2016年の阪神JSでJRA史上初の同一重賞7年連連対記録などJUMPレースの顔として活躍する高田潤騎手。 そして、ファンサービスの積極性は競馬界一とも噂される熱き男の生の声をお届けします!
落馬…そして、勝利。
2017/11/24(金)
めっぽう寒さに弱い高田潤です…(T-T)
いや~、今週の水曜日は寒かったです。。
11月半ばにして0℃を記録していました。。
寒いのはホントに嫌ですね。。
先週の福島では、ジャンプレースで落馬…
そして次のレースで勝利…と、複雑な結果となってしまいました。
まず、日曜日の第4レースで騎乗したニホンピロボーラーですが、この馬は激しい気性を秘めている馬ですが、この日はパドックから返し馬、ゲートインまでは凄く落ち着いていました。
ゲート内で今日は大丈夫だなと思っていたその瞬間。。
他の馬がゲート内で暴れ、前扉の下からくぐって出てしまいました。
急遽、スタートは取り止められ、一旦全馬ゲートから出されました。
すると、それまで大人しくしていたニホンピロボーラーは一度ゲートを出されたことにより激しくイレ込んでしまい、そこからは全く操縦が効かなくなってしまいました。
中断の時間は5分以上あったのですが、落ち着きを取り戻すことはありませんでした。
案の定、ゲートが開いてからは鞍上の言うことを全く聞かず、全速で1つ目の障害に向かっていきました…
制御が出来ないまま当然まともに踏み切れるはずもなく、飛越ミス。。
着地でバランスを崩し、僕は放り投げられるカタチで落馬寸前に。。
あぶみも両方外れていたので、腕の力だけで馬の首に掴まり、そこから鞍に右足をかけ立て直そうとしたんですが、結局レース中のスピードでは馬上に戻ることが出来ませんでした。
その時点ではまだ馬群にいた為、後続の事故も考え、コーナーを利用して馬群から外れたところで手綱を離しました…
この落馬については、スポーツ紙面やネット記事など、いろいろなところで称賛して頂きましたが、
自分の中では、やっぱり騎手である以上、人気を集めている馬で落馬をしてしまい、関係者の皆さまや馬券を買って応援して下さった方々に申し訳ないという気持ちです…
幸い、他の馬を巻き込むこともなく、人馬共に怪我もありませんでしたので、それだけが救いです。本当に大きな事故にならなくて良かったです。
そして、落馬をした後のことですが、
これは公表されることはありませんので、皆さんは知ることが出来ない部分ですので、書かせていただきます。
落馬をして一度救急車で運ばれますと、そのまま救護室に行きます。
そこでドクターの診察を受けます。
今回の僕の場合は、落ちた時に僕の足が馬の前脚と接触していた為、救護室で膝のレントゲンを2枚撮りました。
僕は、すぐ次の第5レースに騎乗していた為、ドクターは、早く診断&騎乗許可を出さなけれいけない状況の中、本当にスピーディーかつ丁寧に対応、処置をしていただきました。
もし、次のレースで僕に何かあった場合は、騎乗許可を出したドクターの責任にもなりますので、慎重な見極めも要求されます。
病院が休みの中、開催に合わせてわざわざ競馬場に常駐して下さっているドクターは競馬開催を支えている最大の裏方さんの1人だと思います。
本当にありがたいことです。。
ですので、僕がバタバタと慌てて騎乗した次の第5レースでは、ドクターも凄く心配して見つめていてくれたことだと思います。
その第5レースで僕が騎乗したエアカーディナルも、そういう心配も感じとってくれたのか、素晴らしい走りで1着でゴール板を駆け抜けてくれました。
ただの未勝利戦のレースではありますが、競馬ファンのみなさんやドクター、関係者、その他まわりの心配を一蹴する走り、勝利に、なんか乗っていて本当に感動してしまいました。
こういうことはあまり表に出ませんので、休みを返上して、僕たちジョッキーを守って下さるドクターや看護師さんがいることも知っておいて下さるとありがたいです。
プロフィール
高田 潤 - Jun Takada
1980年11月3日生まれ、大阪府出身。
1999年に松田博資厩舎所属から騎手デビュー。デビュー当初から、平地・障害の垣根を越えた活躍を続けると、2006年にはドリームパスポートで神戸新聞杯を制覇。これが平地重賞初勝利となった。
一方、2008年にはキングジョイとのコンビで中山大障害を制し、キャリア初のJG1勝ち。2013年には待望の障害リーディングに輝いた。
また、2009年には師匠である松田博資師の元を離れ、フリーに転向。2012年にも生涯の伴侶を得るなど、公私ともに充実期を迎え、障害競走の次代を担う存在として更なる活躍が期待される。