【第一章】鉄人が早くも太鼓判!戸崎圭太は最高のジョッキー
2015/3/1(日)
現役時代は「鉄人」の異名をとり、ベテランの年齢に達しながら頂点を極めた増沢末夫氏と、有馬記念での劇的Vも記憶にあたらしい、今をときめく戸崎圭太騎手による特別対談が実現!競馬界に身を置くこと半世紀超の“レジェンド”が、若きトップジョッキーに伝えたい思い、そして、今後の飛躍のヒントとは。競馬ラボだから実現した、ともに全国リーディングリーディングを獲得し、有馬記念を制した新旧レジェンドによる共演をたっぷりとご堪能ください。
増沢末夫氏:戸崎君の競馬は普段から注目して観ているよ。こうやって話すのは初めてだよね。それじゃよろしく。今、住まいは美浦の方なのかな?
戸崎圭太騎手:よろしくお願い致します。いや、大井時代と同じく東京なんです。
増沢:平日は朝、向こうから来るんだ。いや~、それも大変だな。そもそもがこうして地方競馬から移籍してきているわけで、内田(博幸騎手)なんかは、僕が調教師の時によく来ていたからね。けっこう競馬で乗せたんだよ。
ただ、内田は普通の格好(フォーム)でも、地方競馬の騎手が来るようになってから、JRAのジョッキーも乗り方が変わったよね。競馬って『魅せる』ものだから、ああいう暴れるような乗り方ではなく、僕は綺麗な格好の方が好きなの。昔なんてテレビもないし、ビデオもないでしょ。今は誰でもレースを観られる時代。もうファンに魅せる競馬だから、余計だよね。昔のような格好をして負けたりしたら、メチャクチャに言われちゃうよね。
僕はファンの身になったから分かる。「何だ、あの乗り方は?」と僕だけでなく、ファンも内心思っているはずだよ。今の人は本当に大人しいとはいえ、そう思う人もいるだろうからね。だから、ファンに迷惑をかけないようなレースをするのが、まず一番ね。戸崎君にそれを言いたい。“ファンに迷惑をかけない。これで負けたらしょうがないな”というような、そんなレースをしてもらいたい。
圭太:現役時代からファンを意識した競馬をされていたということですか?
増沢:そうそう。僕は現役の頃からそういう風に思っていた。だから、自分でスタートは絶対に負けないと思っているから、パッとスタートして、ハナに誰かが行けば2番手に行けるから。やっぱり馬だって走りやすいように行かないと、出遅れて真ん中にいて(手綱を)引っ張ったら嫌になっちゃう。流れが良いと馬も走るのよ。常にそういう心掛けだね。戸崎君の方が僕よりうんと乗っているし、腕は間違いないから、偉そうには言えないね。
(続けて)乗り役だってスピードの勘の競技だよね。僕の時は、東京競馬場で1マイルの速いところで行うんだ。今なら5ハロンだよ。半マイルか5ハロンくらいでしょ。長くたって6ハロン程度で。
圭太:ペースはどれくらいから入るのですか。15くらいですか?
増沢:15-15くらいで行って、「5ハロンからいくつで」と指示が出て、上がり一杯に追ったりね。そのスピード勘というのは分かるんだよ。若い時から言われているから。昔の調教師はうるさいからね~。
圭太:今でも、当時は厳しかったと聞きますね。
増沢:その通りに乗ってこないと「何だよ、テンがそんなに速くて終いバタバタになったんじゃ」といつも怒られていたからね。だから、テンはなるべく遅くして、5ハロンから速くなるから、それでも65~6で来るから、上がりは37~7半ぐらいあたり、それで来るとニコッとしているからさ。
だからスピード勘というのは、僕らは若い頃からずっとそれで来ているから、競馬の時にハナに行っても、どれくらいの間でどれほど行って持つ、というのが分かる。その経験があるから僕は逃げ切りが多かったね。
圭太:そのようですね。増沢先生といえば『逃げたら勝つ」という、そんなエピソードは今でも耳にしますね。やっぱり逃げた時はペースが大事ですよね。そこが難しいです。
増沢:逃げ馬というのは一番難しいよ。そのレースを作るんだから。それに、あんまりスローペースだとダメ。そのペース・感覚を覚えるまでは大変だよね。一方で、人気のない馬で逃げ切った時は痛快だよ。昔、ユキノサンライズという馬に乗って、中山牝馬Sを逃げ切って勝ったんだよ。そのレースが中山開催の2日目で、2週後の6日目に中山記念があって、両方とも逃げて勝てたんだ。
1開催で2つ勝ったんだよ?それだけでも異例ながら、その時計がほぼ一緒であったからね。「逃げのスピードもペースも全部一緒だった」とその馬主さんも言っていたのを思い出すよ。
(※中山牝馬S 5F:60秒2 勝ちタイム:1分47秒6 中山記念 5F:60秒4 勝ちタイム:1分47秒7)
圭太:へ~、そうなんですか。コンマ1秒ほどしか違わないような逃げ切りなんて、やれと言っても出来ない芸当ですよね。後にも先にもそんな人馬はなかなかいないんじゃないでしょうか。
増沢:実はそういう訳で乗ったわけじゃないんだが、あとから聞いて、「そうか」といった印象。でも、逃げ馬というのは、やっぱりペースが大事だからね。この間のような、ああいう馬、競馬は良いよね。2~3番手に付いてさ。
圭太:そうですね。ルージュバック(牝3、美浦・大竹厩舎)のことですよね。
増沢:そうそう。あの馬は走るよ。引っ掛からないしね。走りっぷり、レースの展開が良いよね。折り合いも付くし。
圭太:ルージュバックは不安がなく乗れるタイプです。ところで僕はゲートの中で緊張することが多いのですが、そんなことはあまりなかったですか?
増沢:緊張はやっぱりするよ。競馬というのは第一にスタート。絶対にスタートは出遅れたらダメだね。
圭太:そうなんですよ。だから、余計に意識して出遅れてしまうということがあるんです。そこが心配になりますからね。
増沢:スタートは出遅れちゃダメ。ダートでも内側で出遅れなんかしたら、たまらないよね。今ではレースを観ていて、馬券を買って、内側で一杯に行けば良いのに、出遅れちゃって、ケツから終い来て間に合わないという競馬はないなあ。でも、戸崎君のことはよく見ているんだ。今の競馬界でも乗り方は最高だね。君のような乗り方は好きだわ。
圭太:ありがとうございます。まだまだですし、そんなに褒めてもらえるとは思いませんでした。
増沢:やっぱり“魅せる競馬”をして、今の格好を失わないでほしいね。でも、成績はたくさん勝っていても、波があるでしょ。負けるとそういう風に迷うんだよ。だから、迷っちゃダメ。勝負だからダメな時もあるよ。それで直したり、変えたら余計にダメになっちゃう。
-:となると、この2年間の戸崎さんの活躍を見ていても、非の打ち所がないというほどですか?
増沢:もう最高だよ。僕は昔、地方から来る騎手はあんまり好きじゃなかった。内田がちょこちょこ来て、ウチの息子が「向こう(地方競馬)のジョッキーは乗れるよ」と推すの。それから乗せるようになったの。しかし、やっぱり追うよね。戸崎君も最高のものを直さず、そのままで行ければしばらくの間リーディングを獲れるんじゃないか。
圭太:いやいや。でも、そう言っていただけるのは嬉しいですね(笑)。
増沢:僕は1回くらいリーディングを獲りたいと思って、40の歳から(全国リーディング2回、関東リーディング)7回獲ったよ、ハハハ(笑)。
圭太:40代でですか!?
増沢:そうそう。52歳で86勝して「よし、辞めた!」という感じ。2000勝までやろうと思っていたんだがね。だだし、今の2000はすぐに勝てるよ。僕らの2000というのは大変であったからね。
-:その年齢で成績を上げられたという理由はありましたか?
増沢:やっぱり根性だな。気持ちで負けたらダメだな。戸崎君も今の格好で乗っていればアメリカに行っても、ヨーロッパに行っても間違いない。僕だって海外に行ってレースを見て、乗ったから。色々な経験をしているから言うのさ。でも、その歳でもやれたのはやっぱり自分の気持ちに尽きるね。普通は40になったら、大体終わるよ。そういえば、的場(大井の的場文男騎手)は50代じゃないの?
圭太:そうですね。大先輩です。的場さんや石崎さん(船橋の石崎隆之騎手)、内田さんは誰もが目標にしますよね。
増沢:あれだけ乗っているというのは偉い!それで、あの格好で乗っているんだから。誰が見てもそう思うんじゃないか?的場の場合はあれが良いと思うんだよ。馬には妨害にはならないんだよね、きっと。あれで妨害をしていたんじゃ、絶対成績は上がらないよ。本当に競馬って分からないもんだと思うね。
-:あの人なりの馬を動かす何かがあるわけですね。
増沢:アイツはアイツなりの乗り方で馬は走っているもんね。昔から「人馬一体」と言うでしょ。普通、子供をおぶって、上でそんなことをやっていたら人は走りにくいでしょ。やっぱり人馬一体だから、同じような格好で乗った方が、僕は良いと思うよ。でも、的場は違うだろうな。
▲ルージュバックできさらぎ賞をV!クラシックへ高々と名乗りを挙げた
圭太:僕は大井出身なので、的場さんはずっと見てきて、素晴らしい人だなという感じでしたね。ただ、芝のレースになると、また違うのかな、という気はしますかね。やっぱり地方のダートだから、ああいう格好でも成績が残るのかなと。
増沢:いや、芝で一緒に乗ったが、ああだよ(笑)。あんな格好をして乗るより、今(の戸崎騎手)のような格好で乗っている方が、絶対に馬には妨害にならないし、馬だって走りやすいよ。馬が走りやすいように乗るには泥をなるべく掛けないようにね。ハナに行っている馬がいたら、2~3番手に外の方にいて走らせるように、いつでもサッとどこでも行けるように、そういうようなレースをしていれば、絶対に間違いない。
(続けて)昔話をすれば昔は自分の馬がダメでも、「このやろう!」と思って絶対に出さないからね。中に入れて、蓋をして。僕なんかはいつも悪いところがあったんだよね。自分でそういう風に思うんだ。やっぱりこの商売は、みんな偏屈が多いから。人に憎まれなきゃダメだよね。でも、一方では仲間にも厳しい競馬をしたら、たまには一杯くらいやってね、仲間に憎まれないように、損して得を獲らなくちゃ。今はそんな遊びはしないようだが、昔は福島や新潟なんかでは仲間を連れて毎晩飲みに行ってさ。そういうもんだよ。
プロフィール
【増沢 末夫】Sueo Masuzawa
1937年10月20日生まれ、北海道出身。
中学卒業後に騎手を志し、'57年3月に鈴木勝太郎厩舎より騎手デビュー。'66年に日本ダービーを制し、重賞初勝利でダービージョッキーの 称号を獲得。以降は関東のトップジョッキーとして長きにわたって君臨し続けた。大井から移籍しアイドルホースとして親しまれたハイセイコーの主戦としても知られており、ハイセイコー引退に際して発売された『さらば、ハイセイコー』は45万枚を売り上げる異例の大ヒットを記録。
44歳で初の全国リーディング獲得、史上最年長(48歳7か月)でのダービー制覇、53歳で年間100勝、さらにその翌年にはJRA史上初 (当時)の通算2000勝達成と現役晩年にかけて数多くの記録を打ち立て、息の長い活躍から『鉄人』と呼ばれ親しまれた。
'92年に騎手を引退、翌年には調教師に転身し、2008年に惜しまれながらも定年引退。その後も競馬ラボをはじめ、他方面で競馬界に貢献を続けている。長男・真樹の嫁に元騎手の増沢(旧姓牧原)由貴子がいる。騎手としての通算成績は1万2780戦1719勝、調教師としての通算成績は3107戦272勝。
【戸崎 圭太】Keita Tosaki
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。
'99年に大井競馬の香取和孝厩舎所属としてデビュー。初騎乗初勝利を飾るなど、若手時代から存在感を放っていたが、'08年に306勝を上げて初めて地方全国リーディング獲得し、一気にブレイク。その後は地方競馬No.1ジョッキーとして君臨。また、徐々に中央競馬でのスポット参戦も増えいった。
'11年には地方競馬在籍の身ながらも、安田記念を制して初の中央G1勝ち。その名を全国に知らしめると、同年に中央移籍の意向を表明し、JRA騎手試験を受験。自身3度目となる受験で晴れて合格し、'13年3月から中央入りを果たした。
移籍初年度も年間113勝をマークすると、移籍2年目は146勝をマーク。ジェンティルドンナで有馬記念を制す、劇的な幕引きでリーディングを獲得した。