元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
新怪物コントレイル
2020/4/21(火)
皆様、こんにちは!とうとう国会が申請をした国民1人に対し10万円の給付金を決めましたね。申請というものに対して、どうしたらいいのかと今からヤキモキしています。私のように周りに助けてくれる人がいる場合がまだいいですが、一人で生きている老人達にとっては、この方法は少し酷ではないかなと思ってしまいます。いらない人が申請を出せば、そちらの方が効率的ではないのかなと単純に思ってしまいますよね。マイナンバーの管理がしきれていないためと言っていましたが、住民税などは徴収しているんですから、住民票から探せばいいのではないでしょうか?決まったら決まったで振り切れてない政府には毎回もやもやとしてしまいますね。
そんな環境ではありますが、競馬は施行させてもらっています。モヤモヤを吹き飛ばしてくれたのは、圧巻のコントレイルの強さだったと思います。移動制限が出たJRAには皐月賞に騎乗するためにトップ騎手が中山で土曜日から見ることができました。残念ながら土曜日の馬場は非常に重く心配していましたが、当日は少し重めの馬場で皐月賞が行われました。無敗の2歳牡馬チャンピオンの戦いでしたが、制したのはコントレイルと福永君でした。福永君はこれでクラシック全制覇の上、世代別G1をすべて勝利となりました。リアルスティールでも完璧な騎乗をしていましたが、ドゥラメンテという怪物に敗北しましたからね。今回は、そんな彼が怪物に乗って制したというのは素晴らしいですね。
しかし、レースは下手に乗ったなというのが正直な感想です。それでも馬の力を信じていたからこそ勝てましたが、彼のインタビューからもわかる通り、今回の騎乗は決して褒められた内容ではなかったと思います。特にそのポイントして1コーナーから2コーナーの入り方にありました。いつもならグングンと進む馬だけに、スタートしてからポジションを取ると思っていたのですが、いつもと違い無観客に気性面の成長もあったでしょうし、更に言えば馬場もあったとは思いますが、それ以上に進んでいきませんでした。そこで彼は次にひとつ外に出す選択をしようと思いました。しかし、そこでも外から馬が固まったため、再度内へ戻すレースをしました。
向正面では豊ちゃんが動いたことで、更にタイミングをひとつ逃し、ダーリントンホールが上がってきた際に外に出すことができました。しかし、これもダーリントンホールの手応えがあったり、シビアなトップ騎手が乗っていれば空いていません。ここで出せたことを好判断!という人もいますが、私が個人的に思うのは全体として見た時にここまで出せなかったことが問題だったと思います。そこからは別次元の手応えで上がっていくと、内からサリオスのD.レーンが併せにくる中、それも振り払い勝利しました。
逆にD.レーンは非常に上手いレースをしました。ポジションとしても完璧、直線の併せに行くところも抜け目がない騎乗でした。ただ、逆に言えば抜け目がなさすぎて、トライできなかったことが勝ち切れなかったことにもつながると思います。4角の溜めの部分で外に振ることでコントレイルをさらに外を回させることや、追えば伸びる走りを活かして先に抜け出し、早めにメンタル的に決着をつけても良かったかもしれません。しかし、それは結果論ですから、次はダービーでの決着を心待ちにしています。コントレイルはこの走りならば2400mは心配ないでしょうし、サリオスに関してはイチかバチかの競馬になるかもしれません。
今週も移動が制限される中、開催が変わります。東京、京都、福島での開催となりますので、馬の情報を見る時は気をつけてくださいね。土曜日には福島牝馬S、日曜日には東京でフローラS、京都ではマイラーズCが行われます。マイラーズCにはインディチャンプが出てきますね。安田記念には怪物アーモンドアイも参戦を発表しているだけに、ここは負けられない戦いになりそうです。
そんな王者にストップをかけたいのはフィアーノロマーノでしょうね。その他にも岩田望君騎乗のヴァンドギャルドも応援したいところではありますね。京都コースの開幕週というのは非常に内枠が有利になりますので、展開にもよりますが、まず枠順をチェックしておくのは大事なことになりそうです。今週も無事に競馬が行われることを祈っています。
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。