障害騎手として腕を上げるには…
2011/12/8(木)
今回の競馬ラボスペシャル対談は障害ジョッキー対談!勿論、競馬ラボの看板ジョッキーである高田潤騎手に、高田騎手を公私共に師と仰ぐ小坂忠士騎手。そして、障害重賞最多勝記録の保持者・白浜雄造騎手に集まっていただき、フリートーク形式で障害レースについて、語りつくしていただきました。 一つの質問で会話も二転三転?大いに盛り上がり過ぎて、掲載しきれない部分はあったものの、現在の障害界を牽引する三騎手によるトークバトル?をご堪能ください!
-:対談前から既に話が盛り上がっている感もありますが……(笑)、まずはお互いを紹介していただきたいと思います。
高:コサチュウ(小坂騎手の愛称)は俺の二個下だよね?
小:そうです。(競馬)学校でかぶっていましたよ。よく、風呂場でいじめられました。
高:ウソやん!俺は後輩には優しいよ。
小:最悪でしたよ!先輩として。
白:俺は潤の一個上だけれど、潤の時からは……、ハッハッハ。
高:まっまっ、それなりの縦社会で。
-:で?
白:いや、全然ですよ。超いい人達ですよ。僕ら世代は。
高:競馬学校って、縦社会なんです。
小:今は知らないですけれど、僕らの一個下くらいまではそうだったはずですよ。先輩が絶対みたいな。
白:あ~、キツかったな。
小:今だったら怒った方が怒られたりするみたいですから。
白:俺らは“天使の14期”って言われていたよね?
高:うん(苦笑)。
-:そうなんですか?
白:いや、それはわからない(笑)。
高:でも、14期生って、競馬学校一期生から今に至るまで……。(白浜騎手に向かって)何言うか、わかったやろ?
白:わかりました。入学したままの形で誰も辞めることなく、卒業したんですよ。
小:え?うちらもそうですよ。
白:お前、何期じゃ(笑)?
小:17期生です。留年した人が降りてきたことはありましたけれど、10人で入学して10人で卒業しました。
白:じゃあ、合格だな。
小:当時、そのまま卒業できたのは14期だけと言われていました。
白:あ~、川島(信二騎手)とか、ナンちゃん(難波剛健騎手)なんだ。いいチームなんや。
小:明日、同期会みたいのもあるくらいですから。
高:いや、でも仲が悪いじゃないけれど、同期ってあんまりね。
白:たしかに潤のところはそんなに接点がなさそうやね。
高:仲良くなるのは一個上とか、二個上とかね。
-:でも、どの社会においても、割とそうですよね。
高:例えば、芸人のコンビの方も仲が悪いわけじゃなくても、プライベートは一緒にいなかったりするものじゃないですか。
白:わかるわかる。俺らは仲いいけれどね。
-:だから、皆さんは多少ずれている分、仲がイイということですね。
高:そうそう。
小:僕らは逆に上の人との接点が全然ないです。だから、一個上の人達とかは接点が持てなくて、ジョッキーになってからも話すことがなかったんですよ。だから、下の方がよく食事に行ったりしますね。
-:例えば、どなたと?
小:柴原(央明騎手)とかですね。
高:お前、他には誰と仲がいいの?オレ?
白:潤とか仲は良さそうやな。
高:わりかし、二週間に一回は飯に行っているよな。
小:誘って断られることがないと思っているらしく、誘われるみたいなんです。
-:以前も「コサチュウは年中暇やからなあ」と仰っていましたね。
高:そうそう。
-:だいぶ脱線しましたけれど、具体的にどんな人というのは…(笑)。
三人:あ~(笑)。
高:デビューした年って、同期以外は友達がいないもので、居場所がないような感じなんですよ。調整ルームでも、あんまりやることがなくて、行き場がない感じで。
白:あるなあ。先輩の輪に行けば、なんてことはなかったりはするんだけれど。
高:その中でも一個上は競馬学校も一緒に過ごしていて、行き場がない者にとっては、同期と同じで身近な存在なんですよ。だから、雄造君は一緒にゲームやったりしましたね。あとは太宰啓ちゃん(太宰啓介騎手)の部屋に集合したりね。
白:ま、質問には一切答えてないけれどな(笑)。
-:確かに(笑)。

高:僕は二年目から障害レースに乗りだしたんですけれど、その時には雄造君は重賞も勝っていて、わからんことも聞きやすいですし、そういうのもあって、身近で頼もしい存在であったんです。
白:僕、二年目で重賞を勝てたので、いい馬が沢山集まってきたんですよ。
高:「なんでこんな勝てるんだろ」と思ったら、聞きやすいというか、盗みやすいんですよね。障害ジョッキーって、各々、考え方が全然違うんですよ。なので、それぞれ沢山勝つ人はいても、みんな考え方が違うので、障害レースのポイントを聞いたり。二年目で障害レースを勝つって、なかなか出来ないことなんでね。
白:(得意げに)そうだなあ~。いいよ~いいよ~。
高:雄造君は、障害は一年目から乗っていた?
白:乗っていたね。でも、僕は運が良かっただけなんですよ。
高:ま、二年遅れで乗ったわけですけれど、大きく言ってしまえば同世代で。一緒に障害界を引っ張ってきたというのはありますね。
白:障害レースって、メジャーじゃないでしょ?でも、潤がこうやって、こういう会を開いたり、メディアに広めてくれるのはありがたいですね。だから、もっとジャンプレースを知ってもらえたら、面白いのかとは思います。実際、土曜日の11時30分にやっても、それから競馬場に来る人は山ほどいるだろうし、競馬をやっていても、障害を知らない人はいるだろうけれども。でも、知ってもらって、「ダメだね」と失格の烙印を押されるならまだしも、知られないと言うのはね……。こうして、メディアに取り上げてもらうことって、凄くいい事だと思うので。だから、今日は感謝しています(笑)。
それと、僕からすれば潤は頭が良いな。レースでけっこう考えるでしょ?
高:いや、考えない。レース前は考えるけれどね。
小:レース中は考えます?
高:レース中はどうだろう……。
白:俺は考えないようになったね。
小:「なった」んですか?変わったんですか?
白:変わったねえ。
高:その、考えた方が良いのか悪いのかはわからない。
白:そうそう。その時の決断やと思うんです。何が正解かはわからないですけれど、自然に任せているんです。だから、ダメな時もあるんですけれど。
高:で、コサチュウのイメージはコイツはねえ、俺は昔からよく喋るけれど、障害乗った時、めっちゃ下手で、乗ったら落ちて、乗ったら宙づり、みたいなばかりだったんですけれど。
小:あ~、宙づりが多かった。
高:空中分解が多くて、ダメだったんだけれど、こう見えて熱心だったんですよ。僕も後輩は一杯出来ましたけれど、コイツが一番聞いてくるんです。というより、コイツしか聞いて来ない(笑)。
白:それ、俺にも言っていたな。「小坂は聞いてくる」って。俺には聞きに来たことはないけれどな(笑)。
小:違うんスよ~。
白:まっ、それは聞きやすい人があるからね。
小:で、白浜さんはめっちゃ乗っているじゃないですか。あと、けっこう上の人というのもあったし(笑)。
高:で、俺が障害レースに乗っていなくても、コサチュウは時間が空いた時に「これ、俺のレース観て下さい」って聞きに来るんです。
白:それ、障害やる子でそういう子は絶対いいわ。中村君(将之騎手)もそう。あいつは絶対聞いてきたもん。
高:アイツもそうやね。で、そのレースに乗ってないのでわからないですけれど、時間も過ぎているのにパトロール室に入って「もう一回、4レース(の映像)付けて下さい!」みたいな。僕が特別凄いわけでもないですけれど、僕の言える範囲で、自分が出来る出来ない別にして、勝ち負けのポイントとか思ったことを聞いてくるんですよ。コサチュウは。それで次に乗った時に、そこを必ず修正してくるんです。それで、ドヤ顔で「ちょっと観てくれ。どうやった?」「こうこう考えて乗りました」と言ってきて、「お前、やるやんけ」みたいのもありましたし。
小:そうですね(笑)。
高:障害レースの基本って、馬に負担をかけない事じゃないですか?ちょっとつまずいただけで、コロッと落ちるのは無駄があるわけで、最低限、そういうのはなくさないと、障害レースでは勝てないですから、基本的なところは伝えましたね。
小:今でも無事完走が第一ですからね。
白:小坂がどう乗ろうか努力したのが大事なんだよね。
高:それで、コイツは落ちても怪我しないんです。落ち方がいいのかもしれないけれど。
小:運です!
高:運もあるかもわからんけれど。だから、次に繋げられるみたいな。ほんまに馬のクビに乗ったりね。
-:“クビに乗る“?

小:とりあえず馬にしがみついたり。だから、気が付いたら、空中分解して、しがみついたりしていたんでしょうね。
白:やっぱり、ロスですよね。その何完歩かは。
高:コイツは1~2年で、みるみると成長したからね。だから、今では障害界のトップのポジションにいるわけですから。ま、JGⅠ勝ってへんけれどな。今ではそういうポジションには入れているし、僕にも今では「あそこはアカン」とか、ダメ出ししてくるくらいですから。
白:へ~。
小:でも、僕の師匠ですから。
高:そんだけ、熱心だからこそ、結果を出せるんだと思いますし、障害レースは最初、誰も教えてくれないですからね。
白:そうだね。皆、調教のやり方一つにしたって、それぞれのやり方でやっていますね。
高:正解がないんでね。
小:減量時代から障害に乗っていて、良かったと思いましたね~。
白:歳いってから乗るとなると、怖くて乗れない人も多いですからね。乗りに行く人は相当な覚悟を持ってやっている人ばかりですよ。若い子でも。
小:減量がなくなると、走る馬が回って来ないですから。だから、余計に悪循環でどう回ってくればいいのか、競馬がわからなくなるんですよ。だから、障害に活路を見出したんです。
高:障害って、僕らもそうですけれど、馬が教えてくれる部分が大きいんですよね。本当に強い馬に乗って、得る事が多いので、如何に強い馬に乗るか?
というのがやっぱり、成績にも出てきますし、自分の技術的な部分も変わってくると思うんですよね。
白:僕らの仕事って、「強い馬に乗ること」って言ってもいいくらいだよね?
高:うんうん。
小:で、大きいレースに乗った時に、どういうレース運びをしているかですよね。自分の馬がそんな馬ではなくても、勝つべき人はそういう進路の取り方をして、乗っているんですよ。もし、負けたとしても、そういう風に乗ろうとなりますね。
白:「そりゃ、勝てないな」ってのも、あるよね。
小:逆に「そういう乗り方をすれば、そりゃ勝てる」というのもあるし、馬の出来さえ良ければ、これは勝てるという人もいますからね。未だに僕は中山がわからないですよ。成績を残している人の進路のとり方をみていれば、そういう乗り方はしている気がしますが。
高:中山はホンマに難しいな。そういえば、この前、サクセスブロッケンに乗ったんすよ。
白:あ~、藤原先生に言ったら「また、乗っといてくれや」なんて言われたけれど、「イヤイヤイヤ」なんて話をしていて。
小:どこにいるんですか?
高:東京競馬場の乗馬苑。
白:潤が東京に行く時に前乗りで行くって言うから、「ちょっと待った、俺も行ってみたい」となって。潤は巧く乗っていたな~。
高:コレ、サクセスブロッケンの写真です(携帯電話の写真をみせる)。

白:一回、引退する前に障害にも乗ってほしかったね。リスクは高いけれど。
高:この障害、1m10cmくらいあるからね。下見えてないけれど、けっこうデカかったよね。
白:デカかった。連続障害だったし。
-:サクセスブロッケンはいきなり飛べるものなんですか?
高:いや、ブロッケンは調教されているんです。されているけれど、誘導馬としてはまだ、ターフに連れていくと、現役当時の闘争心が出てしまうようで。6歳だということもあるし。だから、何度か連れていって、馴らしていくみたいです。
白:潤は巧く乗っていたよな~。俺は今日履いてきたようなブーツを履いていたし、恥ずかしかったもん。めちゃくちゃ乗り辛かったですよ。
プロフィール

高田 潤
(Jun Takada)
1980年11月3日生まれ、大阪府出身。
1999年に騎手免許を取得すると、同年6月12日エアウィンスレット号で初勝利。2006年にドリームパスポート号で神戸新聞杯を制し、2008年中山大障害ではキングジョイ号で悲願のJGI制覇を果たした。
09年11月20日に師である松田博資調教師の元を離れ、フリーに転向。自ら厳しい道を選び、更なる活躍が期待される。
一方で、その明るい人柄から競馬界の内外を問わず交友関係は多彩。関ジャニ8のメンバーや、サッカーの松井大輔選手らとの親交も深い。

白浜 雄造
(Yuuzou Shirahama)
1979年9月25日生まれ、長崎県出身。
1998年に騎手デビュー。同期には池添謙一、太宰啓介、酒井学、中谷雄太騎手ら。初年度から障害レースにも騎乗していたが、デビュー2年目・1999年の東京ハイジャンプをレガシーロックで制し障害重賞初勝利をマーク。
いち早く重賞を制したこともあり、その後は障害レースに重きを置き始めると、05年にはテイエムドラゴンで中山大障害を制覇。障害JG1初勝利をマーク。
07年には嘉堂信雄騎手が持つ障害重賞最多勝利記録を更新。若くして、障害界の第一人者としての活躍を続けている。なお、海外での研修を積極的に経験。ニュージーランドでは厩務員として従事、フランスでは障害レースで勝ち鞍を挙げたことも知られている。

小坂 忠士
(Tadashi Kosaka)
1983年2月7日生まれ、兵庫県出身。
2001年に境直行厩舎所属で騎手デビュー。同期には川島信二、大庭和弥、難波剛健騎手ら。
デビュー2年目に平地で19勝を挙げるなど、現在でも平地・障害、どちらにも騎乗。03年に阪神スプリングジャンプをカネトシガバナーで制し、障害重賞初勝利をマーク。
また、史上初の障害重賞8勝を挙げた障害の名牝・コウエイトライの主戦ジョッキーとして活躍。うち7勝を小坂騎手自身の手で挙げている(残る1勝は高田騎手によるもの)。現在はダートのオープンクラスで活躍しているシャアとのコンビも印象深い。