元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
伊達男と楯男
2015/4/30(木)
競馬界でも新たな女王の座をめぐり、東京競馬場ではフローラSが行われました。レースはスタートからシングウィズジョイが自分のペースで2番手を進み、少し遅くなったペースを活かしスタミナを温存すると、4コーナーで抜け出すと追い込むディアマイダーリンを退け、見事優勝を飾りました。以前から注目されていた馬ですが、2走前では道悪に泣きましたが、前走からコンビ復活をした内田騎手が馬の特性を活かしての勝利にはオークスに向けて楽しみになったレースとなりました。そして、2着に敗れましたが、オークスと同じ舞台で良い競馬ができたディアマイダーリンも本番に向けて、課題と共に楽しみが増えた一頭だったと思います。桜花賞では究極のスローペースで、まだまだ底を見せていない一級牝馬達とどこまで対等に戦うことができるのか非常に楽しみになりました。
春のG1の谷間に香港ではクイーンエリザベス2世カップにステファノスが挑戦しましたね。日曜の日本での騎乗を諦め香港に渡った福永君は、非常に上手い競馬をしたと思います。直線に入り、前がつまり万事休すかと思い、諦めかけたその瞬間、残り200mでやっと道が開いた最後の伸びは人馬の執念のようなものを感じました。2着以下4頭が横並びの接戦の中、2着を確保できたのは、福永君の技術があったからだと思います。この経験を活かし、ステファノスには日本のG1でも活躍を期待したいと思います。香港でイタリアの伊達男ミルコが乗っていたバッキングクアラギブに日本でもお馴染みのペリエが出走していたのには、何か日本競馬ファンとしては嬉しかったです。是非、香港騎乗からチャンスを掴み、再度日本での騎乗も楽しみにしています。
そんな、楽しみが増えた競馬の中で、再度、意味不明な判定が下りましたね。以前、ミルコ騎手の騎乗停止の判定で、他馬に関しての影響の少なさから判定は多すぎると書かせて頂きましたが、先週もまた京都最終レースで不明な判定がありました。それは浜中騎手が騎乗したカピオラニパレスが直線で斜行し、他馬に接触し、外を回っていた馬は完全に追うことを止めなくてはならなくなる程の不利を起こしました。ミルコ騎手の時で9日間でしたので、同じくらい与えられるのだろうと思っていたのですが、結果は騎乗停止なしで罰金10万円だけでした。
これほど不明な判定はないと私は思いますし、馬券を買っている皆様にとっても、大外から挙がってくる馬を応援していた方にはふざけるなという判定ではなかったでしょうか。今回は直接的に他馬に触れていることや外からの馬の脚色も良かったことを考えると、どう考えても皐月賞の際よりも不利が他馬に影響したと思います。この様な理由が分からない納得のできない判定ばかりしているJRAには新たな制度や馬券を買う人達への説明も実施するべきではないでしょうか。最近続く、不平等な判定に少し疑問が多いJRA様の対応にも今後注目していきたいと思います。
さて、そんな事を言い続けても競馬は走り続けます。今週の日曜日からはG1ラッシュがスタートします。まずは京都で3200mの厳しい戦い天皇賞(春)が行われます。3連覇を期待されたフェノーメノの出馬取消しが発表された中、まず注目を集めるのはゴールデンウィークにゴールドシップではないでしょうか。次点では完全復活を見たいキズナと2頭のスターホースに注目が集まります。しかし、今回の京都競馬場のセッティングを見ると非常にタフな作りになっており、高速馬場になっていることからも瞬発力勝負ではゴールドシップには厳しい戦いになるのではないかと思います。更に、差しもなかなか決まりにくいことを見るとスタミナにも不安が残るキズナに取っても厳しい戦いになるのではないかなと思っています。それをどう平成の伊達男ならぬ楯男、豊ちゃんがどの様に攻略するのかには非常に注目していますけどね。
そんな中、私の注目は念願のG1制覇をして欲しいウインバリアシオンになります。前走の日経賞でも福永君の絶妙な技術を見ると今回は楽しみでしょうがありません。その他には重賞男、岩田君騎乗のアドマイヤデウスに、伊達男からの乗り代わりで楯男になるかサウンズオブアースになります。その他にもフェイムゲームなど力が拮抗している戦いだけに難しい戦いになりそうです。さぁ皆様、楯を目標に競馬場へ、立て上がれ(笑)!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。