2016年の阪神JSでJRA史上初の同一重賞7年連連対記録などJUMPレースの顔として活躍する高田潤騎手。 そして、ファンサービスの積極性は競馬界一とも噂される熱き男の生の声をお届けします!
フランス遠征を終えて(その4)
2015/6/12(金)
毎日の雨で調教用カッパの撥水力が限界にきている高田潤です(笑)
カッパを着ているとめちゃくちゃ汗をかくんで、どっちにしろビショビショになります ;^_^A
それでは、前回の続きをどうぞ!
(続き)
いよいよ、オートゥイユの初パドックとなったわけですが、
オートゥイユのパドックは日本のG1レースの時と同じで、パドックの中央にオーナーや関係者が入ります。
ジョッキーのパドック整列はなく、時間がきたらぞろぞろと集まってきます。ですので僕は、少しでも長くパドックを堪能しようと思い、どのジョッキーよりも早くパドックに行きました(笑)
パドックには大勢の関係者の皆さんがいましたので、まずガロリニ先生を探しました(^^;;
大勢の関係者の中をかき分け、ようやく見つけてレースでの指示を最終確認したんですが、、、
ガチガチに緊張している僕をみてガロリニ先生は、『このレースは、君の騎手人生において単なる1レースにしかすぎないんだよ!だから何も緊張することはないよ、楽しんでおいで!!リラックス♪リラックス♪』
本当にありがたいお言葉でした(T ^ T)??
ぶっちゃけ緊張するなという方が無理な状況だったんですが、なんだかフゥ~っと肩の力が抜けたような気がしました(^.^)
そうこう話をしていると、なんと!!
フランスの競馬会の方々が、日本から来た僕をターフビジョンで紹介して下さいました!!
そして!そして!日本では100%ありえないパドックインタビューまでして下さいました(T ^ T)!!
ここまでして下さるフランス競馬会の方々に本当に感激しました(T ^ T)!!
そんな中、ぞろぞろと各馬がパドックに入場してきました!
オートゥイユのパドックでは、番号順に馬が入場するのではなく、馬が来た順にジョッキーが跨っていくという感じです。
大勢の関係者に加え20頭も頭数がいて自分の馬を探すのも大変だったんですが、
僕が騎乗するロスカボスは最後の方に入場してきましたので、僕が跨ったときにはほとんどの馬がパドックから出ていっていました(^^;;
いざ、ロスカボスに跨り、返し馬へ!!
フランスの障害レースでは大半の馬が返し馬で本馬場には出ず、コース外に設置された障害を1つ飛ばします!
返し馬のVTRでは各馬の飛越が流れ、お客さんはそのVTRを見ながら、「あの馬いい飛びするな~とか、あの馬あまり上手くないな~」と馬券の参考にすることができます(^.^)
僕もみんなについていき、一緒に飛ばしました!!
ロスカボスは、毎日調教で乗っていた馬だったんですが、やはりレースに来るとガラリと雰囲気が変わり、普段よりも集中力が増して、飛びがシャープに感じました。
そして!!そして!!
この何気ない返し馬こそが、レースにおいて重要な役割を果たしているのです!!
もうこの返し馬からレースが始まっているといって過言ではありません!!
フランスの障害レースは、スタートが日本みたいなゲートではなく、バリアーという方式でスタートが行われます!
日本の競馬ファンの皆さんには馴染みがないかもしれませんが、バリアースタートというのは、スタート地点に1本のゴムが張られていて、そのゴムが離れたら一斉にスタートするという方式です。
ですので、スタートのタイミングが難しく、みんなかたまっては行くんですが、20頭立てともなると先頭と一番後ろでは何馬身も変わってきます。
スタート前の集団の前にいるとか、内にいる外にいるとかでポジションが大きく変わってしまいます。
そのスタートにはルールがありまして、返し馬が終わって本馬場に入ってくるときには馬を歩かせなければならないとか、スタート付近で小走りになって追い抜いたりポジションを変えてはいけないなど、細かく決められています。
ですので、本馬場に入ってからは、隊列を乱せません。
これが僕のレースでのスタート前の写真です!
もうわかりますよね?
そうなんです!返し馬が終わって本馬場に入るまでに、大まかなスタートポジションが決まってしまうんです!!
僕もそれまでのレースを見たり、前半のレースでスタート地点に連れていって貰ったりといろいろ試行錯誤してはいたんですが、
見た目では全然わからず、ジョッキーもそんなに何もしているようには見えなかったんですが、やはり実際のレースで馬に跨ってみて初めて、返し馬でのポジション争いが見た目以上にしれつなことに気づきました。。
どうなる!?人生初のバリアースタート!!
(続く)
プロフィール
高田 潤 - Jun Takada
1980年11月3日生まれ、大阪府出身。
1999年に松田博資厩舎所属から騎手デビュー。デビュー当初から、平地・障害の垣根を越えた活躍を続けると、2006年にはドリームパスポートで神戸新聞杯を制覇。これが平地重賞初勝利となった。
一方、2008年にはキングジョイとのコンビで中山大障害を制し、キャリア初のJG1勝ち。2013年には待望の障害リーディングに輝いた。
また、2009年には師匠である松田博資師の元を離れ、フリーに転向。2012年にも生涯の伴侶を得るなど、公私ともに充実期を迎え、障害競走の次代を担う存在として更なる活躍が期待される。