第三章「愛馬とあの騎手との秘話&ファンが求める競馬を」
2015/4/24(金)
愛馬ウエスタンメルシーと後藤浩輝騎手
-:タイムリーな話題では、オーナーのウエスタンメルシーに後藤さんが乗って勝たれましたが、この時最後にされた会話などは覚えていますか?
西川:ウエスタンメルシー(牝4、美浦・奥村武厩舎)は引退された松山(康久)先生と一緒にセールで馬を見ていたのです。「西川さん、何か買ってくれません?」という話から入って、先生に「残り馬で申し訳ないんだけど、やってくれない?」と言ったのがメルシーなの。誰も持っていかなかったのですよ。「この馬なんで持っていかないのですか?」と育成所から電話が掛かってきたのです。それで「すぐに入厩させますから」と。しかし、松山先生の引退まで、あと半年から1年くらいしかなかったわけ。それで、名前を何て付けようかなと思って、永い間ごくろうさんと。この馬は「最後だから、ありがとう」という意味でメルシーと付けたのです。
しかし、最初はソエが酷くてレースに使えなかったです。1回新馬(2013年7月)を下ろしたら着外で、次に使っても痛くて大敗。それでも「とにかく僕がやりますから」と、調教師自ら育成場に行って、松山流でやってくれたわけですよ。それで、1カ月したら入厩して、中舘君が乗って調教を付けて、どう?と聞いたら「新潟だったら勝てますから」と。そんな経緯で先生が「新潟の牝馬限定の1200mに行きます。それなら逃げ切っちゃいますから」と言って、本当に勝っちゃって。「先生ありがとう、本当にすごく嬉しいよ」と電話で話をして、今度は中舘君が調教師になると言うので、後藤浩輝君に騎乗を頼みました。
最初はスタートを切った時に行こうとするから、ガンとハミを持っていかれちゃうわけ。そこから「一番ケツまで下げて」というのが先生の指示だったのですね。そして「直線の坂下から追ってくれ。どこまで来るか見たいから」と。そうしたら春菜賞で7着まで来たの。結構見所がありましたよ。その後は東京の4週目に使って、また後藤君で2着に来たんです。勝ったサトノルパンにちょこっと負けて、他にも強い馬が一杯いたんですよ。その時に後藤君が「次はチャンスです。今日はちょっと抑え過ぎちゃったからハジけ過ぎて、それでピュッと差されちゃった。今度は大丈夫ですよ」と言ってくれたのです。
アネモネSの3着を挟んで、1400mの短いところに入ればチャンスがあると思っていたのですが、それで後藤君が落っこっちゃったわけ。大ケガをして乗れなくて、戸崎君が乗って勝って、「どうだった?」と言ったら「会長走りますよ。これは本当に良いですよ」と絶賛。その後、奥村先生(調教師)が一生懸命やっても結果が出ないので、放牧で牧場まで戻したら、蹄の中がボロボロで、血マメが一杯あって、それをとって、それで蹄がパンとして出てきて、3戦目にまた乗ったのが後藤君なの。
調教で乗って「何で勝てないのかな」と思ったらしいんだよね。「どう?」と聞いたら「中山の1600mの方が弾けるし、良い競馬をしますよ」と。それで、1000万で強い勝ち方をして、それで今度は「あの脚ならG3の牝特に行く」と言って登録したものの、除外。3カ月振りにこの間の競馬だったの。あれも1600万で結構強いメンバーでしたよ。それを勝って、後藤君も「ひょっとすると上でもひょっとしますよ」くらいのことを話してくれて、ありがとうとお礼を言ったのです。そうすると「ずっと乗せてくれますかね」と言うから、「何を言ってんだよ、君がつくってくれた馬だよ。騎乗してくれないと困るよ」と。「G1で乗る馬いるの?」と聞いたよ。あくる日、ヴィクトリアマイルに行きたいという希望を改めて伝えると「いや、僕が聞きたいですよ、僕で良いんですか?」と。それで、「絶対に乗ってよ」と言葉を交わして電話を切ったら次の日……。
▲後藤騎手最後の騎乗となった一週間 土曜東京でウエスタンメルシーで勝ち星を挙げた
-:メルシーは忘れ形見みたいなものですね。
西川:本当にそうですね。後藤君に対しても松山先生に対してもね。放牧に出しましたよ。後藤君が亡くなったので、もう気が抜けて、連戦は止めようと。(3月上旬に)牧場まで見に行っちゃった。メルシーを触って、後藤君が亡くなっちゃったよと。短期の放牧ですが、メルシーと一緒に慰めようと。メルシーの頭を撫でながら、脚を触りながら、きっと後藤君もお前のことを気にしているから「頼むぞ」と言って……。
安藤:数日前まで全然変わりなかった。オレも日曜日に京都に行って、ちょうど後藤が来ていたから、最終レースが終わってちょっとしゃべって「後藤、あんまり歩様がおかしな馬には乗るなよ」と。「はい」と言って、全然変わらなかったんだけどね。
-:ウエスタンメルシーは、この後もきっと大仕事をしますね。
西川:ええ、そうなってもらいたいです。競馬会に言ったんですよ。こういう大ジョッキーが亡くなったのだから競馬会葬にしましょうと。後藤君を偲ぶ会は盛り上げてあげたいですね。
-:次はどのレースを使うのですか?
西川:調教師との話では、福島最終週に福島牝馬S(G3)がありまして、そこを使ってG1に行こうと。ヴィクトリアマイルは、18頭の中には賞金で入れるらしいですよ。「そこを目標に馬をつくってね」と。勝った時は除外、除外で馬が苦しんでしまったのですよ。16頭中の16番枠で、後藤君も「外にもう1頭、馬が欲しいんです」と弱音を吐いたんですよ。「スタートを切って掛かっていくかも。その時は内に入れちゃいますね」と。ただ、本人はすごく自信を持っていたらしい。「前回と同じ脚ですよ」と言って上がってきたからね。ラップを見たら後半に12秒がないんですよ。上がりが33秒2で。
プロフィール
【西川 賢】Ken Nishikawa
1948年8月24日生まれ 東京都出身
東京都台東区出身。冠名はウエスタン、勝負服の柄は黄。芸能プロダクション「新栄プロダクション」代表取締役社長であり演歌歌手(芸名・山田太郎)。1968年に弱冠20歳(当時史上最年少)で馬主資格を取得。1975年に法人馬主である西川商事株式会社の代表に就任。1997年、再び個人馬主に戻る。現在は日本馬主協会連合会副会長、中山馬主協会会長、東日本馬主協議会会長を務めている。北海道日高郡新ひだか町に生産牧場ウエスタンファーム(旧有限会社北西牧場、2009年名称変更)を持ち、所有馬のほとんどを自家生産しているオーナーブリーダー。
プロフィール
【安藤 勝己】Katsumi Ando
1960年3月28日生まれ 愛知県出身
76年に笠松競馬でデビュー。78年に初のリーディングに輝き、東海地区のトップ騎手として君臨。笠松所属時代に通算3299勝を挙げ、03年3月に地方からJRAに移籍を果たす。同年3月30日にビリーヴで高松宮記念を勝ちG1初制覇して以降、9年連続でG1を制覇。JRA通算重賞81勝(うちG1・22勝)を含む1111勝を挙げ、史上初の地方・中央ダブル1000勝を達成。13年1月惜しまれつつ騎手人生に終止符を打った。「競馬の素晴らしさを伝える仕事をしたい」と述べており、さらなる競馬界への貢献が期待されている。