元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
連覇
2017/2/16(木)
皆様、こんにちは!今年のバレンタインは、いくつチョコを貰いましたか?いつもだと、私も妻や孫などにチョコを貰うんですが、妻に「今年何個もらった?」と聞くと「今年は私だけだよ」と言われ、成長と共に祖父離れが始まったのかとさみしくなった松田です。さて、そんなバレンタインの次の2月15日は私の誕生日でもありました。子供たちから沢山のプレゼントを貰い、さみしさも少し緩和しました(笑)。孫たちの成長と家族のありがたみを感じる誕生日とバレンタインになりました。
それでは競馬の話をしましょう。まずは、土曜日に行われたクイーンカップでは、粒揃いの牝馬が出てきましたが、それら全てを力でねじ伏せたのがルメール騎乗のアドマイヤミヤビでした。デビュー戦では、驚愕の走りをした馬に負けてしまいましたが、ポテンシャルは相当だという印象をうけていましたが、今回はまさにそれを見せつけてくれたと思います。ルメールはこれで昨年のメジャーエンブレムからの連覇となりましたね。
レースは外枠から落ち着いてポジションを決めると、何度も乗った経験から体に覚えこませた彼女の脚を見事に使い勝ち切りましたね。直線ではアエロリットに迫られていましたが、まだまだ余裕があったように見えました。これで賞金も十分となり、本番に向けて、非常に楽しみな一頭となりました。適性としてはオークスの方が向いていそうですし、本番では怪物ソウルスターリングやリスグラシューもいますが、十分に3女傑に入る力があると思います。敗れはしましたが、⑤着に入ったハナレイムーンからは目が離せませんね。まだ体も小さくこれからの馬ですが、成長次第では、秋華賞はこの馬が本命になることもあると思います。この世代は本当に牝馬の当たり年です。適性次第で本命が変わるであろう今年のクラシックが今から楽しみになった一戦でした。
日曜日に行わられた京都記念では、こちらは馬も騎手も同じサトノクラウンが見事に連覇を決めました。レース前のパドックを見た時に、輸送をしているにも関わらず、ベストなコンディションに持ってきた堀厩舎の厩舎力に驚かされました。この状態だったら、マカヒキに負けないのでは?と感じていましたが、まさに、その結果通りとなりましたね。レースはスタート直後、ヤマカツライデンが逃げる形を取り、外からこちらも抜群の仕上げをしてきたガリバルディが引っかかる形で上がっていきました。それを予想していたかの様にミルコとサトノクラウンが3番手につけ、楽に追走する形となりました。
3コーナーを過ぎた辺りで早めに手を動かすと、少し遅れてムーアとマカヒキも動き始めました。ここが勝負の分かれ目でした。どちらも久々の分とはいえ、スタミナに不安が残るマカヒキを早めに動かさざるを得ない展開を作り、自身の馬は粘れることを知っていたミルコの作りだした展開でしたね。そして、迎えた直線では、マカヒキが切れ味を出すかと思った瞬間、逆にサトノクラウンが引き離す形で勝利しました。最大斤量で、しかも余裕を残しながらの勝利は、種牡馬の価値としても非常に印象の良い勝ち方だったと思います。逆にマカヒキは早めに動かされた分、最後に鈍りましたね。もちろん、馬場もあると思いますが、今回はミルコマジックにやられたと個人的には思います。
今週は早くも2017年初めてのG1フェブラリーSが行われます。今年は力が拮抗したメンバーが揃い、非常に予想も混乱するメンバーとなっています。1番人気に推奨されるであろう馬はカフジテイクになるのではないでしょうか。前走、前々走と間違いないキレ味を見せ、着々と力をつけてきた印象があります。鞍上も福永君の怪我により、津村君に戻るということが発表され、ここで男になれ!と思っています。
2番手にはモーニンあたりが選ばれるのではないでしょうか。こちらは、去年の覇者でもありますし、鞍上にムーアを迎えた辺りからも気合が入っています。しかし、個人的には京都の割引と同じで、ダートも少し割引になるのではと思っています。その他にも復活を目指すコパノリッキーやノンコノユメ、サウンドトゥルーも続いていくでしょう。そして、前回の負けはノーカウントでもいいゴールドドリームやダート初挑戦のデニムアンドルビー辺りも怖い展開となりそうです。先週から続く連覇が馬もしくは騎手で続くか、それとも厩舎で連覇か?非常に楽しみです!!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。