
2016年の阪神JSでJRA史上初の同一重賞7年連連対記録などJUMPレースの顔として活躍する高田潤騎手。 そして、ファンサービスの積極性は競馬界一とも噂される熱き男の生の声をお届けします!
JRA賞の重み。
2026/1/9(金)
高田潤です!!
先日、JRA賞の最優秀障害騎手賞についてXに投稿させてもらったところ、思わぬ反響がありまして、たくさんの方が障害レースに関心を寄せていただけていることに大変驚きました!!そして、本当にありがたかったです(T-T)。
僕は昨年の障害レースにおきまして、勝ち鞍:1位,獲得賞金:1位,勝率:1位,重賞4勝の成績でもJRA賞を獲れなかったわけですが、非常にたくさんの関係者から、なぜ??と聞かれまして、、
これはXでも説明しましたが、現在のJRA賞では障害レースにおける最多勝利賞も最多賞金獲得賞も最高勝率賞も無く、その全てで一位を獲る騎手大賞も無く、最優秀障害騎手賞のみとなっております。
その内訳は障害レースに年間25鞍以上騎乗した騎手が対象で、勝ち鞍,賞金,勝率,騎乗数で上位1〜5位の騎手に各5,4,3,2,1ポイントが与えられた合計になります。
その為、僕の場合は、
勝ち鞍 5P(1位)
勝率 5P(1位)
賞金 5P(1位)
乗り数 0P(ランク外)
計15P
小牧加矢太騎手は、
勝ち鞍 4P(2位)
勝率 4P(2位)
賞金 4P(2位)
乗り数 4P(2位)
計16P ということになります。
厳密に言えば、例えばですが、昨年31鞍で3勝だった小坂騎手があと1勝でもしていれば勝率が小牧加矢太騎手を抜いて2位となり僕がJRA賞を獲れたということになります…
小倉ジャンプSでは僕が1着で小坂騎手が2着なので結果的に言えば重賞を勝ってしまったばっかりにJRA賞を逃した形となり、何とも微妙な心境ではあります…
とはいえ陣営も馬も僕も重賞を勝つために日々一生懸命やっていますのであまりこういう事は考えたくないですが…
最優秀障害騎手賞を獲得した小牧加矢太ジョッキー本人ですらこのルールを知らなくて、『え?JRA賞 僕なんですか?何で僕になるんですか??何か…すみません( ; ; )』って言っていました。。
ただ、4部門全てにおいて2位もなかなか出来る事では無く、誰よりも馬券に絡み間違いなく昨年の障害界を盛り上げた1人ではありますので、加矢太は恐縮せずに堂々と胸を張ってJRA賞を受け取って欲しいと思います!!
このルールを知っていたのは恐らくジョッキーでは僕くらいだと思います…
もちろんそういう明確なルールが定められていますのでこのルールについて何の不満もありませんが、ただこのルールを知っているからこそ、騎乗時の余計な概念というか、メンタルに影響してしまっていたのは確かです…
例えば昨年の場合、11月とか12月のもう残りレース数が少ない時期に、障害レースで僕と同じレースに小坂騎手が乗っていた場合に、僕が1着を取ってもJRA賞においては何の意味もありませんが、小坂騎手が1着になると小坂騎手の勝率が上がり小牧加矢太騎手を抜いて2位となり、総合順位が変わり僕が1位となります。
当然ではありますが、わざと負けたりとか小坂騎手に勝たせたいというような騎乗は絶対にする事はありませんが、僕が言いたいのはこういうメンタルの中でレースに騎乗しないといけないという状況が本当にしんどかったです。。
例えの一例として小坂騎手をあげましたが、他にも対象となっていたジョッキーは数名おりましたので、後半戦の11〜12月辺りのレースではずっと、何でこんな事を考えながらレースに騎乗しないといけないんだろ…と思っていました。。
ジョッキーはみんなJRA賞を獲るために一年間勝つ事だけを考えて全力で騎乗していますので、勝っても勝ってもあまり意味が無い…という中で騎乗しなければならないのは本当にしんどかったです。
僕が考えすぎなだけかもしれませんが、ジョッキーに限らず競馬関係者にとってJRA賞はそれだけ重みがあります。G1レースを勝つより獲るのが難しいのがJRA賞です。
とはいえ、昨年の中山大障害の売上も大幅に上がり、年明けの中山新春JSも小頭数にもかかわらず売上が大幅に上がりましたので、皆さまのお力で障害界を盛り上げていただき本当に感謝しています!!
こうして数字に現れると僕たちの活力にもなりますので本当にありがたいです(T_T)
また一生懸命騎乗していきます!!
プロフィール

高田 潤 - Jun Takada
1980年11月3日生まれ、大阪府出身。
1999年に松田博資厩舎所属から騎手デビュー。デビュー当初から、平地・障害の垣根を越えた活躍を続けると、2006年にはドリームパスポートで神戸新聞杯を制覇。これが平地重賞初勝利となった。
一方、2008年にはキングジョイとのコンビで中山大障害を制し、キャリア初のJG1勝ち。2013年には待望の障害リーディングに輝いた。
また、2009年には師匠である松田博資師の元を離れ、フリーに転向。2012年にも生涯の伴侶を得るなど、公私ともに充実期を迎え、障害競走の次代を担う存在として更なる活躍が期待される。





