【第三章】かけがえの無いダービー勝利の味を
2015/3/15(日)
-:改めて、53歳で年間100勝されたというのは、なかなか今では考えられないことだと思うのですが、体のケアやメンテナンスには力を入れていらっしゃったのですか?精神面はもちろん大事だと思いますが、トレーニングなども大事ですか?
増沢:長く乗っている人なんかでも、100勝までは行かないもんね。僕は48歳の時にダイナガリバーでダービーと有馬記念を勝ったんだ。これが今でも記録でしょ。
-:史上最高齢優勝記録ですね。
増沢:この頃はずっとリーディングを獲っている時だからな。それで、52歳で88勝か。それで辞めたのだが、あれが一番良いタイミング。あそこで辞めて良かった。それから調教師になって、大変恵まれたものだから、人生に悔いはないよ。歌もやったし、人のやらないことをやったし。
-:そういう意味では、戸崎さんも人のやらないことをやっていける可能性がたくさんある訳ですね。
圭太:まあ、そうですね。どんなことが巡り回ってくるか分からないですが。
増沢:君なんか真面目だから、これからそういうチャンスがナンボでもあるんだ。誰もほっといてくれないから、向こう(海外)でやってくればいいんじゃない?いや、そういうもんなんだよ。君は絶対に自分の力があるし、僕は自分の力ではなく、周りが良かったの。本当に周りが良かった。
-:もちろん先生ご自身の手腕もあったと思いますし、先生から見ても、戸崎さんはそれ以上の手腕があって、これからチャンスがあるということですね。
増沢:これからチャンスばっかりだよ。だから、そのチャンスをモノにしなきゃ。今いくつだっけ?
圭太:今年で35です。
増沢:僕がハイセイコー乗ったのは36だからな。それで、人生がバラ色になったのは40からだから、フフフ。まだまだこれからだよ。こうではなくて、(右肩上がりに)グーンだもん。だから、まだまだまだ。
圭太:そこから上がるのも素晴らしいですよね。それは、誰もが出来ることじゃないと思うので。
増沢:やっぱり仕事は面白くなるようにならないとダメだね。仕事が嫌だ、朝起きるのが嫌だなんてね。僕はしょっちゅう朝まで飲んだりしたが、仕事は仕事でしっかりとやって、遊びは遊び。それはわきまえていたな。
-:逆にその点、戸崎さんは極めて真面目なキャラクターで、それは今の時代にフィットしているというか、それで良いということですかね。
増沢:そうそう。昔の人間のように好き勝手やっているようじゃダメだよ。みんなに嫌われちゃうから。今のままで良いんだよ。
-:とにかく今のままで言うことなしと。
増沢:そうそう。言うことない。僕も中央に来た時からずっと見ているから。馬券を買って見ているからさ。あそこでもう少し行けば良いのに、なんて思っているよ。
圭太:ハハハ。ご迷惑をおかけしてすみません!
-:先生から戸崎騎手への太鼓判も押していただけました。昨年はリーディングを獲りましたし、今年の目標というか、今後の目標を改めて聞かせていただけますか?
圭太:リーディングというのも、続けて獲ることに意味があるかなと思いますので、その辺を目標にしながらやっていこうと思います。それに、たくさん良い馬も乗せていただいているので、昨年は1勝であったG1タイトルを、数多く勝っていきたいと思いますね。
-:大きい舞台での活躍も、ということですね。
増沢:え?そうか。去年は有馬記念を勝っただけ?
圭太:情けないことにそれだけなんです。
増沢:へえ~そうか。それは意外であったね。あれだけ乗ってるんだからな。やっぱりG1をもう少しね。今はG1が多いからな。
圭太:先生の頃、G1の数はどれくらいですか?
増沢:ダートはG1なんて一つもなかったもん。ハイセイコーでダートを乗ってみたかったな。だって、あの馬はダート馬だよ。ダートであったら絶対に負けないよ。あの馬には、サブちゃん(大井競馬の高橋三郎調教師、元騎手)なんか乗ってるから分かると思うが、まあ~、嫌な馬。
▲リーディングを獲りながら
昨年のG1勝ちは有馬記念のみだった戸崎騎手
圭太:そうなんですか(笑)?え~。
増沢:520キロもあって、グーンと首を伸ばして、首を使わないんだよ。ただ、グッとハミを頼って走るから、追ってでも合わせないとバラバラになっちゃうよ。馬に合わせていかないと。だから乗りにくいんだよ。ハミにぶら下がる馬というのは、全然乗っていても頼りない。あれはダートであったら相当走ったよ。だから、大井で何馬身も離すんだから。今のように中央でダートG1があったら、あの馬にはどんな馬でも敵わないよ。
調教をやっていても、1回目は良くとも、2回目はそこに来るとサッと帰るの。分かっているから。その前に止めないと。それで、歩かせるようにして来るとサッと入るんだよね。ダクなんかでシュッとやったら、ビューンと帰る。皐月賞の時は危なく外に持っていかれるところであった。グァーとやっと4コーナーで戻したんだわ。あんな乗りにくい馬は嫌であったからね。
圭太:ダートでの走りも観てみたかったですね。しかし、「嫌だ」なんて言っちゃっていいんですかね。ハハハ。
増沢:今だから言えるね。だから、1回サブちゃんに聞きたい。「お前、どうだった?」と。
圭太:僕も大井に行ったら聞いておきます!
増沢:「ハイセイコーって乗りやすい馬だったか」と聞いておいて。何と言っても乗りにくい馬だよ。
圭太:あんな歴史的な名馬なのに、面白いエピソードですね。
プロフィール
【増沢 末夫】Sueo Masuzawa
1937年10月20日生まれ、北海道出身。
中学卒業後に騎手を志し、'57年3月に鈴木勝太郎厩舎より騎手デビュー。'66年に日本ダービーを制し、重賞初勝利でダービージョッキーの 称号を獲得。以降は関東のトップジョッキーとして長きにわたって君臨し続けた。大井から移籍しアイドルホースとして親しまれたハイセイコーの主戦としても知られており、ハイセイコー引退に際して発売された『さらば、ハイセイコー』は45万枚を売り上げる異例の大ヒットを記録。
44歳で初の全国リーディング獲得、史上最年長(48歳7か月)でのダービー制覇、53歳で年間100勝、さらにその翌年にはJRA史上初 (当時)の通算2000勝達成と現役晩年にかけて数多くの記録を打ち立て、息の長い活躍から『鉄人』と呼ばれ親しまれた。
'92年に騎手を引退、翌年には調教師に転身し、2008年に惜しまれながらも定年引退。その後も競馬ラボをはじめ、他方面で競馬界に貢献を続けている。長男・真樹の嫁に元騎手の増沢(旧姓牧原)由貴子がいる。騎手としての通算成績は1万2780戦1719勝、調教師としての通算成績は3107戦272勝。
【戸崎 圭太】Keita Tosaki
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。
'99年に大井競馬の香取和孝厩舎所属としてデビュー。初騎乗初勝利を飾るなど、若手時代から存在感を放っていたが、'08年に306勝を上げて初めて地方全国リーディング獲得し、一気にブレイク。その後は地方競馬No.1ジョッキーとして君臨。また、徐々に中央競馬でのスポット参戦も増えいった。
'11年には地方競馬在籍の身ながらも、安田記念を制して初の中央G1勝ち。その名を全国に知らしめると、同年に中央移籍の意向を表明し、JRA騎手試験を受験。自身3度目となる受験で晴れて合格し、'13年3月から中央入りを果たした。
移籍初年度も年間113勝をマークすると、移籍2年目は146勝をマーク。ジェンティルドンナで有馬記念を制す、劇的な幕引きでリーディングを獲得した。