元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
競馬甲子園
2016/3/31(木)
さて、優勝旗ではなく、優勝カップを関西に持ち帰ってきたのは、矢作厩舎のリアルスティールに松永幹厩舎のラニでしたね!世界的な競馬日、ドバイミーティングに挑戦した2頭が見事に優勝を飾り、優勝カップを持って帰ってくれましたね。ラニに関しては、この次にアメリカの名誉ケンタッキーダービーへの挑戦が発表され、日本馬が世界へと飛び出し結果を出しているのを見ると非常に嬉しく感じました。
皆が期待を寄せていたドゥラメンテにとっては、苦い思い出になってしまいましたね。レース前からテンションが高めだなと思っていましたが、なんと出走前に蹄鉄が外れ、一旦、後ろに下がり、蹄鉄を打ち直そうとするも打てず、そのままの出走となってしまいました。海外の馬場は日本の馬場よりも芝は長く、更に固いので、蹄鉄が無ければ、本当に滑るんです。道中でも馬自身が違和感に耐えることができず、何度も手前を替えている姿を見ると、可哀想になりましたね。しかし、その中で2着をもぎ取ったのはミルコの好騎乗に加え、ドゥラメンテの負けん気の強さが、そうさせたのだと思います。まだ、蹄鉄なしで走った影響がどうなったかとメディアに出ていないため、非常に心配ではありますが、どうか無事であることを祈るばかりです。
そんな、ドバイに負けないようにと、日本では電撃の6ハロン戦G1高松宮記念が行われましたね。今回は、初めて使用したBコース(内ラチより少し外にラチを移動)が使われ、例年よりも良い芝で走れるため、タイムも速くなるんだろうなと思っていたのですが、直前になんと芝を刈り上げていたことまで判明しました。タイムを持っている陣営にとっては願ってもないコンディション調整になり、タイムを持っていない例年の芝を考えて出してきた陣営にとっては、ふざけるなという仕上げとなってしまいましたね。
その中で勝利したのは、やはりタイムを持っているビックアーサーと復活から絶好調になった福永君のコンビでしたね。今回、ミルコがドバイ遠征のために、急遽乗り馬が決まり勝利したあたりも、福永君は改めて持っているんだなと感じさせられましたね。レースは、スタート直後からローレルベローチェと中井君のコンビが何が何でもと出て行くのを見ると、ハクサンムーンが仕掛け、更に松山君騎乗のミッキーアイルは控える形を取りましたね。松山君の判断は非常に冷静でしたね。ここの判断が無ければ②着も無かったと思います。
そんな3頭を見るように好スタートを決めたビックアーサーが4番手につけ、4コーナーでも楽な手ごたえのまま回ると、そのまま前を行くミッキーアイルを捕まえ、勝利しました。藤岡兄弟の父である藤岡健一調教師は、これが初めてのG1勝利となりましたね。今年の競馬を見ていても、なぜか②着が多い藤岡厩舎にとっては、これが何かの起爆剤になるような勝利にも感じました。この春にはサウンズオブアースやジュエラーといった実力馬も控えていますし、今後も目が離せない厩舎へとなっていくかもしれませんね。関係者の皆様、本当におめでとうございます。
電撃のG1戦の後は、来年からG1へのクラスアップが提案されている大阪杯が阪神競馬場で行われます。春の少ない2000mの番組ということもあり、G1馬5頭が出馬してきます。その中でも、私の注目は去年の有馬記念を休み、万全のローテーションを組んできたショウナンパンドラになりますね。あのキレ味するどい末脚と勝負強い謙一君ですからね。ここを勝てば、世界最高峰の牝馬といっても良いと思います。
その他にも、去年重賞6勝のラブリーデイはミルコとのコンビで、香港に向けてどのような競馬をするのかも楽しみですし、豊ちゃんとコンビを組むキタサンブラックも力は確かです。そして、イスラボニータも立て直しに注目してみたいですね。ここの結果次第では安田記念で再度注目を集めますからね。そして、私の一番の注目は、やはりヌーヴォレコルトですね。斤量にも恵まれた上、香港の走りを見ると期待せざるを得ないと思っています。今年はG2ですが、本当に豪華なメンバーが揃った大阪杯。一体、どの馬が勝ち名乗りを上げるのか、本当に楽しみです。競馬界の甲子園も関西勢が優勝するのか、その結果は日曜日に阪神競馬場で!!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。