元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
世界レベルの意識
2018/11/21(水)
皆様、こんにちは!この間、1番だけが知っているというテレビ番組を見ていて、東京五輪の走り幅跳びのことをやっていました。65連勝中のカールルイス選手とパウエル選手の熱い戦い。カールがいることで、金メダルまで届かなかった男が見せた意地。本当に素晴らしい勝負でした。今もなお、この二人が出した結果は破られることがないこともまた、心を熱くするんだと思います。知らない方は、是非この伝説の一戦を調べてみてください。諦めず闘志を燃やしていれば、いつか結果はついてくると思わせてくれるパウエル選手の有志を。
それでは競馬の話に参りましょう。先週の京都競馬場ではマイルCSが行われました。連覇を狙うペルシアンナイト。春秋のマイルを狙うモズアスコット、その他にも世代交代を狙う3歳に牝馬アエロリットなどが挑戦してきましたが、勝利したのは3歳世代ステルヴィオでした。能力はありながらもなかなかG1では勝ちをつかむことができなかった一頭が、とうとう掴んだ栄冠。昨年まで3歳は勝てないと言われていたにも関わらず、2年連続で3歳が勝つというのは、毎年毎年、馬のレベルが上がっているという結果ではないでしょうか。
レースはスタートから多くの馬が牽制するような形で押し出されたのはロジクライとアルアインでした。しかし、2頭ともハナは行きたくないと抑える形になったことで、一気にペースが落ちました。そこで、外枠にいたライアンムーアとアエロリットは、それなら無理に抑えるよりもハナをもらうと逃げていきました。しかし、ここでもペースがそこまで上がらなかったことで、少し特殊なペースになりました。それを見越してか、スタートよりステルヴィオとペルシアンナイトはポジションを少し上げました。まさに1・2着になった馬は展開を読み切った騎手の腕だったと思います。
迎えた4コーナー。外から厳しめに回ってきたロードクエストとモズアスコットが激突し、ガチャガチャっとなる中、アエロリットがインは譲らないと意地のポジショニング。それを察知してアルアインも併せに行く中、ステルヴィオとビュイックは外へポジションを取ろうとします。ミルコとペルシアンナイトは少し待たされながらも、その一瞬の内を狙います。しかし、瞬時にビュイックも内へと切り替え、併せる形で最後は斤量の差と一瞬で脚が使えるタイプと少しエンジンがかかるのが遅いタイプの差で、ビュイックとステルヴィオに勝利の女神は微笑みました。
勝利後にはビュイックが押し込んだことで罰金となりましたが、本当ならば騎乗停止でもおかしくない騎乗でした。しかし、そこはミルコも世界レベル。決して腰をあげず、最後まで押し込まれながらも走らせたのは意地だったと思います。このような世界レベルの叩き合いを見られたのは非常に興奮しました。この勝利で6週連続の外国人騎手優勝となりました。もちろん、いい馬に乗っていることも間違いありません。しかし、今回の勝利でもわかるように、ギリギリの所を攻め、馬を本当に競わせている、本当の競馬をしているからこそ掴める勝利だと思います。日本競馬のように安全面だけを重視していても世界と戦えないということを見せつけられたようなレースでした。勿論、それを技術でカバーできる日本人騎手もいます。あとは日本競馬界の意識の問題ではないのかなと思いました。
さて、G1はまだまだ続きます。今週は東京競馬場でジャパンカップが行われます。今年は海外から2頭の挑戦者を迎えます。ド本命は53キロで出てくる3冠女王アーモンドアイになると思います。普段は54キロからしか乗らないルメールが絞ってまで勝負をかけてくるだけに、今回も脅威の走りが期待されます。しかし、心配は距離になると思います。勿論、オークスでの走りを見ている限り、距離も保つと思います。しかし、それは3歳牝馬の戦い。大人のお兄さんを交えたときに、このベストとは言えない距離を克服できるのか、そこが問題になると思います。
そして、イギリス馬カプリにはライアンムーア、復活が期待されるサトノダイヤモンドにはモレイラ、昨年の覇者シュヴァルグランにはクリスチャン、春の中距離王スワーヴリチャードにはミルコと、馬と豪華な騎手の競演に熱戦が今から期待できます。こんな豪華な競演はなかなかありませんよ。ぜひ、競馬場で本物の競馬を見てください!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。