元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
毎週金メダル
2016/8/25(木)
皆様、こんにちは!とうとう、毎日の楽しみリオ・オリンピックが閉幕しましたね。今回のオリンピックは、日本歴史上、最多のメダルを獲得した大会となりました。体格で他国よりも劣る日本人でも、努力があれば輝けると証明した大会だったと思います。そして、何と言っても衝撃だったのは吉田沙保里選手の敗戦ですね。年齢的にもピークを迎えていた吉田選手がどのような戦いをするのか、非常に楽しみでしたが結果は銀。この銀は精一杯やっての銀だったので、見ているこちらが、涙で謝る吉田選手を見て、申し訳なくなってしまいました。
これを競馬に置き換えた場合だと、また反応は違うんでしょうね。やはり、そこがスポーツとスポーツ+ギャンブルの違いなのかなとも思いました。競馬は皆様のお金に関わりますしね。しかし、関わる全員が、毎日、沢山の汗を流し、金メダルを目指して頑張っていても、馬の能力の限界や気候、調子と沢山の要因が関わってきます。その中で、毎回金メダルを取るというのは至難の業です。そこを、競馬ファンの皆様にも分かって頂ければ、競馬もよりスポーツとして成り立っていくのではないだろうかと感じました。
それでは先週の競馬の話にいきましょう。まずは、小倉で行われた北九州記念からいきましょう。人気は連覇を狙うベルカントが1番人気に推奨され、CBC賞で②着に入ったラヴァーズポイントが2番人気に選ばれる中、勝利したのは、CBC賞でベルカントに騎乗した藤岡康太君騎乗のバクシンテイオーでしたね。今回は、本当にドハマリした!と言ったレースとなりましたね。レース前から康太君の中では、前目に人気馬が固まることで、この展開を予想していたのでしょうね。だからこそ、腹をくくったレースをし、勝利できたのだと思います。②着に敗れたベルカントはベストなレースはしたものの、もたれる癖に加え、タイムからしても少し、馬が疲れているように見えました。それでも②着に入ったのは上出来といった結果だったと思います。
嵐の吹き荒れる札幌で行われた札幌記念では、ルメールがネオリアリズムでやってくれましたね。もともと、レース前より荒れた馬場になったことで注目していた馬でしたが、まさかの逃げの上に折り合いを完璧につけ、王者モーリスの2000m挑戦を打ち破りました。小倉に続き、こちらでも堀厩舎が勝利しました。小倉では馬のことを考え滞在しての調整、そして札幌でも敏腕さを出しての勝利と、まさに厩舎の力を見せ付けた結果となりました。
敗れたとはいえモーリスはこの距離にも対応できそうですね。しかし、今回は馬場が合わなかったというところもありますが、G1ではどうかなとも感じました。次走は天皇賞(秋)に進むようですし、ここを勝てば種馬としての価値は計り知れなく上がると思います。一体、どんなレースをするのか、今から注目していきたいと思います。
今週は札幌で世界の騎手達の技術の見せ合いWAJSが行われます。しかし、その大会に出場予定だったエスピノーザが、必要書類の紛失で欠場となりました。これには、怒りしか感じません。そんな理由で、楽しみにしていたファンの皆様、ならびに準備をしていた関係者にとっては、たまったもんではありませんからね。それは騎手個人だけではなく、招待する競馬界にも問題があったかも知れません。紛失に備えての事前確認をしていれば、こんなことにはとも思いますしね。今回の残念な欠場を受けて、来年に向けて、どのように対策をしていくのか、考えてもらいたいです。代わりに選ばれた岩田君にはIWATAとして世界選抜チームで頑張ってもらいたいですね。
その上に、今週は新潟で新潟2歳S、そして札幌ではキーンランドCが行われます。個人的に新潟2歳Sではイブキとモーヴサファイア、マイネルバールマンとマイネルパラディでの柴田兄弟対決も楽しみにしています。その他にもサンライズソアもどこまでできるか楽しみな一戦です。そしてキーンランドCではシュウジが圧倒的ではないかな?と感じています。その他にも夏のスプリント王を目指すソルヴェイグに51キロのブランボヌール、そして洋芝巧者エポワスからも目が離せません。競馬は毎週末にオリンピック!今週も金メダルを目指して、各馬、頑張れ!!!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。