元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
違った視点
2017/6/14(水)
皆様、こんにちは!梅雨入りの季節がやってきましたね。毎年毎年のことですが、雨が降りだし、栗東はカエルの合唱が始まりました。この変わらない音色を聞くと「今年もこの季節を無事に迎えられた」と昔とは少し違った印象を受けるようになってきました。当たり前のような音の中でも、変化がないことを、自分の感じ方一つでこのような新鮮な気持ちになれるというのは非常に嬉しいことでもありました。
それでは競馬の話にまいりましょう。先週は東京競馬場でエプソムCが行われました。落馬事故から、調子を崩していたコンビの勝利となりました。騎乗した浜中君は、自らのミスで起こしてしまった落馬事故を心から考え、この馬とどう向き合って行くかをレース前にも見つめていたと思います。その浜中君と重賞を取るんだとコンビ復活を促し、信じた吉村調教師、そして馬主様も強い思いがあったと思います。その思いが今回の勝利を呼んだのではないでしょうか。
浜中君のコメントでも「この馬と勝てたら、また進める気がする」とあったのは、非常に感動しましたね。騎手はいつでもレースに挑む時には、その馬、その馬と向き合います。しかし、その中でも特別と感じる馬がいるのも事実です。その一頭が彼にとってはダッシングブレイズだったのでしょう。事故を超え、当たり前のように乗っていた馬に対しても、違った印象を持っていたのだと私は感じました。
レースはスタート直後からマイネルハニーがハナにたち、1番人気のアストラエンブレムが2番手につけました。その直後にはダッシングブレイズが位置すると、表示されたタイムは57秒7!そんな馬鹿な?体内時計が狂ったか?と思っていると、後日JRAから実際は59秒7で誤表示をしてしまったとありました。そして迎えた直線。マイネルハニーが粘り、手応え抜群のアストラエンブレムが気性の難しさを考え馬なりで進ませるなか、内から抜群の手応えのダッシングブレイズが抜き去り、見事勝利をあげました。
②着にはアストラエンブレムが入りましたが、やはりここでも、気性の難しさが出たレースでしたね。前にいるマイネルハニーを抜く時には耳を絞り、タテガミの中に閉まってしまうほどで、その上、尻尾をバタつかせ止まってしまいました。事前の調教を見ていても、抜き去ってから、もう1追い2追いするトレーニングをした方がいいなと感じました。競馬も後ろから一気に抜き去り、ブレーキをかけた時にはゴールというレースしかないのかなと思わされました。力はあるのに、難しい面がある馬というのは本当にやりにくいところがあります。しかし、陣営があきらめずトレーニングを続け、それが形になるとき、当馬にとって初重賞制覇となるのだと思います。
アメリカではベルモントSに出走予定だったエピカリスが10時間前に出走を取消しましたね。これに関しては、将来を考えたら英断と思います。しかし、逆になぜ、このタイミングで?と思ってしまいますね。アメリカでは動物愛護の視点からも、少しでも変化があれば出走を認めないことがありますからね。今回のドタキャンのひとつの理由として馬場があります。よく言われている硬さの違いや蹄鉄の違いもありますね。しかし、今回はその違いの中、私が見た調教では、かなりのタイムで走らせてしまっていました。そこが今回の最大の理由ではないか?と思ってしまいます。
アメリカの馬場に適応させ、なおかつレースに向かい調教を積むというのは非常に難しいことですが、そこに最大の注意を払うべきだったのではないかと感じてしまいます。今回の失敗により、遠征時の事前の調教施設の確保、コンディション調整は次に活かされると信じています。
さて、ホースマンにとっては嬉しい函館開催が今週より始まります。そして、早速、函館スプリントSが行われます。まだまだ寒い函館を暑くする戦いに、どの馬が勝利をつかむのか非常に楽しみです。そんな中、1番人気になるのは春のスプリント王となったセイウンコウセイでしょうね。ここでも斤量は56キロと恵まれたこともあり、王者として、堂々の競馬を見せてもらいたいと思います。
それに続くのがシュウジと新コンビ豊ちゃんですね。控える競馬を覚えてきましたが、逃げさせたら敵なしの豊ちゃんに是非、絶品の逃げを見せてもらいたいと思っています。函館競馬の直線は非常に忙しくなるため、枠にも注意してくださいね!いつもの競馬も違った視点でみて、新たな楽しさを発見できる週にしてもらえればと思います。
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。