2016年の阪神JSでJRA史上初の同一重賞7年連連対記録などJUMPレースの顔として活躍する高田潤騎手。 そして、ファンサービスの積極性は競馬界一とも噂される熱き男の生の声をお届けします!
横山典弘Jのカッコいい話。
2024/5/31(金)
高田潤です!!
先週の日本ダービー、最年長記録を更新し見事な手綱捌きで優勝したノリさん、本当にカッコよかったですね!!
優勝したダノンデサイル号の関係者の皆さま、本当におめでとうございました!!
さっそく今週、ノリさんにいろいろと話を聞かせてもらったんですが、ダノンデサイルが皐月賞のスタート直前に出走を取り消した(競走除外)経緯も教えてもらいました。
皐月賞のときは、パドックで跨った時点では馬に異変はなく、そのまま芝コースへ出て返し馬をしたそうですが、その時も特に異変はなくいつも通りの歩様だったそうです。
しかし、無事に返し馬を終え、輪乗りでゆっくりと歩かせてからスタート地点へ向かうときに、微かな歩様の違和感を感じたそうです。
ほんとに僅かな違和感であった為、このまま出走するべきか、止めるべきか、選択を迫られましたが、スタート直前ではありましたが、止める決断をしました。
栗東から中山まで来て、皐月賞というG1の大舞台に登り詰めながら、スタート直前に取り止めて栗東に帰ってきたダノンデサイル。
そして、その決断をした横山典弘ジョッキー。
この時点で僅かな異変しかなかったダノンデサイルですが、栗東に帰ってきてから症状が一変、、、蹄の繋ぎ目辺りに、歩けないほどの痛みが出たそうです…
このまま皐月賞で走らせていたら、取り返しのつかない程の負傷を負っていた可能性もあります。
「あの状況で止めるという判断は本当に難しい。なかなかできない。実際に走らせても問題ないことの方が多いから。
でもあの時、康太のことがあったばかりで、俺自身、もう一度しっかりと馬と向き合おう、しっかりと自分と向き合おう、しっかりと競馬と向き合おう、そしてもう一度しっかりと冷静になろう、と心に誓っていたから、悔しい気持ちはあったけど、ここは俺が馬を守ってあげなきゃ、って思ったんだよね。
迷いはなかったね。康太からのメッセージなのかな?競馬って全てのことが必ずどこかで繋がっているんだよね、こうやってあそこで判断ができたから日本ダービーに勝つことができたんだから。こうしてどんどん色んなことが繋がっていく。全てにストーリーがあるんだよね」とノリさん。なんか、カッコいいですよね。
今回の日本ダービー制覇は、嬉しいことも悔しいことも数々の経験を積み重ねてきたノリさんならではの勝利だったのではないかと思います!!
プロフィール
高田 潤 - Jun Takada
1980年11月3日生まれ、大阪府出身。
1999年に松田博資厩舎所属から騎手デビュー。デビュー当初から、平地・障害の垣根を越えた活躍を続けると、2006年にはドリームパスポートで神戸新聞杯を制覇。これが平地重賞初勝利となった。
一方、2008年にはキングジョイとのコンビで中山大障害を制し、キャリア初のJG1勝ち。2013年には待望の障害リーディングに輝いた。
また、2009年には師匠である松田博資師の元を離れ、フリーに転向。2012年にも生涯の伴侶を得るなど、公私ともに充実期を迎え、障害競走の次代を担う存在として更なる活躍が期待される。