第1章:2年連続・日本一 2015年シーズンを振り返る
2016/2/7(日)
2年連続でリーディングジョッキー、MVJを獲得、つまりは「日本一」のジョッキーという称号を得た戸崎圭太騎手。同じく「2年連続で日本一」、日本シリーズを制した福岡ソフトバンクホークスの選手会長・松田宣浩選手。同世代・日本一、なおかつ熱き心を持った各界の盟主によるビッグ対談が実現!互いの業界に対する疑問、秘話、成功のキッカケなど、ここだけでしか明かされないエピソードを語っていただいた。
※松田選手が選手会長の任期は2014、2015年シーズン
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松田宣浩選手:よろしくお願いします。僕は野球というチームスポーツの中で、ソフトバンクホークスの一員として日本一になったということは嬉しく思っています。個人のことで言えば、まず、ケガをせずに全試合フルイニング出場出来たことが大きいですし、チームを優勝に導いたという自負もあるので、本当に良い1年だったと思いますね。
-:プロ野球選手にとっても、やはりケガをせずに出場し続けることは大事なのですか?
松田:そうですね。野球の世界には良い選手が一杯いるのですが、ケガをして戦列を離れ、その果てには現役を退いてしまう選手もたくさんいます。技術や素質も大事でしょうが、まずは体が丈夫なことが第一。とにかくグラウンドに立ち続けて、試合に出続けて、そしてチームの勝利に貢献することが一番大きいかなと思います。
-:とは言え、普段プロ野球選手を見慣れない競馬マスコミからすれば、松田選手はすごく体が大きくて立派に見えます。それでも、ケガが多かったと。
松田:ええ、僕は去年でプロ10年目だったのですが、骨折を5回しています。
戸崎圭太騎手:プロフィールを見ると、たくさんケガをされているみたいですね。
松田:たとえば肉離れのようなケガが1回もなくて、全て骨折なんですよ。デッドボールを受けたり、ベースにスライディングをして折れたり、そういう偶発的な骨折が多いですね。
圭太:骨折が良いという訳じゃないですが、肉離れのような怪我だと長くかかってしまいますよね。しかも、癖になったりしそうですし。それにしても、(骨折の回数が)多かったのでビックリしましたね。
松田:確かに「お前、5回も骨折した中でよく這い上がってきたな」と、よく言われますね。
-:スポーツをやらない一般の方で、なかなかそれだけの回数、骨折する方はいないですもんね。戸崎騎手はケガの経験もありますか?中央に来てからは大きな事故はありませんが。
圭太:僕は骨折を3回やっているんですよね。鎖骨2回と顔面と上腕骨。特に地方競馬時代にあった最初のケガは大きかったです。
松田:競馬もケガは付きものですよね。
圭太:そうですね。まあ、自分が気を付けていても、周りがやった時に煽りを受けてケガをしてしまう場合もあるので。
松田:そういう時は防ぎようがないのですか?
圭太:ええ。瞬時のアクシデントなので。もう拝むだけですね、ヘヘヘ(笑)。それしかないですよ。
-:最近、そういった目に遭われる機会は見受けられませんが、そのあたりは技術の向上など、危機察知能力などの経験もあってのものなのでしょうか?
圭太:いや、どうなんですかねぇ。そういうことも幾らか少しずつは体で覚えてきたりするところもあるのでしょうが、自分が乗っている、乗っていないに関わらず、馬が怪我をして、転倒してしまったら、どうにも防ぎようがない時があるので、本当に願うしかないですよね。
-:改めて、戸崎騎手は1年を振り返ってみて、いかがでしたか?
圭太:リーディングという形で終われたこと、それ自体は良かったと思いますが、運も良かったなというのもありましたね。いつも言っているのですが、もっともっと内容を濃くしていきたいです。
-:松田選手に戸崎騎手の紹介をすると、昨年と一昨年の日本で一番勝ったジョッキーです。最多勝なので、ジョッキーの中では最も名誉のある賞を獲ったということです。野球選手の首位打者とか、ホームラン王に相当するのかなと。
松田:すごいですね。野球で言うと、それどころじゃなくMVPなんじゃないですか。
圭太:騎手は個人でやっているのですが、それでもやはり1人じゃ出来ないことなので。馬がいたり、スタッフさんがいたり、オーナーがいたり、最も助けられて、支えられて達成出来ることです。野球だったらチームがありますからね。個人のタイトルはありますけど。
松田宣浩×戸崎圭太「日本一」の熱き男たち(第2章)
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プロフィール
【戸崎 圭太】Keita Tosaki
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。
'99年に大井競馬の香取和孝厩舎所属としてデビュー。初騎乗初勝利を飾るなど、若手時代から存在感を放っていたが、'08年に306勝を上げて初めて地方全国リーディング獲得し、一気にブレイク。その後は地方競馬No.1ジョッキーとして君臨。また、徐々に中央競馬でのスポット参戦も増えいった。
'11年には地方競馬在籍の身ながらも、安田記念を制して初の中央G1勝ち。その名を全国に知らしめると、同年に中央移籍の意向を表明し、JRA騎手試験を受験。自身3度目となる受験で晴れて合格し、'13年3月から中央入りを果たした。
移籍初年度も年間113勝をマークすると、移籍2年目は146勝をマークしリーディングを獲得。3年目のシーズンとなった今年も130勝をマークして2年連続のリーディングジョッキーとなった。
【松田 宣浩】Nobuhiro Matsuda
1983年5月17日生まれ、滋賀県出身。
亜細亜大学から'05年のドラフトにて希望入団枠制度により選択され、福岡ソフトバンクホークスに入団。ルーキーイヤーの'06年にいきなり開幕一軍入りを果たすと、チーム12年ぶりに新人野手として開幕戦にスタメンで出場した。'08年からは三塁手としてレギュラーに定着したが、翌年以降はシーズン中のケガに苦しむ事も多くあった。'12年には侍ジャパンこと、野球の日本代表にも選出される。'14年にはホークスの選手会長に就任、その年の日本シリーズではチームを日本一に導く適時打を放つ活躍を見せた。'15年はNPB史上3人目となるシーズン3本のサヨナラ本塁打を打つなど勝負強さを発揮。チームの日本一連覇に貢献する大活躍を見せた。
昨年の成績は打率.287、本塁打35本、打点94。本塁打は1位に2本差と迫るパ・リーグ2位の成績であった。