2016年の阪神JSでJRA史上初の同一重賞7年連連対記録などJUMPレースの顔として活躍する高田潤騎手。 そして、ファンサービスの積極性は競馬界一とも噂される熱き男の生の声をお届けします!
変則開催場による馬や陣営への影響は?
2024/6/21(金)
高田潤です!!
今週は上半期のG1レースを締めくくる宝塚記念が行われます!!
現在阪神競馬場は改修工事が行われておりますので、今年の宝塚記念は京都競馬場で開催されます!!京都競馬場で開催される宝塚記念は18年ぶりだそうです。
去年までは京都競馬場が大規模な改修工事のため2年半開催されませんでしたが、今年は阪神競馬場が改修工事ということで、ここ数年は競馬の開催場が一部変則となり非常にややこしくなっております。。
例えば、ジャンプレースの重賞競走の場合におきましては、今年の8月に行われる小倉サマージャンプと9月に行われます阪神ジャンプステークスは共に中京競馬場で行われます。
ジャンプ専用コース(固定障害)のある阪神や小倉のジャンプコースと、芝コースに障害を置く(置き障害)だけの中京のジャンプコースでは全くと言っていいほどレース形態が違います。
これはどういうことかといいますと、中山大障害のように大きな障害や深いバンケットなど、飛越力や時計のかかるタフなコースで勝負をする馬は基本的にスピード勝負となる置き障害のレースには出走しません。
ですので、今年の小倉サマージャンプと阪神ジャンプステークスからは恐らく中山大障害に出走してくる馬はいないと思います。
言い方を変えると、中山大障害(J•G1)を狙う馬は今年の小倉SJや阪神JSには出走しないということになります。
コース適性を重要視するジャンプレースにおきましては、レース形態が変わると出走する馬(メンバー)もガラッと変わるということになります。
せっかく小倉には良いジャンプコースがあり小倉競馬場自体も開催しているのに、なぜ小倉で重賞をやらないで中京でやるのか??
という疑問はありますが、ジャンプレースに限らず、平地レースにおきましても開催の日程上そのようになるみたいです…
今週土曜日に行われますジャンプ重賞、東京ジャンプステークスは例年にないほどの良いメンバーが揃いましたが、この変則開催場の影響も大きいと思います。
中山大障害を目指している(固定障害で勝負をしたい)馬が他に使えるような(使いたい)レースがないというのも影響していると思います。
いいメンバーが揃ったなら良いことでは??
と一見思うかもしれませんが、馬の体調や調子、ローテーションを考えると本来はもう少し後(8,9月)に使いたかった陣営もいたと思います。しかし、その時期に丁度いいレースが無いのでこのレースを使わざるを得ない…と言ったことも考えられます。
ここでいいメンバーが揃ったけど、8,9月はいいメンバーが揃わない… 一部のレースに偏る… といったことも考えられます。
競馬番組の編成におきましては毎年数回、JRA,調教師会,騎手会で話し合いは行われています。
しかし、年間に使用できる開催日数や開催場が決まっていたり、東西との開催のバランスであったり、他にも色々複雑な条件の中で番組を編成していかなければならない為、簡単な問題ではありません。
今年につきましても、阪神競馬場の改修工事で阪神の開催が京都や中京に変わっただけ。
とはいかず、本来行われるはずだった小倉開催の日程も変更され、その結果、小倉の重賞が小倉競馬場では行われず、中京で行われる。。というように一つ競馬場が開催できなくなると、他の全ての競馬場にも影響が出てしまいます。
競馬の売り上げや入場者数などにおいても多大に影響を受けると思いますので、それだけ競馬番組の編成というのは繊細で難しいと思います。
あーだ!こーだ!言うのは簡単ですが、これを一年以上も先を見据えて作っていかなければならないJRAの番組企画課の職員さんは相当神経をすり減らしていると思います…(>_<)
ただ、今後も各競馬場での改修工事などの影響でこういった事象は起こると思いますので、コース変わりの影響を受けやすいジャンプレースにおきましては、特に中山大障害や中山グランドジャンプに向かう(頂点を目指す)馬が良いローテーションで向かえるような、馬に合わせた番組編成をしていただけるようにしっかりと話し合って、どうすればより良い状態で馬が出走できるのか?質の高いレースができるのか?どうすればもっと魅力あるレースを提供できるのか?いろいろと意見を出していければと思います。
プロフィール
高田 潤 - Jun Takada
1980年11月3日生まれ、大阪府出身。
1999年に松田博資厩舎所属から騎手デビュー。デビュー当初から、平地・障害の垣根を越えた活躍を続けると、2006年にはドリームパスポートで神戸新聞杯を制覇。これが平地重賞初勝利となった。
一方、2008年にはキングジョイとのコンビで中山大障害を制し、キャリア初のJG1勝ち。2013年には待望の障害リーディングに輝いた。
また、2009年には師匠である松田博資師の元を離れ、フリーに転向。2012年にも生涯の伴侶を得るなど、公私ともに充実期を迎え、障害競走の次代を担う存在として更なる活躍が期待される。