第1章 破格の実績を誇る隠れた名コンビ
2015/11/29(日)
-:本日はよろしくお願いします。こうやって戸田先生と安藤さんがお会いするのは久しぶりですか?
戸田博文調教師:競馬場ではよく会いますけどね。すれ違ったりして、いつも声を掛けてくれるので。
-:現役時代の戸田厩舎と安藤さんのコンビから振り返りたいのですけれど、2002年に初めて乗られて、そこから68戦騎乗しています。勝率が23.5%、連対率が32.4%、複勝率が44.1%とすごい成績を残されています。
戸:数は乗っていなかったけど、頼りになりましたね。
安藤勝己元騎手:いつも良い時に乗せてくれるという、良いイメージがあったね。
戸:ここ一番で頼れるというか、ここは安藤さんしかいないだろうというね。ただ、悲しいかな、関東と関西でなかなか上手く噛み合わなかったり、そこが大きかっんですね。今聞いて、その割には上手く乗ってもらっていたんだなと思って。ウチのスタッフなんかも、ここ一発の時は安藤さんに乗ってもらうとみんな喜ぶし、頼れる人でしたよね。
-:初めてお会いした時の印象など、お互いに覚えていたりしますか?
安:オレは覚えてないな。
戸:どっちかと言うと、乗ってもらったことよりも、安藤さんが大井の早田秀治さんと同期で仲が良かったですからね。僕も大井に知り合いの調教師とか一杯いるので、こちらが暇な時には大井によく顔を出したりとかしている仲で、早田秀治さんを紹介されて、食事をしたりと仲良くなって、いつも安藤さんの話を聞かされたりとか、その後は安藤さんも秀治さんも交えて、みんなでご飯を食べたり、お酒を飲んだりしたこともあるのですが、それ以前に安藤さんと秀治さんとは年中ね。
安:だからね、正直最初からしゃべりやすいというか、そういう秀治を通じた縁もあったから。
戸:秀治さんにも最初の頃は交流でちょくちょく乗ってもらったりしていたので。やっぱり古い競馬ファンだったら、早田秀治さんだって交流の重賞を勝ったりして、人気のあるジョッキーですからね。そんな縁で仲良くさせてもらっていて、安藤さんとも繋がって、という流れでよそよそしいというよりは何となく自然にそうなりましたね。
安:そういう部分で、最初から初めて会ったという印象がないからね。先生からも、すごく親しみやすくしゃべってくれたので、良い意味であんまり印象がないですね。自然に溶け込めるというか。
戸:何だかんだ言って、ウチはキストゥヘヴンですね。あの時(未勝利戦勝ち)はどうしてもそこを勝たせて、強行でもフラワーCに行きたいというのがあって、ここはもう安藤さんに一発頼むしかないと。新馬から東京のダートを含めて3回使ってダメだったのですが、そこから時間を計って、そこならギリギリ入るだろうと。中1週になるけど、勝てばフラワーCに間に合うなというので行くしかないと。その当時、エージェントをやられていた井上君に「重賞で騎乗があって、中山に来ないか?」と言ったら「来る」というので、「じゃあここはどうしても空けてくれ」と頼んで乗ってもらったのです。やっぱりあの勝ちがあるから、桜花賞も勝たせてもらったので。
あの時は今みたいに権利とかなかったと思うんですよね。もしかしてギリギリ入るか入らないかというのが、何だかんだ言って印象深い。そこでキッチリ勝ってくれたというのが。確かに桜花賞で勝ってもらった時もすごく嬉しかったですが、あの未勝利戦での勝ちはもっと忘れられないですね。そこがなかったら全てない訳ですから。
安藤勝己×戸田博文「名馬は一日にして成らず」(第2章)
「人馬ともに悲願の桜花賞制覇 キストゥへヴンの知られざる逸話」はコチラ⇒
【戸田 博文】Hirofumi Toda
1963年10月1日生まれ、茨城県出身。
美浦トレーニングセンター所属の調教師。
専修大学馬術部出身で、1991年に高木嘉夫厩舎の厩務員としてキャリアをスタート。同年11月より八木沢勝美厩舎の調教助手となり、1995年に大久保洋吉厩舎へ移籍。2000年に調教師免許を取得し、翌年6月に厩舎を開業する。
2002年、トーセンリリーがエーデルワイス賞を勝って重賞初制覇。2006年のフラワーCをキストゥヘヴンで制してJRA重賞初制覇、同馬で続く桜花賞も制してG1初制覇を挙げた。以降もコンスタントに勝利を積み重ね、2013、14年春の天皇賞をフェノーメノで連覇。シビルウォーがダート重賞を5勝、何度も休養を余儀なくされたシンゲンで重賞を3勝。11歳まで現役で活躍させるなど、高い手腕を発揮。11月8日のみやこSではロワジャルダンが重賞初勝利をマークし、更なる躍進が期待されている。
プロフィール
【安藤 勝己】Katsumi Ando
1960年3月28日生まれ 愛知県出身。
76年に笠松競馬でデビュー。78年に初のリーディングに輝き、東海地区のトップ騎手として君臨。笠松所属時代に通算3299勝を挙げ、03年3月に地方からJRAに移籍を果たす。同年3月30日にビリーヴで高松宮記念を勝ちG1初制覇して以降、9年連続でG1を制覇。JRA通算重賞81勝(うちG1・22勝)を含む1111勝を挙げ、史上初の地方・中央ダブル1000勝を達成。13年1月惜しまれつつ騎手人生に終止符を打った。「競馬の素晴らしさを伝える仕事をしたい」と述べており、さらなる競馬界への貢献が期待されている。