現役時代の海外武者修行を振り返る
2013/8/25(日)
海外で武者修行時代の思い出
-:関西の中村将之騎手がこの間までフランス修行に行っていたそうです。先生の紹介でフランスの障害厩舎に紹介したという話を聞きました。
田中剛調教師:そうですね。彼が行きたいとのことで、「じゃあ、俺が教えてあげるよ」と。僕が日本人第1号でその厩舎に行ったんですけれど。
-:先生は日本人で初めてグランドナショナル(※)に乗ったりしていますからね。
(※イギリスの伝統の障害重賞。イギリス競馬で最も人気を誇り、国内最高の売り上げを数えることでも知られている)
剛:乗ってる馬がひっくり返っちゃいましたけれど(苦笑)。
-:中村騎手を紹介できたのは、やっぱり現役時代に培った人脈があるからですか?
剛:それは別になるんですけれど、とにかくジョッキーをやっていて、ジョッキーのライセンスを持っていて、一般の人が入っていけないところに入っていけるという強みあったので。海外で騎乗するのはジョッキー冥利に尽きるというのがありますね。僕は26歳の時に競馬会の海外研修に1カ月行かせてもらって、“やっぱりその後も外国で乗りたいな”という気持ちがありました。その研修が終わって帰ってきた時に、“まずは英会話を勉強して、今度は自分で切符を買って、自分で行って向こうで競馬に乗るんだ”という気持ちになりましたね。アメリカに4~5年通って、サンフランシスコなどの平場で3鞍ぐらい乗って、これだけやっても平場で通用しないのだったら、今度は障害で何とかやってみようかということで。
その後は障害でオーストラリアの招待レースに行きまして、海外のワールドチャンピオンシリーズというのがありまして、世界の騎手が集まるんです。そこで初めて、障害ジョッキーとサーキットを2週間やってきたんですけれど、みんな体重が60~70キロあって。日本の中では僕も体力には自信があったんですけれど、向こうの騎手と一緒になったら、全然及ばなかったので、“いや~、こんなすごい世界があったんだな”と思わされましたね。そして、オーストラリアから帰ってきてからはどこでも行ってやろうと思いました。何とかグランドナショナルの話がありまして、そこでひっくり返って帰ってきて。その時にオーストラリアで会ったジョッキーが2人乗ったんですね、イギリス人とアイルランド人との。それで、アイルランドの一番仲の良いヤツが勝って、こんな狭い世界はないなと思っていました。まあ世界は広いんですけれどね。
-:嬉しいような、悔しいような感じですね?
剛:ええ。そういう経験もジョッキーじゃないとできないのでね。それで何とか日本で障害に乗っていって、JRA賞を獲ったりしたんです。とにかく障害を勝たなきゃ辞められないなと思って。その時にフランスから来た調教師さんに日本でお会いして、「自分はこういうことをやってきて、どうしても海外で勝ちたいんです!」と話したんです。それが10月ぐらいで、「それならば、暮れに来い」と言われて、ニースに行って、飛行機で着いて翌日に「もう競馬だよ」と言われて、いきなり3鞍乗りました。その時にハードル(置障害競走)とスティープルチェース(固定障害競走)も乗って。それで、スティープルチェースで馬がひっくり返っちゃったんですよ。その次のレースで勝ったんですけれどね、ハードルで。“やったあ~!”と思いました。そこで勝てたのは嬉しいんですけれど、向こうに行って、自分も無知ですし、スティープルチェースは日本のペースで行っちゃって、馬がバテちゃって。だから、僕がひっくり返しちゃったみたいな感じになっちゃったんです。
-:タフなんですか、向こうは相当に?
剛:日本のペースで行っちゃうと終いバタバタになっちゃうんで。
-:日本はスピード優先なところがありますからね。
剛:フランスの馬はディーゼル車に乗っているような馬なんですよ。バテてきたら、本当に動かないし、脚力も必要です。馬をひっくり返したということがあって、何頭か、勝つまでの3日間ぐらいは調教場に行っても“何だあの日本人は?”とか思われているんじゃないかなとか、周りの目がすごく切なかったですね。“何とか勝てて、日本人が来て、ブッ飛んでいって、逃がしたよ”なんて思われてるんじゃないかとかね。そんな気持ちもありましたね。
-:ヨーロッパと日本の馬社会の違いはどうですか?
剛:本当に馬乗りが上手いですよね、みんな。まあレースの上手さというのもあるんですけれど、馬を御すということに関しては僕と同じようなレベルの人は一杯いるんですよ。年に3~4回しか乗らない騎手の人でも。その人たちでも陽のあたるところに出て来られないような世界なので。だから、パッと行って、パッと乗せてもらえたということは奇跡みたいなことなんです。本当に乗れなくなった人もいるので、僕が行ったばっかりに。
-:絶対数ももいるし、層が厚いんですね。
剛:厚いですから、ペリエとかスミヨンとかは本当に世界のトップジョッキーというとで、日本の小さな世界で選ばれたジョッキーとは、話が全然別です。
ジャンポール・ガロリニさんという調教師さんがいて、そこの馬の障害馬で、たまにスミヨンがハードルG1に乗って勝っているんですよ。障害で乗るぐらいの技術があるから、平場に乗せたらやっぱりね。そして、体力を付けて筋肉が隆々じゃないですか。でも、減量して減量して、毎週3キロぐらいとって競馬に乗っているので。ボクサーが減量をして勝つのと一緒で、脚力とか騎座の強さはあるから。
-:すごい体をしていますからね。
剛:ええ。だから、そこから違うしね。そう思って体重が60キロぐらいになるまで、昔は筋トレとかもやったんですよ。毎週、5キロぐらい減量して競馬に乗っていました。
-:結構、大変なことですね。
剛:それでも向こうに行った時は自分と比べて“こいつらスゲエな”と思うぐらいでしたからね。
-:やっぱりレベルが高いんですね。
剛:本当に高いですね。
-:もしかしたら来年ぐらいに、デムーロ騎手が日本の騎手として乗るようになるかもしれないですしね。
剛:そうですね。デムーロが日本に来た場合について、ドーヴィルで会って聞いたんですよ。
-:その頃はまだ、10代ですか?
剛:はいはい、デムーロがまだ、若い時で。
-:覚えてたんですね。
剛:覚えてた。「ドーヴィルにいたでしょ?」とか言って。
-:そういうのは嬉しいですよね?
剛:嬉しいですよね。騎手になって海外のパドックに入れるのも、騎手のライセンスがあるから入れるし、一般の観光客の方はパドックの外でしか見れないじゃないですか。日本人同士で会うと、「あれっ、田中さんでしょ」とか言われて。やっぱり騎手になって良かったなと思っていました。外国のジョッキールームなんかにも普通に入って行けますしね。そういうところでもジョッキー冥利に尽きるなと思っています。
-:普段から違うんですかね、向こうだと馬の接し方とかも。
剛:やっていることは、日本のシステムと大体似てきているんですけれどね。乗る頭数が違いますね。調教以外の面でも、寝ワラ上げから鞍着けから全部やって、それから乗っているので。自分で準備をせずに調教から乗るのはトップジョッキーだけですね。あと運動もしていますし。
-:日本は井の中の蛙というか。
剛:本当に違いはそこだけじゃないですからね。僕も世界を見ながら、“障害で日本一になってやろう。どこかの国で重賞を獲りたいな”と思っていたので、それがやっぱり良かったのかなと。海外に行った人じゃないとわからないですよね。
-:そうなんですよね。“百聞は一見にしかず”でね。1度行った方がね。
剛:はい。調教師に認められて勝たなきゃ、騎手としては意味がないなと思って。
調教師として海外で出走させることが目標
-:調教師としても将来的には海外に?
剛:行きたいですよね。
-:ロゴタイプは欧州系のシングスピールの子のローエングリン産駒ですし、チャンスがあるのではないでしょうか?
剛:いや、本当にチャンスがあればね。フランスって馬場が平坦で、意外とシッカリとしているので。イギリスに行っちゃうと馬場がタフなので、フランスとか香港、シンガポール、あの辺は馬場がキレイなので合いそうですね。
-:合いそうな感じですよね。来年ぐらいには行けそうですか?
剛:いやいや、吉田照哉社長に聞いてみないと(笑)。話は戻りますが、中村騎手にも、本当にしっかりと向こうの経験を活かしてもらいたいなと思っています。
-:結構、障害のセンスはありますからね。
剛:うん。多分、変わってくるんじゃないですかね。あの後も金子君とか穂刈君らを一緒に連れていって、レールを曳いてあげたんだけれど、なかなか行ってくれないですね。
-:なかなか勇気がいりますからね。
剛:勇気っていうか、勢いだから大したことはないですよ。みんなね、同じ人間なんだから「ちょっと行って見てこいよ」と言って、1度連れて行ったんだから、「今度は競馬で乗せてもらって来いよ」と言うんだけれど……。
-:なかなか一歩踏み出せないでいるんですね?
剛:恥ずかしいことはないんですけれどね。乗るのは日本人の方が下手でしょうがないんだから。当たり前なんだから。
-:悲しいかな障害ジョッキーも日本だと陽の目を浴びなくなっていますからね。
剛:そうなんですよね。だから、もっともっと振興策があって良い時があったんですから。
-:色々と貴重なお話をありがとうございます。それではロゴタイプの今後の活躍を楽しみにています。
剛:いいレースを見せられると思いますので、応援してください。秋に向けて中身のある競馬をしたいですね。
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■最近の主な重賞勝利 |
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騎手として1979年にデビューすると通算5253戦364勝(うち障害1420戦207勝)をマーク。障害騎手として名を馳せると、積極的に海外遠征にも赴き、1995年には日本人騎手として初めてイギリスのグランドナショナルにも騎乗。当時、史上2人目となる平地100勝・障害100勝を達成するなど、幾多の金字塔を打ち立てた。 |