第2章:サトノダイヤモンドとの巡り合い 総ては運命だった
2016/11/17(木)
-:振り返って、サトノダイヤモンドとの出会いのお話を伺いたいと思います。セレクトセールで購入された訳ですが、仔馬時代のダイヤモンドのどの辺りに魅かれましたか?
里:セレクトセールの前に2度下見に行ったのですが、最初の頃から、“仔馬なのにこの馬はオーラがあるな”と。お父さんの方の池江(泰郎)先生と泰寿調教師も「当歳の中ではこの馬が“絶対”ですね」と勧められましたね。僕も見ていて“ああ、この馬は確かに仔馬なのに違うな”と。「じゃあ、この馬はどんなことがあっても手に入れたいね」という話になって。そうしたら、私の家内も一緒に見ていて、流星の形を見て「この仔を買ったら、名前はサトノダイヤモンドよね」ということを言っていまして(笑)。それで首尾よく買えて。晴れて、サトノダイヤモンドという名前になりましたね。
-:ちょっと生々しい話になるかもしれませんが、どれだけ競られても降りないぞという決意だった訳ですね。
里:まあ、そうですね。ある程度はね。この馬だけは特に欲しい、と思ったんですよ。
▲2013年のセレクトセールで落札されたサトノダイヤモンド
-:今までそこまで思わせた馬というのはいらっしゃいましたか?
里:う~ん、僕が他に思ったのは(サトノ)アラジン。あれもすごく良い馬だなと。その割に、まだG2しか獲っていないのですが……(苦笑)。
-:でも、先日のスワンSは見事なレースで、しかも、ルパンとワンツーですから。
里:あれも調教師から「次があるので、つくりは8割くらいにしています」という話だったので、“8割のつくりで大丈夫かな?”という思いがあったのですが(笑)。
-:アラジンも大外から脚の次元が違いました。もうマイルCSに王手が懸かったな、という内容でしたからね。ちょっと話は逸れてしまいましたが、そのアラジンと同じようなインスピレーションをダイヤモンドに感じたと。
里:そうですね。アラジンもその時はすごく良いなと。しかし、いま冷静にどっちだったのかと思うと、やっぱりダイヤモンドの方がすごい馬だったのではないのかな、という思いがありますよね。
-:続いて、馬主さんとしての里見さんのことをお伺いしたいのですが、最初に馬主さんを志したキッカケはどんな理由からでしたか?
里:キッカケというのが、ハッキリ言えば仕事絡みですね。これはサミーの時代なのですが、大阪駐在の担当している役員がおりまして、この男がすごく競馬が好きで、それで私に「社長、とにかく1頭でも良いから馬を買って下さい!」と言うのですよ。何故かと聞いてみれば「お客様に馬主さんがたくさんいるので、仕事の話をするのも、社長が持っていてくれればやりやすくなる」というようなこともあったのです。僕も当然、馬自体は嫌いじゃなかったので、「じゃあ、1頭くらい買うか」と言って買ったのがキッカケなんですよね。だから、もともと馬が好きで、好きで、好きで、いずれ馬が欲しいと思っていた訳ではなかったですね、“その頃は”ね。
-:そういう出会いでありながら、ここまで広く、そしてドンドン入り込んで行く辺りは、どんなところに魅力を感じたのですか?
里:最初の15年くらいは、本当にポツ、ポツとくらいしか勝てなくて、しかもそんなに良い血統じゃなかったですから。馬主登録が切れない程度と言いますか、だからその頃はそれほど競馬にイレ込んでいた訳じゃないね。あるキッカケがあって、自分でももうちょっと身を入れてやってみようかなという思いを持っていたところに、プロゴルファーの西川哲(現東京ホースレーシング代表)が、私の会社の所属に渡辺司というゴルファーがいて、青木(功)軍団の一員でそれの弟分で、そんなこともあってかわいがっていたというか、よく付き合っていて、その西川哲がものすごく競馬が大好きで、そういうのでたくさんの騎手とも親しいし、調教師とも親しくて「里見さん、もし本格的にやるのだったら、今NO.1の調教師の藤沢(和雄)先生を紹介します」と言われて、そこから本格的に始めたということなんですよね。
-:今の活躍馬だけでなはなく、オーナーとして軌道に乗りかけたくらいの時や、心強くさせてくれたという意味で、思い出に残る一頭というのはいますか?
里:やっぱり最初の馬、ミラクルサミーです。実際デビューするまで、その馬を見ていなかったんですよね。しかも、決して血統も良くなかったですからね。ところがこの馬がデビューから2着、3着、3着、3着、1着、1着と走ってくれました。関西の(ウイングアローなどを管理していた)工藤厩舎に預けていて、特に2勝目の時は「じゃあ、次は東京に持っていきます」と言って、持ってきてくれて。その時、私は持病の手術をしたばっかりで、まだ術後4日目だったのに、折角連れて来てくれるので観に行こうと。その時に(病院の)婦長さんから「里見さん、ダメだ」と言われたのですが(笑)、「いやいや、そのレースだけ観てすぐに帰ってくるから」と言って強引に行きました。そうしたら勝ってしまいまして。そんなことがあって、段々馬にのめり込み始めて。しかも、その馬が引退するまでに40戦(中央36戦、地方4戦)走って、30回くらい掲示板に載って、5勝して2着5回、3着8回くらいあって、けっこう稼いでくれまして。ビギナーズラックで最初に持ってそうだから、それで買っていったのですが、その後の馬はあんまりダメだったですけどね。だから、一番目のこの馬が全然ダメだったら、僕は今頃、馬主はやっていないと思うんですよね。
-:そういう意味では、ミラクルサミーの頑張りがその数十年後にサトノダイヤモンドと巡り合わせてくれたということなのですね。
里:ええ、そうですね。
-:個人的には、サトノプログレスという馬がすごく能力を秘めながらも、なかなか大成が出来なかったことは残念でした。すごく個人的には思い出に残っている一頭です。
里:ええ、そうですよね。僕は、実は出張していて、レースを観に行ってなかったんですよね。
-:ニュージーランドTですね。
里:そうです。ちょうど新幹線に乗っているところに電話が掛かってきて「勝った、勝った」と電話があって、逆に、僕はその時は勝てると思っていなくて、ビックリした覚えがあるのですが、行っていれば良かったなと思いましたね(笑)。
-:「試行錯誤」と言ったら失礼かもしれませんが、色々な経験や思い出、そういういったものを経て、大輪が咲いたということですよね。
里:そうですよね。だから、僕よりもあとに馬主になった方がG1を獲ったり、私はずっと今まで獲れなくて、“何か運が悪いのか……”と、思っていたのですけど。
-:その辺はちょっと、“いつかは見ていろよ”みたいな思いはありましたか?
里:それはありましたね。だから、最近だと例えばアラジンもどこかで馬に邪魔されてダメだったり、そういうアクシデントが続いて。去年のダービーも、私は実はクラウンが行けるんじゃないかと思っていたのですが、スタートした瞬間に出遅れてしまって、ツキがないという思いがあったのですが、ダイヤモンドもそうですよね。
里見治オーナー独占インタビュー(3P)
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