時半から厩舎で準備を始めます。1日に乗るのは12頭くらいですね。現在、厩舎には63頭が在籍していて、みんなで分担するとこれくらいになります。うちの厩舎の調教方法ですが、月曜日は軽めで火曜日から土曜日は全ての馬にトラック2周させます。レースに出走予定の馬は前の週の土曜に一度追い切って、それを見て使うかどうかを決めます。使うことになれば、金曜日に出る馬は火曜日に、日曜日に出る馬は水曜日に追い切りをかけます。馬場が閉まるのが午前10時ですが、乗り運動が終わるのは11時くらいですね。シンガポールの中でもスパルタとして知られる厩舎ですので、午後になっても乗り運動やプール調教を全ての馬にやっています。
-:すると、一日中、馬に乗っているわけですね。
千:いえ、私は忙しいので、午後は他のみんなに任せています。総務や経理の仕事も抱えていますので。具体的には馬主さんへの請求書を作ったり、給料明細を作ったり、支払いなどの業務も行いますし、銀行口座がボスのと会社のと別れていますので、その管理も全部任されているんですよ。月末月始は夜になっても仕事は終わりません。
-:そうなんですか。外国で事務の仕事をやるのは難しそうですね。
千:全て勉強しました。馬の登録や人事のこと、ビザの関係も学びましたので、今では日本人がこっちで働く場合のエージェントもできるんですよ。
-:では開催日のちひろさんはどのような役割なのですか?
千:発走時刻の2時間半前から準備にかかります。ジョッキーとの打ち合わせと、ボスから伝えられている馬具を使用することですね。うちの厩舎は腹帯を二重にすることが多くて、そういうことを指示しています。レースの30分前にはパドックへ馬を持って行って鞍付けをします。あとは馬が故障した時などトラブルの対応です。
-:なるほど。ではちひろさんは、どういう経緯で、こうしてシンガポールで働くようになったのですか?
千:そもそも騎手に憧れてオーストラリアの競馬学校に入ったのが始まりです。日本人を受け入れるようになって3期生で入学しました。でも背が高いのもあってジョッキーには向かず、トライアルレースも5~6回乗ったくらいでジョッキーの道は諦めたんです。でも、そこで馬に乗る仕事が騎手だけではないんだと知りました。
-:騎手を目指していたんですね。それは意外でした。
千:実家ではいろんな珍しい動物や昆虫をたくさん飼っていて、小さい頃から動物が大好きでした。父親は伝書鳩レースの記録を持っているくらいですから、他の家とは違う環境で育ちましたね。体を動かすことも大好きで、騎手に憧れるようになったのは自然の流れでした。持ち前の行動力から、オーストラリアの学校へ行くのもためらいは無かったですね。
-:オーストラリアの後はどうされたんですか?
千:ビザの関係で日本に戻ってきて育成牧場で働いていたのですが、大怪我が3度も続いて流れが悪いなと感じていたのです。その時、シンガポールのグレー厩舎が攻め馬師を探しているとの話があって、03年からシンガポールに来ることになりました。05年にはビザが切れて帰国したのですが、日本人で元宇都宮競馬場に所属していた仁岸調教師が07年にシンガポールで開業することが決まり、その手伝いから参加させていただきました。仁岸厩舎は閉鎖となりましたが、10年にその前から声をかけて頂いていたラクソン厩舎に移って、現在に至ります。
-:なるほど。いきなりラクソン厩舎に所属したわけではないのですね。
千:ええ。特に仁岸調教師の時は開業からお手伝いしましたし、調教師が英語を話せなかったものですから、調教師の代行として多くの経験を積むことができました。今こうしてラクソン厩舎のマネージメントができるのも、仁岸厩舎で得た経験がとても役に立っています。
-:ラクソン調教師はなぜちひろさんを招き入れたんですか?
千:仁岸厩舎の時からとても熱心に仕事をしていたからです。シンガポールの人だと、怠け癖があって馬について熱心に勉強している人も少ないです。私は金銭の欲もありませんし、なんでも習得してできるようになろうとしてきました。目の前の仕事はすぐに片付けないと気が済まないタイプで、みんなに日本人の女性は働き者だって思われていますよ。そういうことがあってラクソン調教師に誘われたのですが、今となっては便利に使われているだけですね。
-:そうなんですか。それなら、ちひろさんが独立して調教師になられる日もそう遠くはなさそうですね。
千:いいえ、私は調教師になる気は全くないんですよ。調教師になるには、調教助手にあたるBトレーナーにならなくてはなりません。Bトレーナーになるには、スーパーバイザーのライセンスを取って3年以上の実績が必要です。スーパーバイザーというのはレース前の鞍付けやレースの指示を出したりする仕事で、同じことを今やっていますが、ライセンスは取得していませんので、このままではBトレーナーにはなれないのです。
-:何で調教師を目指す気がないのですか?
千:仁岸厩舎の時に調教師の仕事を経験して、これは私には無理だなと思いました。私は馬に乗って現場で仕事をしていたいのですが、調教師の仕事は馬主への営業や接待など、現場からかけ離れたものが多くて、道が違うんです。だから、もし目指したとしてもBトレーナーまでかなと思います。
-:そうなんですか。馬乗りへのこだわりがあるんですね。
千:私は騎手ではありませんが、まだまだ体も動くし、現役の騎手に負けられないという気持ちで続けています。騎手はレースで馬を勝たせるのが仕事ですが、レースに向けて馬を作り上げていくトラックライダーの仕事にも大きなやりがいを感じています。この先、体が思うように動かなくなれば違う立場になるかもしれませんが、今はシニアトラックライダーとしてこれからも頑張っていくことしか考えていません。
飯塚千裕氏インタビュー(後半)
「ラクソン調教師と厩舎の活躍馬」はコチラ→
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