2016年の阪神JSでJRA史上初の同一重賞7年連連対記録などJUMPレースの顔として活躍する高田潤騎手。 そして、ファンサービスの積極性は競馬界一とも噂される熱き男の生の声をお届けします!
退院します!騎手を続ける理由
2023/10/20(金)
高田潤です!!
ついに退院日が決まりました(T ^ T)!!
来週の水曜日(25日)に退院します!!
去年の12月3日に中山競馬場で落馬をしてから、約11ヶ月。。
本当に長かったです…
そして辛かったです…
正直、何度もメンタルが崩壊しそうになりました…
頸椎の大手術をして下さったドクター始め医療関係の方々、毎日リハビリをして下さった理学療法士の方々、たくさんの励ましを下さったファンの方々、競馬関係者の方々、知人、友人、家族、本当にたくさんの方々に支えていただきました。
絶対に1人では乗り越えられなかったです。
当然、もうジョッキーを辞めるという選択肢もありました。
頸椎に入ったボルトは恐らくもう抜くことはありません。ボルトを入れる手術よりも抜く方が非常に難しくリスクも伴うためです。
頸椎にボルトが入ったまま、また同じ怪我をしてしまうと、、、今度はもう助からない可能性が高いという医師からの説明も受けました。
そもそも助かったこと自体が奇跡ですので、充分に理解しています。
それでもまだジョッキーを続けるという選択をしました。
入院中、本当にいろいろなことを考えました。
いろんなことを考えいく中で、自分はどうしてジョッキーを目指したのか? どういう気持ちでジョッキーを目指していたのか?
中学生の自分を思い出しました。
ジョッキーに憧れて、毎日夜中までがむしゃらにトレーニングをして努力をしていたころの自分を思い出しました。
当時は全国からの競馬学校の受験者数が700名を越えていた時代で、そのなかの合格者10名に選ばれました。
努力して努力して努力して、つかみ獲った競馬学校の狭き門。
そんなことを思い出しながら、そのときどんな気持ちだったかなぁ…G1ジョッキーになることを夢に描いてたよなぁとかいろいろな思いが込み上げてきました。。
同級生が高校生活を楽しそうにしているときに、僕は1人で地元の大阪を離れ、丸坊主で週に一回数時間の外出しか許されない競馬学校の塀の中で3年間を過ごしました。
中学生時代は学科も運動も常にトップの成績でしたが、そんな人ばっかりが集まってくる競馬学校では入学当初からずっと実技は最下位の成績でした。
何をやっても出来た小中学生時代から全く180°違う成績となってしまい、精神的にかなりキツかったことを今でも覚えています。
競馬学校はそれほど難易度の高いカリキュラムとなっています。
そのため毎年、つらくてついていけなくて学校を退学してしまうという生徒がたくさんいます。
僕も恐らくそっち寄りの人間だったと思います。
それでも僕たち15期生の担当教官の先生方は、「絶対に意地でもお前らを騎手にしてやるからな!」と僕みたいな足を引っ張る生徒も見捨てずに、教官の勤務時間外である自主トレのときでも毎日来てくださってビッシビッシと指導してくださいました。
今思うと、あのときは教官の先生方もほとんどプライベートな時間はなかったんじゃないかなと思います…
それくらい朝から晩まで毎日つきっきりで指導して下さいました。
そのおかげで、ポンコツだった僕もなんとかジョッキーになることができました!!
15期生の担当教官の先生方には本当に感謝しています!!
そうやってジョッキー高田潤は誕生しました。
初心ってどんなことを考えていたかなぁーって思ったときに、仕事は辛かったけど毎日楽しかったなーっていう記憶が甦りました!!
昔から今まで何も変わっていないことは「とにかく馬が好き」っていうところですね。これは誰にも負けない自信があります!!
よくホースマンという言葉を聞くことがあると思いますが、ホースマンの定義って皆さんなにかわかりますか??
わからないですよね??
僕もよくわからないです…(^^;;
定義はよくわからないですが、僕が思うホースマンっていうのは、やっぱり馬のことを一番に考えてあげられる人のことだと思います。
馬は僕たちの先生であり相棒でもあるわけで、馬の気持ちがわかってあげられないのはホースマンではありませんね。
例えばコントロールが難しい馬や、暴れる馬、立ち上がる馬、いうことを全く聞かない馬、これは全て馬が悪いのではなくて、全て喋ることが出来ない馬からのメッセージなわけです。
こういう馬に対してどういった対応をするかでホースマンかどうかが問われるかと思います。
ここでただやみくもに馬を怒るだけなのか?それとも原因を追求して馬の気持ちになって対策を考えるのか?
こういう場合に非常に技術が試されると思います。
そんなこといろいろ考え出したら本当に止まらなくなって何度も寝不足になりました(^_^;)
頸椎が治っていても首の筋肉は硬くなって痛いし、ところどころシビれもあるし、元のカラダに戻ることは無いと思いますが、これからが本当の自分との戦いだと思っています。
それでもやっぱり馬が好きなので、この先あと何年カラダが動くかわかりませんが、カラダが動く限りはいけるところまではいきたいです。
怪我が怖かったらジョッキーなんて仕事はできませんので、怖くなったらそのときは辞めます。
ジョッキー生活でいうと、そこまでもう長くはないと思っていますので、この限られた時間のなかで、もう一度初心を思い出し、馬に寄り添い、馬の気持ちを考えながら一頭一頭としっかりと向き合っていきたいなと思っています。
休んでいる間、競馬をみてても、やっぱりジョッキーってカッコいいですね!!
自分が憧れていた、追い続けた職業。
こんなやりがいのあるカッコいい職業をできる喜びを感じながら、レースはまだ先になりますが、記録よりも記憶に残るような良い騎乗ができるように努力していきたいと思います。
プロフィール
高田 潤 - Jun Takada
1980年11月3日生まれ、大阪府出身。
1999年に松田博資厩舎所属から騎手デビュー。デビュー当初から、平地・障害の垣根を越えた活躍を続けると、2006年にはドリームパスポートで神戸新聞杯を制覇。これが平地重賞初勝利となった。
一方、2008年にはキングジョイとのコンビで中山大障害を制し、キャリア初のJG1勝ち。2013年には待望の障害リーディングに輝いた。
また、2009年には師匠である松田博資師の元を離れ、フリーに転向。2012年にも生涯の伴侶を得るなど、公私ともに充実期を迎え、障害競走の次代を担う存在として更なる活躍が期待される。