元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
立ち上がれ!
2018/6/13(水)
皆様、こんにちは!まずは、なんと言っても新幹線でおきた事件についてが話題になる悲しい週となりました。愛知県に住む22歳の男性が新幹線でナタを振り回し、一人の男性が死亡、そして複数の女性がケガを負いました。犯人からは「誰でも良かった。どうにでもなれと思っていた」とコメントが出ており、大変腹ただしい限りです。人の命の重さも分からず何を言っているのか、本当に理解に苦しみます。5歳の子を虐待死させた事件もそうですし、人の心を忘れたような事件ばかりで、悲しみを超え怒りしかありません。国自体がこれについて考えていかなくてはいけません。税金問題やお金に関わる問題だけでなく、人の育成。それこそが、国の持つ最大の課題ではないでしょうか。
さて、人の育成といえば、モレイラ騎手がJRA通年免許試験に挑戦というニュースに出ました。これに関して、私は賛成です。日本の競馬のレベルは世界基準に達しています。しかし、なお安全第一の騎乗を考え、本来の馬同士が競う激しさがない気もしています。その中で、世界トップレベルの騎手が参戦することで、さらなるレベル向上になると考えるからです。世間からは若手が育たないという声が出るのも確かです。
だからこそ、日本人は逆に外に出向きレベルアップを図り、本物だけが残っていくレベルの高い世界になってくれればと思っています。若手限定競走、若手リーグの他にも若手限定競馬場なども面白いと思います。そして、調教師にも海外の人物を誘致し、全体のレベルアップを図ることもまた日本競馬の発展につながると思っています。日本人の日本人のための競馬という意識も理解しますが、やはり世界に誇れる日本競馬であってほしいと思っています。そうなることで日本人の秘めたる心に火をつけ、更なる日本勢の逆襲を私は期待しています。
それでは、先週の競馬の話にまいりましょう。東京では台風の影響を受ける中、エプソムCが行われ、サトノアーサーと戸崎君が見事な競馬で勝利を挙げました。若い頃からその才能を高く評価されていた同馬がここにきて、力を発揮しだしました。特に折り合い面での成長が著しく、昔は噛んでしまうため直線一気の競馬のみをトライしていましたが、厩舎や鞍乗を含め、ある程度のポジションで競馬をさせることへの挑戦に切り替えたことが、この勝利だったと思います。雨の中でも素晴らしいポジションを取り、直線でも芝目のいいところを早めに取りきったところで勝負ありだったと思います。
2着にはハクサンルドフが入りました。この馬は展開に左右される脚質ですが、今回は馬場といい展開といい、全てがハマっていたのではないでしょうか。負けた分は直線でのコース取りにもう少し運があればというところだったでしょうね。その他には、2年ぶりに出てきたスマートオーディンは非常にかっこいい馬体をしていましたね。乗った誰もが惚れるというのも納得できる馬でした。スタートから気負い、ハナへと行く競馬になり、最後もバタバタとなってしまいました。しかし、2年ぶりであの馬場、その上に昔のような鬼脚を使う競馬をしてしまっては、脚の爆弾が再発する可能性があがります。そのため、豊ちゃんも無理に引くことはせず、なだめて乗って止まらないなら逃げようという意識になったと思います。もちろんそれは可能性の話ですが、昔下手だったスタートも上手くなったことで、今回の競馬をしたことを踏まえて、マイル路線に出てくれば面白い一頭になると思います。無事に次のレースで期待したいと思います。
今週からは函館競馬が開幕します。北の大地、函館。関係者がこぞって楽しみにしている開催に、ぜひ皆様も旅行がてら行ってもらえたらと思います。そんな中、函館と東京で重賞競走が行われます。函館では函館スプリントS、東京ではユニコーンSが行われます。とりわけユニコーンSでは少ない3歳のダート重賞ということで好メンバーが揃いましたね。なんと言っても順調に進んでいれば怪物ルヴァンスレーヴがやってくれると思います。しかし、脚元が弱い馬だけに、中間の調整が非常に大事になってきます。その他には、血統が魅力的なグレートタイムやスマハマを破ったダートでは4戦3勝のグリム、出られればレピアーウィットも楽しみな一頭です。東京開催も残り少し!3歳ダートチャンピオンを決める、この戦いをぜひ生観戦してください!!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。